教育と労働安全衛生と福祉の事実
2011年8月23日火曜日
実習船の24時間命がけの労働に 8時間勤務とは しかも 生徒も教職員のいのちを守る安全対策は
山城貞治( みなさんへの通信 66)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その46)
(22)水産課程を置く学校では、安全衛生基準と安全衛生マニュアルをつくり十分な安全対策を講じさせる。
その場合、航海、潜水などの安全衛生対策を強化させる。
(23)農業課程を置く学校では、特に農薬などの安全衛生対策や機械使用の安全対策を講じさせる。
などは、1998年2月から府高本部がまず労働安全衛生パトロールをはじめた。
府高労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」に載せられた記事の一部を紹介する。
府高本部・水産高校分会を訪れ
実習船「みずなぎ」などの労働安全衛生パトロール
あまりにひどい長時間労働と勤務実態に疑問と不満
府高本部は、海洋高校分会を訪問し、職場の労働条件や労働安全衛生について話し合い。
特に、実習船「みずなぎ」の稼働問題、実習中は24時間拘束なのに8時間勤務にさせられていることなど多くの問題が明らかになった。
学職部長は、実習船「みずなき」の過酷な勤務実態、水産省の下請け業務などの問題を述べつつ
「船員の方達の声は、どれも緊急の内容を持つものばかりだった。それぞれ専門のライセンスを持った教諭と一緒に実習教育を大袈裟ではなく命がけで支えておられる。
技術職員の位置づけで手当等にもさまざまな差別がある。地方公務員法・条例に加え船員法など複雑な適用が未整理のまま。」
と明らかにした。
労働基準法・労働安全衛生法・船員法の多くの違反を事業者である京都府・府教委に改めさせることはもちろん、事業者である京都府・府教委に、いのちそのものに関わる労働安全衛生対策を実習船「みずなき」の教職員に講じさせるようしなければなりません。
府高本部は、この問題をすぐ府教委に改善を申し入れた。
ところが、2001年3月の「教職員のいのちと健康」には、次の重大な問題が明るみにした。
痛ましい事故は
府教委がどのように言おうと
学校現場の安全対策を訴えている
2001年2月9日午後1時45分、ハワイ・オアフ島沖で宇和島水産高校実習船「えひめ丸」が、アメリカ原子力潜水艦「グリーンビル」によって追突され沈没した事故で9名が行方不明となりました。
この事件はマスコミによって大きく報道されましたが、京都新聞はその関連で府立海洋高校の校長に取材をしています。
以下京都新聞の記事を転載します。
米原潜、なぜ気付かぬ
事故に衝撃府立海洋高 2001年2月11日 京都新聞
京都府内で唯一、外国での航海実習を行っている宮津市上司の府立海洋高では、潜水艦との衝突という今回の事故にショックをうけている。
海洋高(1990年開校)は全国に47校ある水産系高校の一つ。
航海実習は前身の府立水産高校時代の84年から始め、現在は学校が所有する実習船「みずなぎ」(185トン)を使って、毎年6月ごろに約3週間、実施している。
学校関係者の一人は「浮上した潜水艦との衝突は一般の船では避けようがなく、不運としかいいようがない」と衝撃を隠しきれない様子。
昨年の実習は女生徒を含む海洋生産科漁業生産コースの3年生18人がサイパン島方面を訪れ、航海技術の習得や海洋気象の観測、現地の高校生との国際交流などを行っている。
衝突事故のあった宇和島水産高校のように、遠洋での漁業実習は実施していない。
小林憲彦校長は「実習の内容は違うが、今回の事故は同じ航海実習を行っている学校として本当に残念。生徒の安全をさらに考えていきたい」という。
同高では今年も6月5日から3週間、サイパン島方面での航海実習を計画している。
新聞記事でも校長は、「生徒の安全」を言っても「教職員の安全」を言わないことが明らかだろう。
船上では、生徒も教職員も一体。乗組員全員の安全を表明しないところに、京都府・府教委の安全性に対する「無関心」「無策」が反映している。
船員法では
労働基準法なども労働安全衛生法も適用が
明らかにされていると資料の一部を教職員に知らせる
資料 船員法 (要旨)
第一条(船員)
この法律で船員とは、日本船舶又は日本船舶以外の命令の定める船舶に乗り組む船長及び海員並びに予備船員をいう。
第六条(労働基準法の適用)
船員労働安全衛生規則 (要旨)
第一章 総則
第一条(趣旨)
船内作業による危害の防止及び船内衛生の保持に関し、船舶所有者のとるべき措置及びその基準並びに船員の遵守するべき事項は、他の法令に定めるもののほか、この省令の定めるところによる。
第一条の二(船長による統括管理)
船舶所有者は、船内における安全及び衛生に関する事項に関し船長に統括管理させ、かつ、安全担当者、消火作業指揮者、衛生担当者その他の関係者の間の調整を行わせなければならない。
第二条(安全担当者の選任)
船舶所有者は、船内においてこの省令に定める事項を行なうために、船長の意見をきいて、甲板部、機関部、無線部、事務部その他の各部について当該部の海員の中からそれぞれ安全担当者を選任しなければならない。
第五条(安全担当者の業務)
船舶所有者は、次に掲げる事項を、安全担当者に行わせなければならない。
一 作業設備及び作業用具の点検及び整備に関すること。
二 安全装置、検知器具、消火器具、保護具その他危害防止のための設備及び用具の点検及び整備に関すること。
三 作業を行う際に危険な又は有害な状態が発生した場合又は発生するおそれのある場合の適当な応急措置又は防止措置に関すること。
四 発生した災害の原因の調査に関すること。
五 作業の安全に関する教育及び訓練に関すること。
六 安全管理に関する記録の作成及び管理に関すること。
第六条(改善意見の申出等)
安全担当者は、船長を経由し、船舶所有者に対して、作業設備、作業方法等について安全管理に関する改善意見を申し出ることができる。この場合において、船長は、必要と認めるときは、当該改善意見に自らの意見を付すことができる。
2 船舶所有者は、前項の申出があつた場合は、その意見を尊重しなければならない。
第十一条(安全衛生に関する教育及び訓練)
船舶所有者は、次に掲げる事項について、船員に教育を施さなければならない。
一 船内の安全及び衛生に関する基礎的事項
二 船内の危険な又は有害な作業についての作業方法
三 保護具、命綱、安全ベルト及び作業用救命衣の使用方法
四 船内の安全及び衛生に関する規定を定めた場合は、当該規定の内容
五 乗り組む船舶の設備及び作業に関する具体的事項
第十二条(船員の意見を聴くための措置)
船舶所有者は、船内における安全及び衛生に関する事項について、船員の意見を聴くため、船内において、適当な措置を講じなければならない。
2 船舶所有者は、船内において安全又は衛生に関する委員会を設けた場合は、船長をその委員長とし、かつ、船員の選んだ委員を参加させなければならない。
大事故・大災害があると「予算がない」と言って拒否した改善要求が通るがそれは安全無視の現れ
水産課程、農業課程での労働安全衛生は各該当高校で詳しく取り組み、要求が出された。
しかし、京都府・府教委はいつも大事故が起きてから改善をするのが常であった。
それでも継続的に海洋高校の場合も、工業高校の場合も、農業科の場合もすべて詳しく調べて労働安全衛生上の改善要求が出された。
しかし、いつも予算がないと断る。だが、他校で大事故が起きると改善する傾向だけは、なぜか、「固持」し続けた。
2011年8月20日土曜日
全日本教職員組合(全教)書記長へ 「給特法」に関する当局のねじ曲げを認めてしまうと、たたかいの方向が歪み 教職員のいのちと健康を守ることはますます困難になる、と元府高委員長
山城貞治(みなさんへの通信65)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その45)
長時間過密労働を強いられている教員の
「給特法」を打ち破ってこそ
いのちと健康が守れると満身の提言
労働基準法を守らない政府に対して、その矛盾を告発し、教職員の労働実態を解明する取り組み。また、全国の教職員は、一方では、裁判を通じて超過勤務の実態を告発し、最高裁を含む各級裁判で勝利した。そして、「給特法」(国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)がつくられた歴史的経過を踏まえないと、再び長時間勤務が「容認されると」と本年、以下の全日本教職員組合(全教)書記長談話に対して元府高委員長は、提言をした。
京都市教職員組合の組合員超勤訴訟
に対して全教書記長談話は
全日本教職員組合(全教)書記長談話は以下のとおりである。
2011年7 月12 日「教職員の長時間過密労働の是正に背を向ける最高裁判決に断固抗議する」(談話)全日本教職員組合(全教)書記長
最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は、本日、京都市教職員組合の組合員9 名が2004 年に京都市を相手取り、提訴していた超勤訴訟に対して、まったく不当な判決をおこないました。全国の教職員が切実に求めてきた、長時間過密労働の是正に背を向け、学校現場の実態を無視した今回の判決に断固抗議します。また、7 年半もの間、裁判闘争を支えてきた原告団および京都教職員組合をはじめ支援にあたった全国の教職員組合の仲間のみなさんに心から感謝とお礼を申し上げます。この裁判は、教職員の過重な超過勤務の是正を求めていたものです。2009 年10 月1 日には、大阪高等裁判所が、すでに京都地方裁判所判決において勝利した原告1 名に加え、さらに2 名の原告に対して、55 万円の慰謝料を支払うことを命じる判決を言い渡していました。大阪高裁判決が、「(管理職は)時間外勤務の時間からすると、配慮を欠くと評価せざるを得ないような常態化した時間外勤務が存在したことは推認でき」たこと、また「(管理職は)時間外勤務が極めて長時間に及んでいたことを認識、予見できたことが窺われるが、それに対して、改善等の措置を特に講じていない点において、適切さを欠いた」ことを断罪し、管理職の安全配慮義務違反を明確にした点は全国の教職員を大きく励ますものでした。しかし、本日の最高裁判決は、教職員の長時間過密労働の是正に向けた到達点とすすみはじめた全国のとりくみにまったく逆行するものです。それは、教職員の長時間過密労働について、「勤務校の各校長が被上告人らに対して明示的に時間外勤務を命じていないことは明らかであるし、また、黙示的に時間外勤務を命じたと認めることもできず、他にこれを認めるに足りる事情もうかがわれない」とし、教職員の時間外勤務の実態に目を向けようともしない判断に終始していることです。
「命じていない」かぎり時間外勤務は存在しないという給特法の建前を理由に、教職員の無定量の長時間過密労働を容認する立場は、増え続ける病気休職者に見られるような教職員の実態からも認められないものです。
同時に、給特法をめぐって繰り返される司法の判断が、給特法そのものの限界と問題点を露呈しているといわざるを得ません。
第二に、管理職の安全配慮義務違反についても、「強度のストレスによる精神的苦痛を被ったことが推認されるというけれども、本件期間中又はその後において、外部から認識し得る具体的な健康被害又はその兆候が被上告人らに生じていたとの事実は認定されておらず、記録上もうかがうことができない」ことを理由に、否定しました。これは、教職員が長時間過密労働で斃(たお)れない限り、管理職の安全配慮義務が問われないというべき暴論であり、絶対に容認できるものではありません。裁判闘争をすすめることをとおして、全国の教育委員会と学校職場で教職員の長時間過密労働問題が正面から問題にされ、勤務時間管理をはじめ、労働安全衛生のとりくみが大きくすすんできたことは、私たちの確信にすべき到達点です。しかし、不当判決は、あらためて今日の学校現場の実態にそぐわなくなっている給特法の問題を提起しています。全教は、今後とも、子どもたちのすこやかな成長と豊かな教育の実現をめざして、教職員の長時間勤務の解消とともに、教育条件の改善と給特法改正にむけた運動を強化する決意を表明するものです。 以上
踏まえられているか 各県教組と各教育委員会との教職員の無定量な超過勤務をなくすための協定
これに対して元府高委員長は、次のように全日本教職員組合(全教)書記長に意見を述べ、提言をしている。
ご苦労さまです。先日の、京都市教組の超勤訴訟での最高裁の不当判決に対するあなたの談話をインターネットで見させてもらいました。全教のご支援に心から感謝を申しあげます。
ただ、談話の中で少し気にかかるところがありました。退職してから8年が経ち、ぼけも進んでいますので的外れかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
私が引っかかった談話の部分
「『命じていない限り』時間外勤務は存在しないという給特法の建前を理由に、教職員の無定量の長時間過密労働を容認する立場は」
という箇所です。
「その理由」
1.給特法制定まで ( 略:すでに記載 )
2.「給特法」の制定 ( 略:すでに記載 )
3.私が言いたいこと 以上、簡単に私なりの経過を述べました。
私が一番言いたかったのは、給特法の持つ矛盾はありながらも、たたかいによって政府(文部省)や各県当局との間で、協定を結ぶことによって無定量の超過勤務、言い換えれば、「限定4項目以外は超過勤務を命じることができない」とさせたことを踏まえておられるのかどうかということです。(注:すでに掲載した、「給特法」の実施に当たって、各県教組と各教育委員会とかわした協定では、教職員の無定量な超過勤務をなくすため、限定4項目「県によっては5項目」の協定を結ぶなどの歯止めをかけた。)
政府や当局は、教職員が超過勤務をしなくても良いように、定数増などのそのための手立てを義務付けられていたのです。
ところが、政府や当局は、これをごまかすために、たえず、4%(注:この4%には根拠はない。ましてや時間外労働の平均値でもない。)を支払っているから、クラブ指導などの「自主的な指導」はこれに含まれているなどの詭弁を弄しています。
しかし、こんなごまかしは許されません。
給特法の原則は
教職員には限定4項目以外の超過勤務は
させることができない
給特法の原則は「教職員には、限定4項目以外の超過勤務はさせることができない」ということです。
それなのに、現実は当局が何の手立てもしないから、子どもの発達を保障する立場からやむをえない超過勤務が発生しています。
これこそが、給特法やそれに関する協定違反であり、労働基準法・労働安全衛生法に違反しているのです。
それを「命じていない限り、……」と、「給特法」に関する当局のねじ曲げを認めてしまうと(:「命じていない」かぎり時間外勤務は存在しないという給特法の建前を理由の部分)、たたかいの方向が歪むのではないでしょうか?
実は今度の裁判でも、私は弁護団の追及がこの点では弱かったのではと、思っています。
「給特法」のたたかいの原点にもどって追及することができていなかったと思っています。
えらそうなことを書いてしまいましたが。
すでに結ばれてきた限定4項目以外の超過勤務はさせることができないという協定を破っていることへの闘いや政府、行政、教育委員会の言い分を「鵜呑み」にする傾向を打ち破らない限り、決意をしてもそれは気持ちだけになってしまう。
元府高委員長は、幾多の過労死、労災、公務災害、国家公務員災害補償の認定に心底から取り組んできたことから、非常に「配慮に配慮を重ねた」全教書記長への提言として書いている。
この真意は伝わっているのだろうか。
最高裁判決を乗り越える方途はある、と示唆した提言なのだが。
父母・府民の負託にこたえる教育に責任を持つ上でも欠かすことができない重要なことと同時に教職員が健康で安心して働くという観点から『いのちの問題』を考えねば
山城貞治(みなさんへの通信64)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その44)
「近畿高等学校教職員組合連絡協議会 略史 その5」に文章を寄せていた元府高委員長の文章の概略
ヨーロッパと異質の「週40時間労働」が ただ働きを加速
3.1990年代の労働法制改定の動き
世界の労働者の労働時間短縮への趨勢は、フランスが週35時間制に移行したのを筆頭に、ヨーロッパの各国では、年次休暇の大幅な延長など、大きく改善された。
しかし、日本は、ようやく週40時間制への動きが緒につき始めたばかりで、政府の言いなり、労働者の権利を守ることを放棄した。
「連合」の方針や大企業の圧力も反映して、週40時間制の導入とひきかえに変形労働時間制やフレックスタイム制、裁量労働制の導入、労働者派遣法の改正など、次から次へ労働基準法は改悪され、ただ働きの超過勤務がますます蔓延するようになった。
公務災害認定の道のりは険しく 裁判そして……
8.公務災害認定闘争
定数増をサボり続ける行政当局のもとで、長時間・過密労働は、教職員の健康を蝕むだけでなく、いのちまでも奪い、各県で公務災害認定闘争がたたかわれた。
この分野でも、全教は、全国の仲間を結集し、新たな地歩を一歩一歩築いていった。
1993年、京都市教組の北芝訴訟が、大阪高裁で逆転勝利し、確定したのをはじめ、1995年1月には茨城県の大林事案、同じく6月には大阪府の向井事案の公務災害認定など、公務災害認定への道を切り開いていった。
とはいえ、認定への道のりは険しく、各県段階での公務災害補償基金支部での認定は、ほんのわずかで、多くは裁判闘争を通じて認定を勝ち取っていった。
「通常の仕事比較論」を論破し
学校現場の労働実態の「事実」を認めさせる
こうした中で、1999年7月、京都府高が取り組んだ城陽養護学校の「小谷裁判」。 同じく1999年12月、丹波養護学校の「西垣裁判」では京都地方裁判所で画期的な勝利判決を勝ち取った。
両判決は、学校現場の労働実態の「事実」に忠実に、行政が振りかざす形式的な「認定基準」を排す判断を示した。
判決は
① それぞれの仕事の実態を丁寧に認定し、いずれも、疾病を引き起こす負担の大きい仕事であることを率直に認定した。(これは事実から乖離した公務災害補償基金へのもっとも厳しい批判でもある)
② 学校現場の実態に正しく迫り、公務災害補償基金支部が最後まで強く抵抗した障害児教育を行う学校は、頸肩腕症候群や腰痛症が発生する危険の高い職場であることを認定した。
③ けいわん(頸肩腕)や腰痛などの疲労性疾病に対し、公務災害補償基金支部がいつも切り捨てに使う
「日常の仕事より余分に仕事をしたか」
という
「通常の仕事比較論」
を排し、
あくまでも仕事の実態に即して判断すべき事を鮮明にした。
つまり、「通常の仕事」そのものが負担が大きく、疾病を発症させるのであるから、日常の仕事と比較したり、他の職員と比較しても意味がないこと。
打ち破った「3カ月治癒説」と公務災害認定基準を変える力
また、公務災害補償基金側が「医学的に確立された見解」として持ち出す「3カ月治癒説」は医学的に何の根拠もなく、むしろ長期療養の必要性すらあることを認め、基金支部の主張を一蹴したことなど、重要な判断を示した。
これらの判断は、先の全国ではじめての腰痛に関わる公務災害認定として、腰・けいわん(頸肩腕)に苦しむ全国の教職員や労働者を大きく励ました向井判決とともに、それ以降の公務災害認定基準を大きく変える力となった。
また、京教組・京都市教組が取り組んだ内藤先生の過労死事案では、当局がサービス残業としか認めない「持ち帰り残業」を大阪高裁が公務として認定した(確定)意義は大きい。
さらに、2002年2月に出された丹波養護学校の山本事案に対する中央審査会の裁定は、もともとの股関節脱臼の後遺が職務の過重で変形性股関節症をさせたものとして公務災害を認定した。
こうした認定の大きな力となって運動をすすめたのが全教・日高教、近高連である。
といりわけ、長野、山口、北海道などを先頭に各県高教組は、署名活動でも多数の署名を京都府高に送り励ましてくれた。
同時に、全国の民間労働者のたたかいも私たちの公務災害認定闘争や、労働安全衛生体制を職場に確立する上で大きな励ましを与えるものであった。
確定した電通最高裁判決は、
「長時間労働の継続などで、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者が心身の健康を損なう危険があることは周知のところである。労働基準法、労働安全衛生法は、このような危険の防止も目的とする。使用者は、労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」
と判断し、オタフクソース広島地裁判決は
「事業者には、労働環境を改善し、あるいは労働者の労働時間、勤務状況などを把握して、労働者にとって長時間または過酷な労働とならないよう配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面または精神面への影響も十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務を負っている」
と指摘した。
さらに最近の認定闘争における過労自殺裁判や認定判断では、精神疾患も含め、個人の自己責任ではないという判断も示されている。
裁判なしに公務災害を認めさせ
誰もが健康で安全に働けるための学校に
こうした情勢を背景に滋賀県で、養護学校の教職員三名の疲労蓄積性の疾病が基金支部審査会段階で公務災害と認められ、京都でも向ヶ丘養護学校の生路先生の「頸肩腕」と池田先生の「頸肩腕ほか」が京都府公務災害補償基金支部によって公務災害と認定された。
いずれも
「公務によるものであれば三ヶ月程度で治るはず」
という基金側の従来の主張をくつがえす認定事例となり、基金の段階で認定させた意義は大きく、学校で誰もが健康で安全に働けるための労使対等の労働安全衛生体制確立に生かす上で大きな力となった。
「学校の主人公は校長」と70人以上の組合員を学校から排除
9.不当人事を許さぬたたかい
1990年代に入って、各県では、不当人事が多発するようになった。
その背景には校長を中心とする管理強化を企図した職員会議の民主的運営の破壊や文部省の、改悪学習指導要領の押しつけ、日の丸・君が代の押しつけなどがあった。
とりわけ、京都では「学校の主人公は校長」と公言してはばからない教育長のもとで、反動教育行政の遂行を企図した職場支配のための不当人事が相次いだ。
京都府教委は、文部省言いなりの差別・選別の新しい高校づくりをすすめるため、嵯峨野高校では数年がかりで70数名いた京都府高の組合員を不当配転し、代わりにすべて未組合員を転入させるなどの暴挙を行った。
京都府高の抗議に当局は「たまたまそうなっただけ」と開き直り、交渉にも応じなかった。
90年代に入っても校長中心の管理強化で、文部省言いなりの学校支配を企図する京都府教委は、それまでの労組合意事項である「希望と納得の人事」を一方的に反故にし、全日制から障害児学校へ、聾学校から盲学校へ、全日制から定時制へなど、教職員の意向や専門性、通勤条件などを無視して「理解と協力」という名目で、不当人事を強行した。
人事委員会に提訴するなど「いのちの問題」であらゆる闘いが
京都府高は、これらのうち、80年代に起きた全日制高校から障害児学校に希望に反していきなり強制異動を発令された松梨、千本先生の両事案に加えて、90年代は、全日制高校から定時制高校に異動させられた則包先生事案、聾学校から養護学校に異動させられた岸本先生事案、全日制高校から養護学校に異動させられた若林先生事案を人事委員会に提訴してたたかった。
「人事は父母・府民の負託にこたえる教育に責任を持つ上でも欠かすことができない重要なことである、と同時に教職員が健康で安心して働くという観点から見ると『いのちの問題』でもある」
というのが提訴の理由であった。
不当人事を発令した張本人が人事委員会審理の審査長とは
しかし、松梨、千本事案の不当人事を発令した当時の教育長が人事委員会審理の審査長を務めるというこれらの審理に正義はなく、不当にもこれらの異議申し立てはいずれも却下された。
京都府高は人事異動期には、不当人事110番を設置するとともに、教育に責任を持つことと労働条件を守るという二つの観点を統一させる立場を堅持。
組合員を敵視し、それらのことをないがしろに有無を言わせぬ一方的な不当人事を繰り返す当局に対して次のような取り組みをすすめた。
不当人事阻止のための10か条
①あいまいな返事はしない。
②「異動範囲を広げて」に注意。
③校長の不当発言を軽視しない。
④必要な時にはメモをとる。
⑤校長の責任を曖昧にしない。
⑥不当なことは明らかにし、みんなの問題にする。
⑦「希望実現」で攻めよう。
⑧カギはみんなの団結力。
⑨それでもダメなら父母・地域に!。
⑩本部と分会の連携プレーで!)を提起し、たたかいをすする。
近畿の各高教組もそれぞれ、不当人事に対しては、お互い交流を深めるとともに、その狙いは何かなどを明らかにし、父母・府(県)民とも力を合わせ、敢然とたたかった。
要求は粘り強いたたかいで実現し 突然実現はしない
過去のたたかいの歴史を学び
学習を重ねると必ずそこには教訓がある
要求は粘り強いたたかいで、実現し、突然実現しない。
たたかいは常に過去のたたかいの歴史を学び、学習を重ねる。
そこには必ず教訓がある。
歴史の上に立ってたたかいをする。
相手の土俵で喧嘩をしない。
こちらの土俵に引きずり込む。
相手は、情勢が違うなどと、過去を消し去り、現在を強調する。
最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)が京都市教職員組合の組合員9名が2004年に京都市を相手取り、提訴していた超勤訴訟に対して、まったく不当な判決をおこないました、という全日本教職員組合(全教)書記長談話に対しても元府高委員長は、あえて、直接意見を述べ、提言をしている。
それは、あの日に言われた「仲間が……」ということから教職員のいのちと健康を守るために徹底した姿勢を貫いているからである。感銘を受ける。
2011年8月19日金曜日
「給特法」(国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)は最大の矛盾、教職員の過労死や公務災害が多発原因をつくった と元府高委員長が指摘しつづけている
山城貞治(みなさんへの通信63)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その43)
「次第に工業課程における危険性と安全対策が理解され、取り組みが大きく広がった。そんな時、卒業生が死んだのは「過労死ではないか」との報告がされ、府高委員長はすぐ取り組むよう指示。その問題を70歳を超えようとする今も取り組んでいる。」と前号で紹介した。
しかし、その時の委員長は、退任しても
「仲間が見殺したとも言える」
を胸に刻んで京都職対連などで多彩に取り組んできた。
しかし、元府高委員長は教員の労働時間について他の労働者とは違った形態に置かれてきた歴史的経緯を明らかにしない事には、多くの誤解と裁判での敗北を産むとしていくつかの文章を書いている。
他にも教員の長時間過密労働が「許されている現実」に疑問の質問も寄せられてきた。
教職員組合の中で「労働安全衛生法の活用」で、教員の長時間過密労働が食い止めらるという主張も圧倒的に多い。
だが、前号で紹介した「22歳の府立工業卒業生の過労死」問題は、
府立工業で労働安全衛生法のことが教えられていたら、労働安全衛生法を知っていた過労死を
防げたのだろうか。
労働安全衛生法にある詳細な法・法規が教えられていたら過労死は防げたのだろうか。
元府高委員長は、自問自答し悩み続けて、労働基準法と労働安全衛生法をセットで考えつつも労働時間と労働負担(精神的にも肉体的にも)を考え、それに歯止めをかけないと過労死は防げないと考えたようで、まず教員の労働時間について解説した文章を書いている。
長文なので一部を紹介するが、他の労働者との労働時間から考えれば理解しがたいところがあるかもしれない。
しかし、よくよく考えれば、本質的事態は同じである。
以下、「近畿高等学校教職員組合連絡協議会 略史 その5」に文章を寄せいた元府高委員長の文章の概略を紹介させていただく。
健康で安心して働き続けられる
労働条件確立のたたかい
1.教職員の時短闘争の歴史
教職員の長時間・過密労働を解消するたたかいは、幾多の困難と壁を乗り越えてきた歴史を持っている。
永年の労働者のたたかいによって1919年、ILO第1号条約として、国際的には、8時間労働制が採択されたが、日本政府は、その批准を拒否し続けた。
戦前は、絶対主義的天皇制のもと、「官吏服務規律」でも天皇の僕としての労働が強制され、時の政府には、「労働時間」という概念がなかった。
1946年11月、公布された新しい日本の憲法には、基本的人権の重要な柱の一つとして、その第27条第2項に、「賃金、就業時間、休息その他の勤務条件に関する基準は、法律にこれを定める」と規定され、これにともなって、1947年4月、労働基準法(以下、労基法と略す)が公布され、その第2条には、48時間労働制が、第3条には、時間外勤務をさせた場合の割り増し賃金の支払いが義務づけられた。
労働基準法はすべての労働者の労働基準だった
もちろん教職員も
当然のこと、教職員にもこれらの条項が適用されることになった。
しかし、依然として教職員の長時間勤務は解消されないままだった。
政府がそれを可能にし、保障する定数増などの教育条件の整備を長く怠り続けたことにその原因があったことはいうまでもない。
時間外勤務手当は、教員には支払われなかった
それなのに、労働基準法の定める時間外勤務に対する時間外勤務手当は、教員には支払われなかった。
その口実に政府は、教員の賃金が、一般公務員より高く改善されてきたことをあげていた。
教職員の超過勤務の実態を告発し
最高裁を含む各級裁判で勝利
政府は、1949年2月、「教員の勤務時間について」という文部次官通達を出すなどして、その矛盾を指摘されるたびに、矛盾を取り繕うとしたが、その内容は、長時間勤務の実態をごまかすものであり、不当なものだった。
その後、こうした矛盾を告発し、教職員の労働実態を解明する取り組みが全国的に広がり、人事院も「勧告」で必要な検討を指摘せざるを得なくなった。
また、全国の教職員は、一方では、裁判を通じて超過勤務の実態を告発し、最高裁を含む各級裁判で勝利した。
「給特法」(国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)
こうした情勢を踏まえて政府は、1971年予算案で初年度3か月分の財源として40億円を計上し、これを受けて人事院は、1971年2月8日、「義務教育諸学校等の教諭に対する教職調整額の支給等に関する法律の制定についての意見の申し出」を行い、これが「給特法」の骨格となった。
「給特法」の最大の矛盾と
労働基準法の適用をかたくなに拒み続けた政府の意図
2.「給特法」の制定
政府は、中央労働基準審議会の建議を経て、1971年2月16日、「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法案」(給特法)を国会に提出し、可決成立した。
国会では、
教員の職務と勤務の態様の特殊性とは何か。
その特殊性によってなぜ労働基準法の適用が除外されなけ
ればならないのか。
無定量の勤務に対する歯止めは何か。
調整額の性格は何か。
などが論議されたが、政府・文部省(現 文部科学省)は、「教員の職務と勤務の態様の特殊性」を口実に教員への労働基準法の適用をかたくなに拒み続けた。
「給特法」の最大の矛盾はここにあった。
教職員の職務の専門性と労働者としての
権利を統一的にとらえる
当時の日教組は、日高教とともに「測定可能な勤務には労基法37条の適用を、測定困難な勤務に対しては、定率の手当あるいは調整額の支給を」という「二本建要求」を対置してたたかった。
当初、日教組執行部の提案は、こうした見地に立たず、教職員の労働の職務の専門性を軽視し、労働者としての側面だけを強調した。
しかし、近畿の各県教組や高教組は、全国の一致する県教組や高教組とともに教職員の職務の専門性と労働者としての権利を統一的にとらえる「二本建要求」を粘り強く主張し、これが全国方針となった。
各県教組と各教育委員会とかわした協定は
無定量な超過勤務を認めないことは明確だった
「給特法」の実施に当たって、各県教組と各教育委員会とかわした協定では、教職員の無定量な超過勤務をなくすため、限定4項目(県によっては5項目)の協定を結ぶなどの歯止めをかけた。
しかし、根本解決をするための定数増などの教育条件の改善に取り組むことを約束しておきながら各教育委員会は、政府・文部省が教職員の定数改善をしないことを理由にその改善を先送りにし、教職員の多忙、超過勤務・長時間過密労働の実態は改善されないまま、ますますひどくなり、1980年代から、教職員の過労死や公務災害が多発するようになった。
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その43)
「次第に工業課程における危険性と安全対策が理解され、取り組みが大きく広がった。そんな時、卒業生が死んだのは「過労死ではないか」との報告がされ、府高委員長はすぐ取り組むよう指示。その問題を70歳を超えようとする今も取り組んでいる。」と前号で紹介した。
しかし、その時の委員長は、退任しても
「仲間が見殺したとも言える」
を胸に刻んで京都職対連などで多彩に取り組んできた。
しかし、元府高委員長は教員の労働時間について他の労働者とは違った形態に置かれてきた歴史的経緯を明らかにしない事には、多くの誤解と裁判での敗北を産むとしていくつかの文章を書いている。
他にも教員の長時間過密労働が「許されている現実」に疑問の質問も寄せられてきた。
教職員組合の中で「労働安全衛生法の活用」で、教員の長時間過密労働が食い止めらるという主張も圧倒的に多い。
だが、前号で紹介した「22歳の府立工業卒業生の過労死」問題は、
府立工業で労働安全衛生法のことが教えられていたら、労働安全衛生法を知っていた過労死を
防げたのだろうか。
労働安全衛生法にある詳細な法・法規が教えられていたら過労死は防げたのだろうか。
元府高委員長は、自問自答し悩み続けて、労働基準法と労働安全衛生法をセットで考えつつも労働時間と労働負担(精神的にも肉体的にも)を考え、それに歯止めをかけないと過労死は防げないと考えたようで、まず教員の労働時間について解説した文章を書いている。
長文なので一部を紹介するが、他の労働者との労働時間から考えれば理解しがたいところがあるかもしれない。
しかし、よくよく考えれば、本質的事態は同じである。
以下、「近畿高等学校教職員組合連絡協議会 略史 その5」に文章を寄せいた元府高委員長の文章の概略を紹介させていただく。
健康で安心して働き続けられる
労働条件確立のたたかい
1.教職員の時短闘争の歴史
教職員の長時間・過密労働を解消するたたかいは、幾多の困難と壁を乗り越えてきた歴史を持っている。
永年の労働者のたたかいによって1919年、ILO第1号条約として、国際的には、8時間労働制が採択されたが、日本政府は、その批准を拒否し続けた。
戦前は、絶対主義的天皇制のもと、「官吏服務規律」でも天皇の僕としての労働が強制され、時の政府には、「労働時間」という概念がなかった。
1946年11月、公布された新しい日本の憲法には、基本的人権の重要な柱の一つとして、その第27条第2項に、「賃金、就業時間、休息その他の勤務条件に関する基準は、法律にこれを定める」と規定され、これにともなって、1947年4月、労働基準法(以下、労基法と略す)が公布され、その第2条には、48時間労働制が、第3条には、時間外勤務をさせた場合の割り増し賃金の支払いが義務づけられた。
労働基準法はすべての労働者の労働基準だった
もちろん教職員も
当然のこと、教職員にもこれらの条項が適用されることになった。
しかし、依然として教職員の長時間勤務は解消されないままだった。
政府がそれを可能にし、保障する定数増などの教育条件の整備を長く怠り続けたことにその原因があったことはいうまでもない。
時間外勤務手当は、教員には支払われなかった
それなのに、労働基準法の定める時間外勤務に対する時間外勤務手当は、教員には支払われなかった。
その口実に政府は、教員の賃金が、一般公務員より高く改善されてきたことをあげていた。
教職員の超過勤務の実態を告発し
最高裁を含む各級裁判で勝利
政府は、1949年2月、「教員の勤務時間について」という文部次官通達を出すなどして、その矛盾を指摘されるたびに、矛盾を取り繕うとしたが、その内容は、長時間勤務の実態をごまかすものであり、不当なものだった。
その後、こうした矛盾を告発し、教職員の労働実態を解明する取り組みが全国的に広がり、人事院も「勧告」で必要な検討を指摘せざるを得なくなった。
また、全国の教職員は、一方では、裁判を通じて超過勤務の実態を告発し、最高裁を含む各級裁判で勝利した。
「給特法」(国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)
こうした情勢を踏まえて政府は、1971年予算案で初年度3か月分の財源として40億円を計上し、これを受けて人事院は、1971年2月8日、「義務教育諸学校等の教諭に対する教職調整額の支給等に関する法律の制定についての意見の申し出」を行い、これが「給特法」の骨格となった。
「給特法」の最大の矛盾と
労働基準法の適用をかたくなに拒み続けた政府の意図
2.「給特法」の制定
政府は、中央労働基準審議会の建議を経て、1971年2月16日、「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法案」(給特法)を国会に提出し、可決成立した。
国会では、
教員の職務と勤務の態様の特殊性とは何か。
その特殊性によってなぜ労働基準法の適用が除外されなけ
ればならないのか。
無定量の勤務に対する歯止めは何か。
調整額の性格は何か。
などが論議されたが、政府・文部省(現 文部科学省)は、「教員の職務と勤務の態様の特殊性」を口実に教員への労働基準法の適用をかたくなに拒み続けた。
「給特法」の最大の矛盾はここにあった。
教職員の職務の専門性と労働者としての
権利を統一的にとらえる
当時の日教組は、日高教とともに「測定可能な勤務には労基法37条の適用を、測定困難な勤務に対しては、定率の手当あるいは調整額の支給を」という「二本建要求」を対置してたたかった。
当初、日教組執行部の提案は、こうした見地に立たず、教職員の労働の職務の専門性を軽視し、労働者としての側面だけを強調した。
しかし、近畿の各県教組や高教組は、全国の一致する県教組や高教組とともに教職員の職務の専門性と労働者としての権利を統一的にとらえる「二本建要求」を粘り強く主張し、これが全国方針となった。
各県教組と各教育委員会とかわした協定は
無定量な超過勤務を認めないことは明確だった
「給特法」の実施に当たって、各県教組と各教育委員会とかわした協定では、教職員の無定量な超過勤務をなくすため、限定4項目(県によっては5項目)の協定を結ぶなどの歯止めをかけた。
しかし、根本解決をするための定数増などの教育条件の改善に取り組むことを約束しておきながら各教育委員会は、政府・文部省が教職員の定数改善をしないことを理由にその改善を先送りにし、教職員の多忙、超過勤務・長時間過密労働の実態は改善されないまま、ますますひどくなり、1980年代から、教職員の過労死や公務災害が多発するようになった。
2011年8月16日火曜日
22歳の府立工業高校卒業生の過労死 教職員は黙ってはいられない
山城貞治(みなさんへの通信62)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その42)
(21)工業課程を置く学校では、特に工業用の安全衛生基準と安全衛生マニュアルをつくり十分な安全対策を講じさせる。
について、はアスベストのところでも明らかにしたが、工業課程では学科があり、さまざまな機器が設置されていた。学校はまさに「工場」であり、そこで学ぶ生徒も教職員も安全対策は最優先のことであったが、安全対策は極めて不充分であった。
労働安全衛生対策委員会のメンバーや府高労働安全衛生学習会で得たことを基にひとつひとつ安全対策が要求され、大規模改善も行われるようになっていく。
例えば府立G府立工業課程で、京都府人事委員会の立入調査で「アーク溶接によるじん肺対策が行われていない。」ということを「教職員のためのいのちと健康と労働」紙上で掲載したところ、「アーク溶接によるじん肺」について知りたいとの問い合わせがあった。
そこで、「アーク溶接によるじん肺対策」を「教職員のためのいのちと健康と労働」紙上で掲載するなどしたところ、次第に工業課程における危険性と安全対策が理解され、取り組みが大きく広がった。
そんな時、卒業生が死んだのは「過労死ではないか」との報告がされ、府高委員長はすぐ取り組むよう指示。
その問題を70歳を超えようとする今も取り組んでいるので紹介したい。
なぜなら京都府高は「学校がよみがえる労働安全衛生」(文理閣発行)を作成し、教職員の労働安全衛生は、生徒の労働安全衛生に直結していたからである。
22歳の府立工業卒業生の過労死
教職員は黙ってはいられない
現在この中田過労死事件は、裁判で争われているが、その概要を紹介するために弁護士宮本平一氏の文章を紹介させていただく。
22歳の若者の死亡(中田過労死事件)提訴 弁護士宮本平一
事案の概要
故中田衛一君(1978年(昭和53)年生)は、1997(平成9)年3月、福知山市内の京都府立工業高校を卒業して、4月からトステム綾部株式会社(住宅建築用内装資材の製造及び販売等を目的)に勤務した。
そして、製品検査の仕事を経て、1998(平成10)年10月から、DSジャストカットライン(ドア枠加工のラインの中の受注生産ライン)の作業に従事していた。衛一君は、昼夜勤の勤務を継続していたが、2001(平成13)年6月16日、夜勤明けにて自宅で就寝中のところ、母がその異変に気付き、救急車にて福知山市民病院に搬送したものの、同日午後6時30分、同病院にて急性心不全により、22才の若さで死亡した。
提訴までの経過
衛一君の両親は、2002(平成14)年4月9日、福知山労働基準監督署に対し、過労死として労災補償請求をしたが、翌2003(平成15)年3月28日業務外とされた。 そこで京都労災補償保険審査会に審査請求をしたが、同年11月26日同審査請求は棄却された。
そのため再審査請求をなしているが、未だ決定は出ていない。
本件は、災害発生から既に9年間経過していること、被告には労働契約上の安全配慮義務違反(二交替勤務制の下での長時間労働、過酷な職場環境、緊張する作業内容等)の過失があるので、本年6月12日、京都地方裁判所福知山支部に、金1億0143万1200円の損害賠償請求の提訴となった。
両親の思い
長男である衛一君は、「若者の職場」と言われていた被告会社に入社した。
子供の頃から優しく穏やかな性格で、お年寄りにその荷物を持ってあげたり、わざわざ車を降りて、危ないからと道路を渡らせてあげたりして感謝された。又真面目かつ責任感が強く、職場の同僚からも、壊れた機械を一生懸命修理、仕事のミスも、「大丈夫ですよ」と声をかけてもらったとの話しもあった。
衛一君の生産ラインは、受注生産による即納体制にあり、「残業はあって当然」「その日のうちに帰宅できれば良い方」という長時間理労働が恒常化しており、複数の親からの訴えで、監督署も再三立ち入り調査に入っていた。
又、職場は、切り粉が舞い、冷暖房は定時に切れ、立ちっぱなしで、力とスピードと精密さを問われ、又派遣社員を指導しながらの能率アップが必要であった。
辞めていく同僚もある中、衛一君は、休みたくても、同僚や自分への負担を考え「やっぱり休めん」と言って出勤し、自分の体を酷使して働いていた。
楽しみにしていたスノーボードに行く気力もなくなり、淡い恋心を抱いていたメル友のゆうさんへのメールさえ、打ちながら眠ってしまう有様だった。
そして、入社時に90キロあった体重も、死亡当時には72キロまで激減していた。
さらに2000年秋頃から胸に異常な感覚を訴えるようになり、又爪の色が紫色になったり、足の感覚が無くしびれているようになったりしていた。
そして帰宅後も胸を抱え込んでぐったりして動かない事や、ふさぎこむ事しばしばあり、食事もとらないで、自室に閉じこもる事も多くなっていた。
会社の同僚も、痩せて青い顔をしている衛一君に対し、「まじ、やばいんちゃう」という話までするようになった。
看護士でもある母親が、「そんな働きかたしていたら過労死するで」とまで言っていた矢先の死亡であった。
冷たくなっている息子に、半信半疑で、「あのとき言っておけば」と自問自答しながら息を吹き込む親の気持ちを考えてほしい。
一時も手を握って看てやることもなく、大切なかけがえの無い息子を奪われ、本当に無念でたまらない。
会社側は、一言の謝罪も無く使い捨ての様に終わらせようとした。22歳の息子の死を決して無駄にはしないでほしい。
第1審は負けたが 高裁判決めざして
ところが、2011年5月25日死亡は過労死として同社に損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、京都地裁であり、大島眞一裁判長は、原告の請求を退ける判決を下した。
このことに対して府高元委員長は、次のような文章を京都職対連顧問として投稿している。
いつも怒りを覚える
過労死した子どもを
なぜ遺族がなぜ証明しなければならないのか
不当判決
5月25日、京都地裁で、「中田過労死裁判」の判決があった。
中田君のお母さんは、遺影を胸にしっかりと抱きしめ、判決を待ったが、判決内容は「原告の請求を棄却する」という心も凍る冷たい不当判決だった。
それにしても、この種の裁判で、いつも怒りを覚えるのは、過労死をした遺族がその働き方を証明しなければならないことだ。
今度の判決でも、裁判所は、正規のタイムカードもなく、会社側が、管理職にこっそりとメモ程度に記録させておいた、それも残業時間をごまかしているような労働時間を採用して判断した。
私に言わせれば、タイムカードも設置せず、労働者に無定量の働かせ方をしている企業に対しては、それだけでも裁判所は、企業の不当性を断罪すべきである。
報告集会では、佐藤弁護士や村山弁護士をはじめ担当弁護士、支援する方々、中田君のご両親が不当判決に対する怒りとともに、裁判の展望を語っておられたが、私たちは、京都地裁で負けても、大阪高裁で逆転勝利判決を勝ち取った「大日本印刷 中居過労死裁判」勝利の歴史を持っている。
「あきらめたらあかん」を読み直してみたら
瓜二つの裁判 許されない
16年の裁判記録「あきらめたらあかん」を読み直してみたが、相手が大独占であったことといい、企業側が労働実態を隠し続けたことといい、また、2交代制の勤務であったことといい、瓜二つの裁判である。
この判決内容を逆転負けした京都地裁の裁判長に知らぬとは言わせない。
「中田裁判」の医学的な解明に加えて、「中居裁判」における「吉中証言」など、判決内容に裁判官が一度でも目を通す良心があったのなら、こんな判決文は書けるはずがない。
過去の「判決」に逆行するという点でも、今回の京都地裁判決は二重に不当判決といえる。
しかし、私たちは、司法の反動化が進む中でも、「中居裁判」では、大阪高裁で、京都地裁の不当判決を見事に覆した。
中田君のご両親は、即、控訴されたという。
花々が咲き誇る時期に 判決に負けない決意
と徹底した労働安全衛生を誓う
今年の6月16日は、中田君の10回目の命日である。
私たちは「中居勝利判決」に学ぶとともに、京都地裁の不当判決なんかに負けるわけにはいかない。
4月に入ると、個人のお宅の玄関先や各地の畑でもチューリップが見られ、小さいものや大きい花びらを持つものなど、どれも心を和ませてくれた。
このチューリップ、気温の変化には敏感で、気温が20度以上だと花は大きく開き、気温が10度以下になってしまうと閉じてしまう。
二~三日暖かい日が続いたかと思うと、急に冬に逆戻りしたかのような寒い日があると、チューリップは花を閉じてしまう。
一日単位でも、温度差がある日だと、開いたり閉じたりということになる。
チューリップが面白いのは、温度差で開いたり閉じたりするのであって、日中は開いて夜間は閉じているなどということではないことだ。
夜間でも20度以上だと花は開いている。ただ、今年のように暖かいのか、寒いのか良くわからない日が続くと、開いていいのか、閉じなければならないのか、チューリップも大いに悩んだのかもしれない。
さらに、元府高委員長は全教(全日本教職員組合)に対してもズバリ過労死をなくす取り組みの弱点を指摘していた。
2011年8月13日土曜日
1997年に出された京教組養護教員部の養護教諭のための労働安全衛生Q&A
山城貞治( みなさんへの通信 61)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その41)
「1997年に出された京教組養護教員部の
養護教諭のための労働安全衛生Q&A」
「教職員のいのちと健康」(1998年2月)より転載。
最近府下各地教委などが管理職を衛生管理者(衛生推進者)にしたり、養護教諭や体育教諭を衛生管理者(衛生推進者)にする動きがあります。
また第2回府高分会労働安全衛生担当者会議でも養護教諭が衛生管理者になることについての意見も出されています。
そのため京教組養護教員部の了解のもとに京教組養護教員部が1997年12月に出した「Q&A」を2回にわたって転載します。
ぜひ、この問題を学習して下さい。なおこの「Q&A」へのご意見は、京教組養護教員部までお寄せ下さい。
養護教諭のための労働安全衛生Q&A
京都教職員組合養護教員部発行(その1)
1.Q&Aをより理解するために
① 労働安全衛生とは労働者が労働することにより、けがや病気になったり生命を亡くすようなことがないようにするするためのすべてのこと(予防)をいいます。
そのため労働者が仕事をすることによりけがや病気や死ぬことがあったりすれば、それはすべて働かせている側や労働の場を提供している側(労働基準法では使用者・労働安全衛生法では事業者)にすべての責任があるということです。
したがって、働かせている側は労働者が労働することによって、病気やけがや死ぬことがないよう、あらゆる手だてを行わなければならないのです。
ところが労働衛生と労働安全衛生法ということばがよくにていることばであるため、労働衛生=労働安全衛生法と誤解され理解されていることがよくあります。
しかし、これはまったく大きな誤りです。
くわしくは「教職員のための労働安全衛生入門」を読めばよくわかっていただけると思います。
② 養護教諭が安全衛生管理者もしくは、安全衛生推進者になる問題については、労働安全衛生法上及びその規則の一部に基づくものですが、少なくとも労働安全衛生法の問題について以下の点だけは十分理解し考えておく必要があります。
労働安全衛生法の問題点については、「君は元気に働いているか-職場安全衛生活動の手引き-」(日本機関紙出版センタ-・以下「君は元気に働いているか」)には次のように書かれています。
安全衛生管理の責任は、事業者にあることは法律で規定されています。
すなわち、労働安全衛生法(労衛法)は事業者が労働者の安全と健康を守る義務として法律(最低基準)を守ることと、労働条件の向上と快適な職場環境の形成を明示しています。
しかし、1972年、労働基準法(労基法)の見直しの一つとして作られた労働安全衛生法は、「労基法と相まって」とは書いてありますが、労働者のいのちと健康を守る権利を保障していません。
労働者が職場の危険を知る権利、調べる権利、拒否する権利、逃げる権利、学習する権利、専門家の意見を聞く権利、監督官に抜きうち立ち入り調査させる権利などを保障していません。
また、労働者の生存権や労使対等の参加なども保障されていないため、安全衛生の手抜きのまま新しい工法や技術や機械が一方的に導入されています。労働組合や現場の労働者のチェックが無視されています。
以上の問題点などは、労働安全衛生にたずさわる専門家の常識的な理解であって労働安全衛生法だけでは教職員のいのちと健康は守れません。
たとえば過労死の問題を考えてみても長時間労働による死亡などは労働基準法とも関連するなど、労働安全衛生法上だけで解決できないことは明らかでしょう。
私たちが労働安全衛生法に依処しても、支配するもの(国、行政、検察、警察などの権力)が自分たちの都合のよい法律だけを楯(たて)にとって、進めてくることは今までの民間・自治体労働者の労働安全衛生闘争の経験からもわかっていることです。
ではどうすればよいのでしょうか。
それは私たちが組合として、教職員のいのちと健康を守る要求を統一し団結して闘ってこそ、いのちと健康が守れるのです。
戦前の産休の闘いからも、そのことは明らかです。
③ 労働基準法、労働安全衛生法はほとんどの企業が違反をしており、それを監督指導する労働基準局は事実上の黙認を行っているのは広く知らされているところです。
法違反の罰則等がありますが、それが適応されるのは死亡事故や大災害があって、社会問題になって起訴され裁判で判決がくだされる時のみ適応されるという、いわゆる「ザル法」になっています。
だからといって、私たちがその違法を見逃してはならないのは言うまでもないでしょう。
私たち教職員の場合は、地方公務員法で労働基準法と労働安全衛生法の違法を摘発し指導するのは、府立学校においては寄宿舎を除いては京都府人事委員会、京都市立校などは主に京都市人事委員会、各市町村立小中学校においては、各市町村が労働基準監督所と同じ役割を果たすとなっています。
しかし京都府人事委員会などは、20数年前から教育委員会や学校現場が休憩休息、時間外勤務、健康診断等、死亡報告、安全対策、労働安全衛生体制などなどの労働基準法や労働安全衛生法に数多く違反していると指導(自分がした違法行為を自分で徹底した監督指導をするはずがないのです。)していますが、直接関係する教職員にはすべて知らせず(行政間のなれあい)ごまかされていることは知っておくべきでしょう。
2.養護教諭のためのQ&A
Q1.「衛生管理者になってくれないか」と校長に言われたらどう答えるの?
養護教員部がいつも明らかにしていた「誰のための、何のための」ということをまず頭におきましょう。
そして、「衛生管理者は、誰のための衛生管理者か。
どんなことをするのですか」と聞き、メモをとっておきましょう。
このことは後になって問題が起こったときなど仕事の内容にかかわる重要な証拠になります。
衛生管理者や、衛生推進者には仕事がありますがその仕事はその時々の行政の解釈の仕方でどうにでも理解されるところがあります。
そのため、衛生管理者、衛生推進者の仕事を受ける場合は、まず管理職等に言われたことを養護教諭の仲間と交流し、相談することが大切です。
断ることは自由です。
職務命令で衛生管理者、衛生推進者を命ずることはできません。
それは学校教育法28条「児童生徒の養護を司る」のが養護教諭の仕事であることが法律上明記されているからです。
したがって、教職員の労働と安全にたずさわる責任は、全くありません。
その責任は、事業者にあるのです。
しかし、いったん引き受けるとなしくずし的に仕事を私たちに押しつけ「職務命令」の対象にさせられる危険性はあります。引き受ける場合は必ず、養護教諭を増員してもらうことです。
これは当然組合本部として要求する事項でしょう。
なぜなら本来の仕事でないことをさせられるのですから、本来の仕事をする人を加配するのは当然のことです。
また自分ができないことまで引き受ける事のないようにしましょう。引き受けて、管理職があれやこれやと仕事を増やしてきたら養護教員部まで連絡してください。
この問題について専門的にやっておられる研究者が多くおられますので協力していただき、専門的にアドバイスがいただけますし、教職員組合も不当なことについては闘いを強めてくれます。
ただ注意してほしいのは、衛生管理職、衛生推進者というのは事業者責任で行われる労働安全衛生をすすめるためのスタッフであり事業者側ではありません。
そのためすべての責任は事業者にあるので、自分の責任と思わないようにしましょう。
衛生管理者、衛生推進者になった場合は府と市は人事委員会に、小中は各市町村にそれぞれ届けることが義務づけられています。
Q2.養護教諭は衛生管理者になれるんですか。又衛生推進者とどう違うの?
労働安全衛生上はなぜか「学校に限ってのみ養護教諭と保健体育教諭は衛生管理者になれる」と定めています。(養護教諭などで衛生管理者の免許を持っている人以外は、他産業では衛生管理者として通用しません。)
この背景には、教職員を他の労働者と違うのだという意識的政策をつくることによって、教育を支配していくため、 また生徒たちに労働者意識をうえつけないための意図があったのではないかという研究者の指摘がありますが、ともかく法律上なれることになっています。
労働安全衛生法上では衛生管理者は免許がいり、衛生推進者は免許がいらないとなっていますが、すでに述べたように学校に限ってはきわめてあいまいな状況になっています。
ある管理職が言うところによると「一夜づけで衛生管理者の試験に合格した。○×だから簡単や。労働衛生なんか忘れてしもたわ」と言っています。
衛生管理者の試験は国家試験で難しいと思われるむきがありますが、必ずしもそうではないようです。
問題なのは衛生管理者、衛生推進者として十分活動できるよう時間やお金や学習する機会が保障されるのかどうかということです。
また衛生管理者、衛生推進者の意見が十分反映できる状況がつくられているのかどうかということです。
「君は元気に働いているか」(同上)には、衛生管理者と衛生推進者について以下のように書かれています。
衛生管理者
1,衛生管理者はどんな業種でも50人以上の労働者がいる事業場に専任者がいなければならない。
2,衛生管理者は都道府県労働基準局長の免許が必要であること。(注*学校は例外とされている。)
3,衛生管理者の職務は、少なくとも毎週1回作業場を巡視し、設備・作業場・休憩室・食堂・便所等や作業方法を点検し、衛生上や労働者の健康障害になる問題点があれば、直ちに必要な措置を講じなければならないこと。
4,衛生に関する技術的事項としては、
イ、健康に異常のある者の発見及び処置。
ロ、作業環境の衛生上の調査。
ハ、作業条件、施設等の衛生上の改善。
ニ、労働衛生保護具、救急用具の点検及び整備。
ホ、衛生教育、健康相談その他労働者の健康保持に必要な事項。
へ、労働者の負傷および疾病、それによる死亡、欠勤および移動に関する統計の作成。
ト、その他衛生日誌の記録等職務上の記録の整備等。
5,月一回の安全衛生委員会で衛生管理者としての活動を報告する。
衛生推進者
1,10人以上50人未満の事業場で選任しなければならない。
2,衛生推進者等の職務は、
イ、施設、設備等(安全装置、労働衛生関係設備、保護具を含む)の点検および使用状況の監視、ならびにこれらに基づく必要な措置に関すること。
ロ、作業環境の点検(作業環境測定を含む)および作業方法の点検並びにこれらに基づく必要な措置に関すること。
ハ、健康診断および健康保持増進のための措置に関すること。
ニ、安全衛生教育に関すること。
ホ、異常な事態における応急措置に関すること。
ヘ、労働災害の原因の調査および再発防止対策に関すること。
ト、安全衛生情報の収集および労働災害、疾病・休業等の統計の作成に関すること。
チ、関係行政機関に対する安全衛生に係わる各種報告、届け出等に関すること。
以上の仕事をするためにも行政・教育委員会は充分な人的裏付け、財政的裏付け、時間的裏付けを保障しなければならないのは、言うまでもないでしょう。
養護教諭のための労働安全衛生Q&A
京都教職員組合養護教員部発行(その2)
Q3.衛生管理者になっても「今までしてきてくれた仕事と変わりない」と言われましたが本当ですか?
今まで通りと思われる場合もあるとおもいますが、事故等が起きた時には責任が問われることがあります。
また、最初だけ今まで通りで、後になって事業者や管理職のする仕事まで押し付けられることも考えられます。
その場合は、養護教員部と養護教諭みんなと相談し、改善を求めましょう。
いまこそすべての養護教諭に京教組養護教員部に入ってもらい、いっしょに「いのちと健康を守る」取り組みを展開しましょう。
Q4.京都市教委は教頭を衛生管理者(推進者)にしていますが、養護教諭がなるのとどうちがうの?
京都市教委は、教職員のいのちと健康を守るのではなく教職員支配のために衛生委員会及び衛生推進者を利用しようとしていることは明らかです。
企業では安全衛生体制は、しばしば労働者の首きり、リストラ、事故かくし、労使協調に利用されています。
そのことを知ったうえで、京都市・京都市教委は管理職を衛生管理者、衛生推進者にしようとしているのです。
産業医も京都市教委の意図する医師を選んでくることが考えられます。
このことも大きな問題があります。
先進国ではその場合、労働者が拒否する権利を設けている国もあります。
他府県では管理職が衛生管理者になったら教職員の健康がすべて知られて、いじめや嫌がらせを受けているところもあるそうです。
以上のことから養護教諭がなって教職員の立場に立った衛生と安全を考えるのと、行政や教育委員会の立場に立って衛生と安全を考えるのと決定的な違いがあります。
教職員の健康と安全に力をかしたいと思う場合は、労働組合が推薦する安全衛生委員になるのもひとつの方法です。
Q5.仕事が増えて今までの養護教諭の仕事ができなくなる心配があるけどどうすればいいの?
人も増やさず衛生管理者、衛生推進者の仕事をさせるのは断りましょう。
Q6.養護教諭が衛生管理者になったら職場の人達にどう広めていったらいいの?
教職員の労働安全衛生の取り組みの経験は蓄積されていません。
そのため、職場の教職員のいのちと健康を守る要求を実現する取り組みを、すすめていけばいいのです。
そして、学校として改善しなければならない点は、管理職に堂々と衛生管理者、衛生推進者の立場から主張すればいいのです。
それが通らなければ当然労働組合の交渉と闘いをすすめるようにしましょう。
これは憲法に保障された当然の権利です。
Q7.産業医とか健康管理医とかどういう役割なの?
「君は元気に働いているか」(同上)には、産業医について以下のように書かれています。
産業医は、労働衛生の専門的知識から職場を巡視するとともに、健康相談や健康診断を通じて労働者の健康状態を把握したうえで、事業者、総括安全衛生管理者、安全衛生委員会に職場改善を助言、勧告する役割を果たさなければなりません。
(1)産業医が専属で必要なところ
どの職場でも産業医が決められていなければなりません。(だだし50人以上)が、とくに次の職場では専属の産業医が必要です。(則第13条2)
① 常時1000人以上の労働者がいる職場(3000人以上は複数)
② 常時500人以上の労働者がいる職場で有害業務を行っている事業場
(2)産業医の職務(則第14条、第15条)
① 健康診断やその結果に基づく労働者の健康を保持するための措置に関すること
② 作業環境の維持管理に関すること
③ 作業管理に関すること
④ 健康教育・健康相談・健康障害の原因調査と再発防止に関する措置や勧告
⑤ 衛生教育に関すること
⑥ 少なくとも月一回作業などを巡視し、健康障害の防止の措置を講ずること。
⑦ 安全衛生委員会に出席し、活動を報告し、意見を述べる。
⑧ これらについて事業者または総括安全衛生管理者に対し勧告し、衛生管理者を指導し助言する。
(3)産業医の選任が名目だけになっている職場が多い。
産業医は、現場や労働衛生についての関心や知識、責任感、行動力が必要で、同時に労働者との交流が必要です。
労働者は自分の職場の産業医が誰なのか、その産業医はその職務をやっているのかを点検し、やりにくい障害があれば対策を考える必要があります。50人未満の事業所でも産業医は必要です。
また、「健康管理医」という名前で職務を縮小しているところがありますが、これは法に反しています。
(4)学校では校医が産業医の職務を行えば産業医を別に定めなくてもよいことになっています。(則13条2項)しかし、校医のほかに産業医を選ぶことも自由です。
(注)労働省も30人以上の職場におくなど産業医制度の見直しの作業を始めています。また、医師会などで講習会が行われていますが、たえず労働衛生の進歩についての学習が必要です。
Q8.安全委員会とか衛生委員会とかいってるけど、どういう役割なの?
労働安全衛生法上で安全委員会、 衛生委員会及び安全衛生委員会は定められていますが、教職員の労働から考えて安全と衛生は切り離せません。
公務員の中で特に教職員の災害が多いのはどうしてでしょう。
警察よりもはるかに多く災害を受けているのは、教育という仕事と重大なかかわりがあることは明らかです。そのことから安全対策抜きにできません。
また、安全と衛生は表裏の関係で、今日の教職員の病気や災害、死亡などを考えてみても、どこからどこまでが安全か、衛生かの区別などできないでしょう。
したがって労働安全衛生法の安全委員会と衛生委員会と合わせた安全衛生委員会が必要になりますが、この安全衛生委員会ができれば労働安全衛生が進んだということではけっしてありません。
形を作っても中味がなければ何もなりません。
安全衛生委員は事業者と労働者の意見が一致しなければ決定することもできませんし、決定したことが法的拘束力もありません。
だから安全衛生委員会ができたからといって、労働衛生がすすむわけではないのです。
他府県では組合員を排除した衛生委員会がつくられ、教育委員会の言いなりの「心の持ちようによる健康」が進められています。
しかし教職員組合が闘いを背景に、安全衛生委員会に参加すれば一定の要求も実現するし、調査や立ち入り等も可能になります。
このことをしておかないと、安全衛生委員会を通じて組合が労使協調路線に走ってしまいかねません。
労働安全衛生法成立後、多くの労働組合が衛生委員会や安全衛生委員会ができたことによって安全と健康の問題をすべて安全衛生委員会などにゆだね、生命と健康を守る闘いが弱まったと言われています。
私たちはその歴史的教訓をふまえ、新しい真に教職員のいのちと健康を守る運動をしていく必要があります。
京都府人事委員会は「衛生委員会、安全衛生委員会は調査審議機関である」という解釈をしています。
これは行政の通例解釈です。
したがって安全衛生委員会を労働衛生をすすめていく中心的機関とは考えていません。
実態は、健康診断日程を決めたり、調査するに過ぎません。
安全衛生委員会をつくった自治労連の多くの組合は、安全衛生委員会では多くの限界があり交渉や闘いを背景にしたほうが問題の解決が早いとも言われています。
労働安全衛生法には安全衛生委員会の設置は義務ずけられていても、その運営決定は一切法的には義務付けられていません。
なお、衛生管理者、衛生推進者は、安全衛生委員会のもとには置かれません。あくまでもスタッフであることを注意しておきましょう。
女性教職員が教育に責任を持ち、かつ、健康を保ち、母性を保護しながら働くことができるように
山城貞治(みなさんへの通信61)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その40)
動きが速かった女性部の母性保護の取り組み
「母性保護を生後から死ぬまでの間で捉えていかなければならない。」
「更年期障害は、生理休暇を取っていたかどうかと大きく関わる。調査では、生理休暇を取れなかった女性ほど更年期障害がひどい、という結果が出ている。」
「母性保護という言い方ではなく、女性保護ではないのか。」
などの討論を経て府高女性部は、次のような要求を府教委に突きつけていく。
府高女性部要求書 2006年2月
京都府教育委員会
委員長 藤田 晢也 様
教育長 田原 博明 様
女性教職員が教育に責任を持ち、かつ、健康を保ち、母性を保護しながら働くことができるように、以下の点を強く要求します。(注:以下要点を掲載。この要求は労働安全衛生政策作成時に付加されて、2006年以前からも続けられている。)
事業者責任において、年次休暇・生理休暇をはじめとする諸権利を安心して行使できるような教職員定数にしていただきたい。 本来正規採用すべき「定数内」(臨時的任用)については、ただちに正規職員を任用していただきたい。
2.事業者責任において、各職場における教職員の健康状態・勤務状態の実態を把握すると同時に、健診結果にもとづく適切な事後措置を指導区分提出後遅くとも1ヶ月以内に講じていただきたい。 「労働軽減」などの措置区分が実行可能となるよう、講師配置などの措置を講じていただきたい。
また健康上の理由でプールに入れない教員がいる学校に水泳指導補助教員を配置していただきたい。
3.病気休暇後に無理なく勤務に復帰できるよう、リハビリ勤務の制度を拡充していただきたい。 3ヶ月以上の病休復帰1名から軽減講師を配置するとともに、すべての職種を対象にしていただきたい。
4.介護休暇制度を拡充していただきたい。 短期間でも講師を配置していただきたい。
どの時期からも連続して一年間とれるように期間を延長していただきたい。
年間10日の家族看護のための特別休暇を新設していただきたい。また、管理職が介護休暇制度について熟知し、手続きが速やかに行われるよう指導していただきたい。
5.更年期障害休暇を特別休暇として制度化していただきたい。 実態に応じて、労働時間の軽減、軽減講師の配置等の措置を講じていただきたい。
6.事業者責任でメンタルヘルス対策を講じていただきたい。メ ンタルヘルスの悪化を引き起こす過重労働の解消、管理・監督者への教育、早期発見・治療や再発防止への対策など、実効あるメンタルヘルス対策を講じていただきたい。
7.事業者責任ですべての女性教職員を対象にしたX線による乳ガン検診・子宮体ガン頸ガン検診・骨粗しょう症検診を実施していただきたい。 当面、現行の共済組合の実施している「乳がん・子宮頸がん検診事業」対象の健診機関を大幅に拡大するとともに、指定の健診機関以外でも婦人科健診を受ける場合、専免を適用していただきたい。
8.すべての職種の女性教職員に対して、妊娠判明時から産休までの全期間、労働軽減のための軽減講師を配置していただきたい。 当面、時に危険な作業をともなう現業職員及び化学薬品を扱う教科の教諭及び「実習助手」に軽減講師を配置するとともに、障害児学校でのいわゆる「中抜き」をやめ、全期間軽減講師を配置していただきたい。
9.育児休業中の有給保障を国の責任で行うよう働きかけるとともに、育児時間についても、1日2時間とし、生後3年まで延長していただきたい。 同時に労働軽減措置を講じ、軽減講師を配置していただきたい。
「子育て休暇」が真に「子育て支援」になるよう、従前の授業参観特休などの権利を網羅して、内容の充実(取得日数延長・対象を高校まで引き上げ)をはかられたい。
10.臨時教職員の労働条件を改善していただきたい。 教員採用にあたって、講師経験が生かされるよう優遇措置をはかられたい。
特休・介護休暇・介護欠勤・育児休業を臨時教職員にも適用していただきたい。
臨時教職員の公務上・公務外を問わず、病気休暇に代替講師を配置していただきたい。
妊娠軽減講師にも「解雇予告」を適用していただきたい。
障害児学校に配置されている看護師にも妊娠判明時から軽減講師を配置していただきたい。
産前休暇期間の延長、無給を有給にするなどの改善をしていただきたい。
11.「人事異動方針」の「通勤時間片道1時間半」を「往復1時間以内」に短縮していただきたい。 特に育児・介護を行う教職員については、事業主の配慮を義務づけた「育児介護休業法」第26条を遵守していただきたい。また、希望人事の実現をはかっていただきたい。
12.すべての職場(定時制・通信制はそれぞれ独自に)に、男女別休養室、男女別更衣室、洋式トイレ、教職員や児童生徒の実態に応じてエレベーターや手すりを設置していただきたい。 休養室については、クーラーを設置し、全ての職種の教職員が利用しやすい条件を整えていただきたい。
また、すべての職場で徹底した分煙のための施設・設備を整備していただきたい。
13.セクシュアル・ハラスメントのない職場づくりは管理職の責務であるという基本に立って、管理職を指導していただきたい。 セクハラが起こった時に、生徒も含めて安心して相談できる被害者救済の立場にたった相談窓口を設置し、被害者の人権を守る立場で対応していただきたい。
養護教諭が健康で生き生きと働き続けられるため
また、様々な悩みや、健康発達上の課題を抱えて
養護教諭のところにくる子どもたちの要求に答え
その生命と健康を守り育てることができるよう
と府高養護教員部も要求
府高養護教員部要求書も府教委に要求書を提出している。
その一部を掲載する。(注:労働安全衛生政策時から要求している。項目も多い。母性保護の項だけ掲載する)
養護教諭が健康で生き生きと働き続けられるため、また、様々な悩みや、健康発達上の課題を抱えて養護教諭のところにくる子どもたちの要求に答え、その生命と健康を守り育てることができるよう、下記要求事項に誠意をもって応え、早急な解決がはかられるよう、強く要望します。
II.母性保護について
1. 養護教諭の妊娠にあたって、流産、早産をはじめとする妊娠・出産異常の多発の状況を改善するため、真の母性保護の観点に立ち、妊娠時の指導軽減措置(養護教諭の免許を有する人) については、妊娠初期より、生徒数、時期の制限をなくし、全ての養護教諭(複数配置校を含む)に保障されたい。
2. 病休(1カ月未満も含む)、産休、育休の代用にも備えて、有免者を常に確保されたい。
3. VDT機器の電磁波防御の設備をはじめ、母性保護の視点での施設・設備対策をはかられたい。
4. 生理休暇が気兼ねなく取得できるよう条件整備をはかられたい。
5. 更年期における体調不良に際し、更年期障害休暇の確立をはかられたい。
衛生管理者については、資格があることを理由に保健体育教師や養護教諭に任務を強要することなく、の要求の背景
多くの項目は、省略したが、府高養護教員部要求書の要求書には、
必ず
V.その他
1. 衛生管理者については、資格があることを理由に保健体育教師や養護教諭に任務を強要することなく、現場の総意とされたい。
2. 健康管理医による健康相談においては、相談場所、医師との連絡調整等の面で、児童・生徒にかかわる養護教論の日常業務に支障のないよう配慮されたい。
3. B型肝炎の抗体検査及び予防接種を、希望する全ての教職員に実施されたい。実施にあたっては行政の責任において対応し、会場校の現場、教職員に負担とならないよう改善されたい。また希望する教職員が受けやすいよう条件整備をされたい。
4. インフルエンザの予防接種を、希望するすべての教職員に予算化されたい。
5. 危機対策(感染症・地震・原発事故・その他の災害)のための費用を予算化されたい。また事故や問題が生じた場合については手厚い対策を講じられたい。6. 養護教諭の研究の自由を保障し、研修の押しつけがないようにされたい.研修については自主・民主・公開を原則とし、研修内容の自由な批判、検討ができるようにされたい。
7. 京都教育大学をはじめ京都の各大学に、養護教諭養成課程の設置が実現するよう、各大学と話し合い、具体的に働きかけられたい。
8. 教育免許法による賃金格差や認定講習の押しつけがないようにされたい。
9. 任命主任制に反対。保健部長の民主的選出を尊重し、中間管理職的業務を指導しないようにされたい。
10. 目的も不明確なまま、統計や資料の提出を強要する保健教育行政は改められたい。
11. 高等学校設置基準第9条の養護教諭の配置を「おかなければならない」に戻すように国に働きかけるとともに、この条項を理由に未配置校を作らないようにされたい。また、分校や通信制課程にも養護教諭の配置基準を設けるように国に働きかけられたい。
が書き加えられていた。
特に、
「1. 衛生管理者については、資格があることを理由に保健体育教師や養護教諭に任務を強要することなく、現場の総意とされたい。」
については、労働安全衛生法上は、特例として学校現場に限って養護教諭や保健体育教師が衛生管理者になることが出来るという項目があった。
そのことは、すでに述べた「教職員の労働安全衛生入門」作成以前から養護教諭が教職員の健康診断の責任を負わされているのは、学校教育法の「養護教諭は、児童の養護をつかさどる。」とされていることへの逸脱である。 故野尻與市が労働安全衛生法成立以前の1960年代から養護教諭に「衛生管理者」などの役割を与える国の動きの無責任さと危険性を「健康教育概論」で厳しく批判しているをとを充分学習していたこと。
養護教諭の労働の負担が非常に増えているときに、本来の労働でない責任が問われる「衛生管理者」の仕事をさせられるべきではない。
と言う考えに立っていた。
他教組からも府教委からも
「養護教諭が衛生管理者に」
という考えに養護教員部はキッパリ・スッキリ
ところが全教の労働安全衛生法「適用」を主張する担当者や少なくない府県で教職員組合が「養護教諭が衛生管理者になろう。」という取り組みをしていた。
府高養護教員部も京教組養護教員部もそれらに対して反対したが、
「管理職に教職員の健康を委ねるより、養護教諭がしたほうがいい。」
などの強力な意見が出されてきた。
府立学校では、以上の事を1997年以前から承知していて保健体育教師や養護教諭を衛生管理者にすることは、おかしい、と反対していた。
府教委は、府人事委員会の指導もあり、事務部長に衛生管理者の資格を取らせるようにしていた。しかし、衛生管理者の資格は国家試験。事務部長は、しばしば試験に不合格になりあきらめたいという声も出ていた。
そのため養護教諭に衛生管理者を、という意見は府教委からも出されていた。
全教と府教委からの「養護教諭が衛生管理者」という考えの「板挟み」状況に京教組・府高養護教員部が置かれることになった。
そこで、全教職員に養護教員部としての考えを知らそうと言うことになった。
登録:
投稿 (Atom)