2011年8月12日金曜日

暗黒の時代 戦前に生理休暇や産前産後休暇が勝ち取られた


山城貞治(みなさんへの通信60)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)

 この間、ブログへの投稿をいただきました。そこで少し参考にと思い書かせていただきます。

私もブログは、労働の安全衛生、とくに精神衛生がメインテーマとなっています。上記のような問題も、深刻な問題と思っております。それでは私のブログも、よろしくお願いします。 

府高労働安全衛生対策委員会では、多くの精神衛生(メンタルヘルス)を取り上げ聞きましたが、その一部を紹介します。

もう、一生懸命はやめよう、と言いたい

 まず、
「どうすれば過労自殺はなくなるのか」
という毎日新聞の記者の質問に対する川人博弁護士の意見
を毎日新聞から。

三つの大切なことがある。
 

仕事で失敗しても許容される職場、
 義理を欠いてもよい職場、
 そして、失業してもやっていける社会をつくることだ。


 超長時間、深夜労働が増え、労働者は
ゆとりを失っている。また、不況下でリストラが進行し、職場ストレスが増している。 
 人が減り、仕事が増え、責任もますます重くなった。
 中高年はリストラの対象にならないよう、以前にもまして企業に忠実に行動している。
  失業しても生活に困らないよう『セーフティー・ネット』を整備し、失業者が精神面でリラックスできる社会環境づくりを急ぐべきだ。

  そして、『もう、一生懸命はやめよう』と言いたい。

  『命をかけて』ではなく、『命を大切にして』働くことが、過労自殺をなくすことにつ ながる。 」


学校全体が、特別なカウンセラーという職業がいらないように変わらなければ

{京教組養護教員部編・石田一宏講演記録「感動の贈りものを光の中の子どもたちへー精神科外来からみた子どもの指導②ーより抜粋}

 子どもが病んでいるとしたら、これは身体でも病んでいるわけですから、まず心と同時に身体のことも統一してきちっとわかる人が子どもの健康の問題についてかかわるべきだと思います。
 子どもの心だけかかわる。
 なんて、そういう便利なことはできない。

 もし心の問題にかかわるとしても、学校全体が何か暗ァーくなっている時に、あのカウンセラーの所だけ明るいというんじゃ……これはおかしいです。
 私は学校全体が、そんな特別なカウンセラーという職業がいらないように変わらなければならないと思います。
 カウンセラーなんかを必要とするというのは、それだけ自分の学校が暗くなっているということを、自分で白状しているようなもんだと思います。

 養護教諭の先生方が今ここでがんばっているのは、暗くなった学校の問題を解決するためであって、「駆け込み寺」を存在させるためにがんばっているだけではないと思うんです。
自分なりの問題解決に到達する、それがカウンセリング
{東京社会医学研究センター機関誌「労働と医学」NO56「働くものの精神衛生」講演記録より一部抜粋}

  メンタルヘルスということばが非常に多くでています。
 だいたい共通しているのは、問題発見型なんです。
 そして、もしそこでなにか悩みごとがあれば、あるいは個人的な問題があれば、それでカウンセリングを受けるということになるのですね。
 カウンセリングというのは本来はどういうものかといいますと、私なら私、一人の人間がなにか解決したい問題を持って訪ねて、そしてそこで助言をしてもらう、あるいはその人に話を聞いてもらうことによって自分なりの問題解決に到達する、それがカウンセリングなんです。
 ……今職場でも、そういうメンタルヘルスについて誰か専門家を置けば、なにか解決するんではないかという期待は非常に高いんですけれど、そういうことは絶対あり得ないんです。
 ……現在盛んなのは、そういう心理学主義的なものの考え方が基本になっているとしたら、私たち労働者の立場で、いらいらしたり、ストレスを感じたり、こんな職場は嫌だよというような問題をどうとらえるか、そのポイントは……。

ストレスをを考える6点を考えてみて

第一に、人間の心理だけでものを考えるのでなくて、人間は心と体がいわば統一して存在するんだ、その心というものは身体が支えているんだというふうな観点をしっかり持たなければならないと思います。
第二に、時間のストレスこそ、最大のストレスです。
第三番目は、疲労には、肉体的疲労と精神的疲労の二つがあると言うことです。
第四番目は、今非常に大問題なのは、家庭生活や私生活が破壊されていることです。
第五番目には、家庭には次の世代の大人を育てるという機能があるわけです。ところが、子どもを育てる機能が、家庭の中で今非常に貧しくなっている。
第六番目には、女性と母性を守ることの大切さがあります。


心をいやし、ストレスによる疲れをとってくれる「安心感の場」。

 働くものの精神衛生というものを考えるときに、忘れてはならないキーワードは、超過密労働による「時間」のストレス問題、超過密労働の結果からおこる「疲労」、家庭でゆったりできる、友達とゆったりできる、心をいやし、ストレスによる疲れをとってくれる「安心感の場」。


産前・産後休暇も生理休暇も育児休暇もなかった時代

 私の祖母が教員をしていた時(1950年代)は、まともに育休制度すらなかった
 女性教員の問題も、考えなければいけませんね。 ご存じの通り、私の母親も教員でした。
産休・育休制度は当時からあったのですが、やはり普通に考えれば、期間は不十分なのですね。
 休養室などの基本的な条項も、学校であってもあまりできていないのですね。一応私の今の仕事も立ちっぱなしですが、妊娠教員が立ちっぱなしは問題ですね。一方、妊娠した時の代替え教職員の制度はある程度できており、私の母が常勤としての教諭をやめた後、その代替え教員で臨時に入ったこともあります。
なお、さらに昔、私の祖母が教員をしていた時(1950年代)は、まともに育休制度すらなかったそうです。
 労働時間ふくめ、とくに女性に関しては、労働条件の改善が強く求められます。

高校の授業の一部を紹介させていただきます。

 10年以上前から労働安全衛生を高校の授業で教えていました。その時の授業テキストの一部を紹介させていただきます。
生理休暇や産前産後の休暇が女性と男性労働者が
手を携えて勝ち取られてきた成果である事に生徒は感動

 戦前の女性労働者は、農業や機織りをのぞいて工場で働く若い未婚の紡績女工から看護婦、小学校、幼稚園の先生、産婆さん・お手伝いさん、バスガールなどとその働く場が増えてきたことがテキスト「健康で安全に働く」(文理閣注:現在改訂されて、健康で安全に働くための基礎で発行されている。)書かれている。
 しかし、戦前の家事労働は、今日では、考えられないほど大変であったことも明らかにされている。

長野県では女性教師たちが運動して、1908(明治41)年に
   長野県に「女教員妊娠規定」をつくらせた

次に、明治以来の女性の職業のひとつだった女性教師の労働について考えてみる。
                                            
 明治時代の日露戦争以降義務教育が延長されたことや学校に行ける生徒が増えたことによって、教師が不足した。
 1907(明治40)年の長野県では、4649の小学校教員(臨時も含む)がいた。
 そのうち1093人が女性教師だった。
 でも女性教師の約半数は、臨時教員 だった。そのため給料は男性教師の半分以下。
 生理休暇もない、母性保護に関する保障はなく、男性教師と同じように働くことが命じられているいた。

 1918(大正7年)の女性教師の訴えによると、

「起床5時半、お乳をつくり、小川でおむつの洗濯。7時20分登校、5時帰宅、それから子供の世話、子どもがつごうよく眠ってくれればその間にそうじ、夕食後縫い物等々で新聞もろくろく読めません。子どもが出来てから教育雑誌さえ十分読めなくなりました。」

と、学校における優秀な教師が、家庭では「ダメな主婦」になっていると自ら言わざるをえない状況であった。

 このため長野県では女性教師たちが運動して、1908(明治41)年に長野県に「女教員妊娠規定」をつくらせ、女性教師に産前産後の有給休暇2カ月 を認めさせている。

 すなわち、女性教師は、赤ちゃんを産む前や赤ちゃんを産んでからも、ほとんど休んでいなかったのである。