2011年7月13日水曜日

誤解を恐れずに率直に申し上げますが、これほど過労で倒れる現場を抱えている労働組合の取り組みとして、現在の活動が十分であるのか問われている


山城貞治(みなさんへの通信38)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その18)


元京都府高委員長が忘れられない
「先生たちが見殺しにしている」と伊藤誠一弁護士の提起

 元京都府高委員長は、労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」2000年6月に掲載された「教育現場から過労死をなくすために」というテーマで伊藤誠一弁護士が北海道の高教組に宛てて書いた文章を読んだとき 「先生たちが見殺しにしている」という提起を受た時と同じような思いが去来し、組合の忙しい時間と共に基本的で、重大な問題を忘れるところだった。

 ハットさせられるより、「忘れかけている自分たちの教職員組合の取り組み」の重大な誤りを11年経った今も忘れないでいる。
 しかし、伊藤誠一弁護士が書かれたのは、もう20年にもなるのか。

忘れかけていたですまない 忘れてならないこと 

 今、当時のことを忘れないで過労死問題でこのような取り組みをしているという手紙と文章が山城貞治のところに送られてきた。
 もういちど、高校の教職員組合に伊藤誠二弁護士が掲載していただいたことを再録して欲しい、との連絡があった。
 そこで、伊藤誠一弁護士には、申し訳ないが、教職員のいのちと健康」2000年6月に掲載された「教育現場から過労死をなくすために」を再録させていただく。(紙面の関係で、割愛させていただくことをお許しねがいたい。)

率直に感じていることを高教組へ

三沢先生(夕張南)、木嶋先生(滝川北)両事案に関与させていただいて考えること                                                          1991年10月 弁護士 伊藤誠一

 両事案の公務災害認定のためのたたかいに参加させていただいたことを光栄に思います。
 小職自身過労死についてその本質を深める機会が与えられ、また今日の教育活動の実情を学びとることができました。まず、そのことに感謝申し上げます。
 ここでは両事案を担当させていただいて率直に感じていることを、高教組との関わりでまとめてみましたので、何らかの機会にご検討いただければと存じます。( 以下略 )

1,高等学校現場における
 過労ないし    過労死の実態把握は進んでいますでしょうか。

 先日、網走南ヶ丘高・板緑先生の「過労死」のケースについてレクチュアを受ける機会がありました。
 地公災基金道支部で公務外でされたとのことです。
 また去る9月旭川のH高等学校のW先生の自殺が公務上と認定されたケースがありましたがこれは高教組が取り扱ったケースではありませんでした。

 日高教が1990年12月全国的にかなり大がかりに行った在職死亡調査の北海道段階における分析は未だ発表されておりませんが、平成元年4月から同2年3月までの在職死亡による退職者21名のうち(とりあえず高等学校分)、少なくとも高教組所属4名は(肝不全、心不全2名、脳出血)、死亡診断名から所謂過労死ではないかとの疑いの目でみる必要がありそうです。

組合に入っていない先生の健康実態は

 高教組に所属していない現場の先生はどのような実態なのでしょうか。

 今こそ北海道内の高校現場における在職死亡について(高教組組合員であるか否かに拘泥することなく)高教組の総力あげて調査し分析する必要があると考えますが、いかがでしょうか。

2,三沢先生、木嶋先生そして板緑先生の過労死は、
教育労働条件の改善に生かされていますでしょうか、
   或いは生かされるよう
     その死は位置づけられているでしょうか。

 改めて申し上げるまでもなく、これらの過労死のケース、そして種々の事情で組織的にはとりあえず俎上にのせられていない多くの過労死のケースは、教育政策の貧困さの一つの結果であり、さまざまな困難・条件の下で求められている教育活動と現に行いうる教育活動との間の矛盾を集約的に示しています。

 所謂教育困難の中で教育活動に従事しなければならないこと、現代の子どもと教育をめぐる状況にふさわしい定員が配置されていないこと、健康管理体制の不備等過労死を招いている要因を指摘するについては枚挙にいとまがありません。

教育労働環境を改善し原因を取り除かない限り
    過労死は くり返される

 こうした中で生み出される過労死は、したがって、その教育労働環境を改善し原因を取り除かない限り、くり返される性質のものであると考えなければなりません。

 この先生たちの死が、しかも小職の乏しい経験によっても、いずれも優れた実践者であったと申し上げることのできる諸先生の死の意義が、高教組のそうした悲劇をなくしていく取り組みの中に正当に位置づけられているでしょうか。
 過労死がまさに労働によってもたらさせた死でありながら、救済されずに、時の経過とともに放置されている労働現場が多い中にあって、高教組が遺された遺族の救済のため全力をあげていることを高く評価するものですが、しかし、そこにとどまっている不十分さはないでしょうか。

北海道ないし任命権者である道教委
   と健康保持をめぐる権利の問題

 この点で大事ではないかと考えるのは、過労死は公務災害の認定問題(それが困難な現状にあってはとりわけ)であると同時に、むしろその前提問題としては、使用者たる北海道ないし任命権者である道教委との間の教育労働条件改善ないし健康保持をめぐる権利の問題であるということです。
 その予防のために、北海道ないし道教委に対策をたてさせることが必要です。
 そうした手だてがとられない限り、高等学校現場で過労死は多発し続けることが予測されるのです。

公務上認定にとどまらず損害賠償請求を求める姿勢を

 また不幸にして倒れたときは、地公災基金制度の制度的枠組の制約の中で公務災害認定斗争を進めざるを得ませんがなお、「使用者としての責任」を明確にさせていく観点が必要ではないでしょうか。
 例えば、北海道や道教委に対し、地公災基金支部に「認定」するよう意見を出させること、或いは、あまりひどい状態であるときは、公務上認定にとどまらず損害賠償請求を求める姿勢を示すことなどとしてそれは具体化されましょう。

「あれは仕事で死んだのだから公務災害はまちがいない」
        と言っても

3,地公災基金支部に対する働きかけや地公災基金支部審査会の運営の改善のたたかいも必要になっています。
 
前者についてみますと、まず、過労死の認定基準の不合理さがあります。
 わたしたちが問題にする過労死は、現場での誰もが、

「あれは仕事で死んだのだから公務災害はまちがいない」

と考えている教育労働がもたらす「過労」による「死」ですが、そのように認定されない、認定基準についてどのようにすべきなのでしょうか。
 その具体的な運用についても・地公災基金支部に対し

「このケースは公務災害と判断されるのでそのように認定すべきだ」

と高教組が申し入れ、交渉するなどの取り組みが必要なのではないでしょうか。

基金支部審査会の民主的手続になじまない運用の改善を

 また後者についてみると・不服申立を求める側の権利性が十分認められない運用実態にあります。
 基金支部審査会の組織は、使用者たる北海道の職制の中で他と独立して定められている(たてまえ)にも拘らず、
 
 実態は人事課の片隅で、
 外部からみて他の部局の職務と明確に識別されているのか否かわからない状態で事務が行われていること、
 申立人の代理人にならなければ審理に参加できず、
 したがって例えば新聞記者が傍聴できないなど「公開」が不十分であること、
 裁決は予め日時も知らせずに、一方的に突如として送付されてくることなど、

 審査会の人的物的体制の確立によって実現すべきものもありますが、そもそも民主的手続になじまない運用も数多くあるように思われます。その改善に取り組むこと事が重要なテーマになっています。

過労死問題にとり組む体制になっているかは 疑問

4,三沢事案・木嶋事案の教訓、斗いの成果は
  例えば担当部に実務的に
 しっかり引き継がれているでしょうか。

 小職の記憶に残る限り、担当者であった、また現に担当されている、前田先生、木村先生、卜部先生いずれも全力でこの問題に取り組んで来られました。

 しかし、三沢事案で認定をかちとり、木嶋事案はじめ多くの過労死事案を抱えている労働組合にふさわしく過労死問題にとり組む体制になっているかについては率直にいって疑問です。
 その不十分さは、以上に述べた必要な取り組みが必ずしも十分なされていない、という事実と重なるのですが、「学校現場での過労死の問題」を過労死認定のレヴェルでみているのではないかという疑問を生じさせたりするのです。

 現に高教組が進めている過労死認定の斗いの意義について、いくら強調してもしすぎることはないと考えるのですが、それが、過労死をなくす取り組みの中でことがらの本質にふさわしく位置づけられ、また、過労死をめぐる問題の諸状況が組合員に広くそのこととして伝わっているであろうか、という疑問にそれは置き換えることができるかも知れません。

労働組合の取り組みの活動が十分であるのか

 誤解を恐れずに率直に申し上げますが、

これほど過労で倒れる現場を抱えている労働組合の取り組みとして、現在の活動が十分であるのか問われている、

ということなのです。
 公務災害の認定一くり返し申し上げますようにそれ自身極めて重要で、今日的に意義ある斗いではありますが、

その斗いに留まっていはしないか、
それも十分になされていますでしょうか、

という提起なのです。
 小職の以上の主張はおそらく「木をみて森をみない」論であろうかと思います。
 しかし、
この「木」にこそ

学校現場で働く教職員の教育と労働、
そして教育行政をめぐる今日的な大きな矛盾の一つが集中的に現われているのではないか、

 そう確信するが故に、また高教組が労働者の労災・職業病をなくす斗いの先頭にたたれること期待するが故に強えて申し上げているものであることをご理解いただければ幸いです。

2011年7月12日火曜日

彼が倒れる前に はっきりと姿を現さなかったではないか 労働組合も、過労死の根絶を標榜する弁護士も


山城貞治(みなさんへの通信37)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その17)


高橋雅之先生の過労死を公務災害認定させたことの意義
                    伊藤誠一 ( 弁護士 ) 


最も身近だった組合に やっとたどり着いた


 「入院中外出許可がでて、北高に行って校長先生にご挨拶したとき、校長先生からは
 
 『外からの怪我でないから、公務災害には該当しないようだ』

  と言われました。
 事務の方も

 『扱ったことがないから、どうでしょうか……』

 と言い、それでも認定申請用紙を貰って帰りましたが、どう書いてよいものやらわかりません。
 
途方に暮れながらも、市民病院の相談室を訪ねました。

 『事例がないから……。難しいかもしれないけれど出してみては』

 と言われました。

 その時、自分だけでなく、多くの人のためになるなら、と思いながら申請用紙に何をどのように書いていいのかとしばらく悩みました。

 市役所の市民相談室に行ったとき

 『北高にも組合があるから、相談したら』

 と言われて初めて北高の高教組の分会長さんに相談しました。

 最も身近だった組合にやっとたどり着いたのです。

豪華メンバーに、びっくりもし、感動しました

 早速、本部でも取り上げてくれて1回目の『対策委員会』に出席しました。
 委員長さんはじめ、弁護士、医師、職対連などの豪華メンバーに、びっくりもし、感動しました。
 
力が湧いてきました。

  組合がなかったら、今回の認定はありませんでした。

 あの人のことだから、きっと今頃

『良かった、良かった、みんなで飲んでくれ』

と言っていることでしょう。

 みなさん方の力が、不可能を可能にしてくれました。

ありがとうございました。 」

(高橋靖之先生公務災害認定報告集会での高橋ヤス夫人のあいさつ高教組情報/1998/4/13より)

労働組合が身近な存在になっていない

 高教組の懸命の尽力にも拘らず、組合員に
「労働組合が身近な存在になっていない」
という事実を噛み締める必要があるのではなかろうか。
 
高橋さんの場合、高教組と結びついたからまだ話にもなる。

 むしろ、そこに思いが至らない組合員ないし家族(過労死の場合はいつも主体は家族である)が少なくない、と見るべきではなかろうか。
 それでは闘い以前の話ではないか。

 改めて述べるまでもなく、組合に「つながった」後の原則的で人間味溢れる取り組みは道高教組ゆえのものであった。
 その結実がこの度の基金支部段階の画期的な公務上認定に他ならないこと紛れもない事実ではあるが。

陽がかたむきかけた 夕暮れのポプラ並木のさきに

 昭和40年前後の夏のことである。大分県から5人の仲のよい女学生が北海道旅行に来た。

 羊ヶ丘公園の清明な空気を胸一杯に吸い込んで、日が傾きかけた頃、北大を散策することにした。
 大学構内の道案内は正門近くで案内を申し出てくれた学生アルバイト。

 あれがクラーク像、これは札幌農学校の伝統を良く引き継ぐ農学部…と懇切丁寧に語りかけてくれた。
 夕暮れのポプラ並木の先に広がる農場の佇まいも色彩も、南国のそれに比して透明感のある淡い色模様であるようで女学生たちの旅情を深くした。
 その学生は、
「せっかく北海道に来られたのですからサッポロビールの飲み方をお教えしましょう」
などと彼女たちが網走行きの夜行に乗る間際までつきあってくれたのだった。

「北と南」、離れすぎていた

 彼は女学生の一人に教師になる夢を語る。

 九州に戻ったその女学生は学生にお礼の便りを出した。
 3年後、学生が仲間と共に九州旅行に来て女学生と再会する。
 二人はいつか文通を始めだがそれにしても「北と南」、離れすぎていた。
 思いを重ねようとすることに無理があるかも知れない、と女学生は言い聞かせながら、卒業と同時に小島の教師になる。

北からの熱いプロポーズ

 やがて届いた「北からの便り」。
 そこには熱いプロポーズがこめられていた。
 女教師は決断する。
 彼女は彼との共同を求めて北国へ、夢と期待と、そしていくらかの不安を抱いて南国を旅立ったのである。
 北海道に出るについて親族が猛反対であったことは想像に難くない。
 
あの南国の旅立ちから27年。

 共に教育活動に励む内に生れた2人の男子は立派に成人した。
 将来の楽しみは2人でキャンプしながらあちこち歩くことだったという。
 これからの20年、30年で2人のより豊かな人生の刻が重ねられることに誰の異論があろう。

 だが高校教師だった彼は、1996年冬、雪のクロスカントリーコースに部活動指導中倒れ、一時的に救命されたものの、晩秋、思いを残して旅立ってしまう。

彼が倒れる前にはっきりと姿を現さなかったではないか
 労働組合も、過労死の根絶を標榜する弁護士も

 残された女性が、その死の意味するものを明らかにしたい、と必要な手がかりを求め続けるということが、人間的な所以でなくてなんであろう。

 周りの者はどうにかこの遺された女性の行動の支えになることはできた。

 しかし、実は彼が倒れる前にはっきりと姿を現さなければならなかったのではなかったか。
 
    労働組合も、過労死の根絶を標榜する弁護士も。

(高橋事案で私が作成した全ての文書について事務員の本田裕子さんの協力をいただいた)

2011年7月11日月曜日

倒れず 残された者も 病んでいる


山城貞治(みなさんへの通信36)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その16)
 
                               
高橋雅之先生の過労死を公務災害認定させたことの意義
                   伊藤誠一 ( 弁護士 ) 


(2)学校現場で過労死・過労性の疾病は減少しているか

1,教師における過労性疾病の本質は、労働環境である学校と教育活動の内に疲労蓄積の引き金となる契機が内在していて、それが現実化したものに他ならないということである。

 仲間が過労性の疾病を発症させたときは、職場それ自体の内に教師の健康保持という見地から改善すべき課題がある、と理解することがまず重要である。

倒れず残された者も病んでいる

 私が知り得た学校現場についてみると、それぞれ教育上の特有の困難を抱え、これを克服する取り組みの中で、誰が倒れてもおかしくない、という現状が生み出され、色々な意味で最も矛盾が集中した教師が倒れるというのが実相であった。
 かろうじて倒れず残された者も病んでいるのである。
 したがって、職場をあげてこの問題に正面から取り組むということは、過労で倒れた教師とその家族を救済するということではあるが、これに止まらず、彼が倒れた原因を職務内容や環境との結びつきの中で明らかにし、原因たる職場・環境を改善する努力をするということであり、それらについて任命権者たる道教委の果すべき責任を明確にするということでなければならない。

一名の加配ですむ問題ではない夕張南高の過労死

 ところで、道教委は不本意な死の実態の深刻さに見合う責務を果しているであろうか。
 三沢先生の例では、公務災害認定後、夕張南高が教育困難を抱えていると認められ、定員に対し一名の加配(定員数に加えて教員配置すること)がなされた。
 しかし、問題はそれで糊塗できる性質のものではなかったこと明かである。
 定期的で有効な健康診断がなされていれば防ぎ得た死亡であったからである。
 その後健康診断体制が改善された、いうことを聞かない。

不合理な認定基準のゆえ に公務外

 木嶋先生の場合、職場の誰もが仕事で倒れたと確信しながら、不合理な認定基準の故に公務外とされた。
 道教委は労働環境改善のため滝川北高に対しどのよう措置をなしたのであろうか。
 公務外にはなったが、教育困難を抱えていたこと、同僚の悲痛な叫びから明かだった。
 なるほど、高教組の取り組みで翌年度から教員一名を加配した。
 しかし、その理由は曖昧だった。

道教委は部活動に対する教師
 の関与のあり方を全般的に見なおしたか

 高橋先生のケースは、教科教育活動等でオーバーフロー気味の教師が、大学進学の強い要求の下での部活動に10代の体力盛んな生徒とともに真剣に取り組まなければならない、という高校教育における構造的な問題を含んでいた。

 この度の公務上認定を受けて、道教委は部活動に対する教師の関与のあり方を改めて全般的に見なおしたであろうか。
 その上で何らかの改善はあったであろうか。

「違法」だからする
 だが 健康のため最低基準を超えた努力をしない


2,こうした問題意識から、1991年10月、私は道高教組委員長宛に過労死をなくする取り組みについて、激励とともにもっと労働組合として奮闘してほしい、と率直に申し上げたことがあった。
(後に支部の役員のみなさんの会合においてその内容で問題提起もさせていただいた)
 学校職場に衛生委員会を割らせる大運動はこの意味における高教組の側からの実践的な回答であったといえよう。
 しかし、敢えて述べさせていただくなら、教職員の健康についての道教委の基本認識がこの10年間でどれだけ深まったといえるであろうか。
 私にはその姿勢に改善が見られるとは思われないのである。
 なるほど、道教委も法の最低は遵守しようとする。だから教職員数50人以上の学校について衛生委員会は設置した。
 これさえしなければ「違法」だからである。
 しかし、それを超えた努力をしない。
 もともと働くものの健康や安全というテーマについての法の定めは使用者が果すべき「最低」の基準であって、それ以上の改善こそ法の趣旨に合致する。それをしないのである。

ずさんな健康診断 おくれすぎてくる巡回検診車

 例えばまた、教職員の健康診断は極めて杜撰(ずさん)である。
 全道数万人いる教職員に対し僅か数台の巡回検診車が、道教委自らが定めた検診の時期から遥か遅れた時期に巡ってくる。
 その結果を各学校長を通じてする個別指導の資料にしてはいるのであろうが、道教委がこれらから知られる実情にもとづいて教職員の健康診断につき抜本的改善策をとった、という話は聞かない。

 まさか過労死の発生を待っているわけではなかろうが、発生したら(もっと正確にいえばそれが公務上に認定されたら)はじめて手を打つ、という道教委の態度を改めさせない限り、悲しみや苦悩は続くといわざるを得ない。

教育労働の質から合理的とは思われない認定基準

3,私は「公務上」と認定されることの実践的意義を改めて考える。

 教師の過労性疾病の場合、教育労働の質から推して合理的とは思われない認定基準を診てはめられている現状にあることは繰り返し述べられている。
 その結果、公務上とされるごく一部のケースでは地方公務員災害補償基金から一定の手当がなされ、公務外と判断されるほとんどの事案では一切の救済がない、というまさに天と地の差の運用がなされている。
 教師の過労のほとんどは日常の疲労の蓄積の結果である。
 三沢事案がそうであり、木嶋事案がそうであった。

 基金支部審査会は夕張地区の地域崩壊の特異さを述べて前者を救済し、そうした特異性を見出し難いとして後者を公務上としなかったが、教師の過労の現れ方をみるとむしろ木嶋先生のケースに一般性をみいだせるのであって、この事案が救われていないということは、教師の過労死・過労性疾病のほとんどは放置されている、ということを意味する。

 私が先述した高橋事案の公務上認定の意義にも拘らず、認められて当たり前、認定までどうしてこんなに時間がかかるのか、と苛立つ真の理由もここにある。

 教師のいのちと健康の保障に直接かかわる行政認定基準に不合理さがあるとすれば、これを是正する取り組みを強める必要があるのであり、適切なケースについては、地公災法の趣旨をふまえて現行基準を超えて認定させるための行政訴訟に取り組む他ない。
 そうした構えがないと事態は打開されないのではないかと考える。

非民主性を通り越して貧困な公務災害「認定手続」

 公務災害「認定手続」も非民主性を通り越して貧困である。
 これが地方公務員の権利の最後の(疾病で倒れたり死んでしまえば労働者に何の権利が残るというのか)保障手続きであるとは到底信じられない体である。
 基金支部は教育行政部局の一隅におかれ、審査委員の選任に労働組合が参加できず、審査会は非公開である。
 私が道高教組にしっかりしてほしい、と願う所以である(「職業病とたたかう力の支えとなって」伊藤誠一『季刊一労働者の権利』200号記念特集号)。

社会常識とはるかにかけ離れた労働災害・公務災害認定

(3) 高橋靖之先生と高橋ヤスさんについて

 労働による過労で倒れたのであれば、労働災害・公務災害として認められ、それにふさわしく扱われるのは当然である、と誰もが思っているし、そのことを疑わない。

 この社会常識と「現実にそのとおり認められること」=公務上認定との間の乖離は無視できないほど大きい。

 不合理な認定基準の問題もあれば、これに取り組む側の熱意なりスキルのレヴェルもある。

 だからこの隔たりを埋める取り組みは「公務災害認定の闘い」という名にふさわしいのであるが、いまそのことをめぐって高橋ヤスさんのお話から付点か記しておかなければならない気になっている。

弁護士さんは庶民にとって
    雲の上の存在だと思っていたが

 高橋さんからいつかいただいた手紙に「弁護士さんは庶民にとって雲の上の存在だと思っていました」とあった。
 主観的には、どちらかといえば働く人の側に身を寄せて仕事を続けてきたつもりでいた弁護士にとって、「雲の上の存在」はショッキングな形容であり、その「主観」に厳しい反省を迫られた。
 高教組はどうであったか。
 
校長からも事務長からも公務上認定は難しい、といわれる。
 途方に暮れながら、夫が入院する病院の相談室を訪れ

「難しいかもしれないけれど出してみては」

と勧められて悩み、旭川市の市民相談室で

「北高にも組合があるから相談したら」

といわれてはじめて高橋さんは高教組に辿り着いたという。

誰が 教師の過労死をなくすることができようか


山城貞治(みなさんへの通信37)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その14)


怒りを理性的に処理できないでいる

 公務災害の問題と教職員の問題は、2000年7月北海道の伊藤誠一弁護士が、労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」に掲載を快諾された。同じ事件、公務災害の同じ矛盾があるので、再録させていただく。

 「高橋靖之教諭は1996年1月14日、旭川北高 校クロスカントリースキー部の顧問として、練習指導中に倒れ、午前11時23分に市立旭 川病院に搬入され、大動脈解離と診断されました。
 そのあと自宅療養及び通院加療を続けていましたが、10月6日に病状芳しくなく再入院し、10月27日午前10時50分に死亡されました。
 高橋靖之教諭は、教科の理科担当のほか、一学年の副担任、進路指導部の業務など多忙な教育活動により、基礎疾病の高血圧症を悪化させていました。
 この年12月26日からはじまった生徒の冬季休業・教員の研修期間も連日スキー部の指導をせざるを得ず、これらの教育活動が過重な負担となって大動脈解離を発症させたものです。
 1996年12月10日に公務災害認定請求を行なった夫人の高橋ヤスさんをはじめ、認定を求めるとりくみをすすめてきた道高教組を中心とする運動は、1998年3月6日、地方公務員災害補償基金北海道支部(堀達也支部長)による高橋靖之教諭の死亡(1996年10月27日、当時52歳)を公務上の災害と認定する画期的 な決定を勝ち取りました。」
                                  
高橋雅之先生の過労死を公務災害認定させたことの意義
               伊藤誠一 ( 弁護士 )

 
 1998年3月15日、札幌市内で北海道高教組主催・高橋靖之先生の公務災害認定報告集会が行なわれた。
 私は発言の機会を与えられ、認定の意義にふれつつ、「正直いって怒りを理性的に処理できないでいる」、人生80年、90年の時代に52歳の職務による不本意な死は残酷にすぎる、人間らしく豊かに生きる権利の根底に捉えられるはずの「子どもの権利」を充足させるために日夜分かたぬ教育活動に取り組んだ結果、教師が疲労を蓄積させ、心身を切り刻むに等しい負荷を受けて倒れたのであるとすれば、教師の過労死が公務災害であるとして救済されない事態は背理という他ない。

教職員組合が過労死を根絶することなくして
      誰が教師の過労死をなくすることができようか

 「実践家があまりにも過労で倒れすぎてはいないだろうか。教職員組合が根絶することなくして誰が教師の過労死をなくすることができようか。高教組はもっとしっかり闘ってほしい」

という趣旨のことであった。
 いま三沢紀之事案(夕張南・心筋梗塞、45歳、1988年12月8日地方公務員災害補償基金北海道支部審査会で逆転裁決、公務上)。

木嶋光好事案(滝川北・脳出血、44歳、1993年12月27日基金審査会で再審査請求棄却、公務外)。
西岡正義事案(北教組・1996年8月8日基金北海道支部審査会で逆転裁決、公務上(帯広市立第五中の西岡正義教諭(当時48歳)が陸上競技の部活動指導中、急性呼吸不全で死亡・基金北海道支部は公務外としたが、支部審査会が死亡から凡そ7年の後に逆転裁決、「公務上」と認定された。)。
 そして高橋靖之事案(旭川北・大動脈解離等、52歳、1998年3月6日基金北海道支部で公務上)とそれぞれの取り組みについて改めて振り返ると、その思いは増幅するばかりである。
 以下では高橋事案の公務上認定の意義について私の意見を述べつつ、やはりこの点について言及したい。
 最後に、高橋先生にかかわる周辺の事情についての感想を述べることにする。

(1)高橋靖之事案公務上認定の意義について

1,地方公務員災害補償基金北海道支部の段階で過労死を公務上として認定させた意義は大きい。
 いまどき過労死根絶のための取り組みを過労死「認定」の問題に置き換える者はいないと思うが、不合理な認定基準と民主的とはいえない認定手続きの下にあって、職務で死亡したのだから公務上認定は当たり前、という道理や正義が必ずしも貫かれていない実際に鑑みると、早い時期に公務上の認定をさせ、遺された者の被害を回復することは肝要なことであるからである。

 少ない   教師の過労死が公務上認定された例

 教師の過労死が公務上認定された例は決して多くなく、まして基金支部段階(民間でいう労基署長のレヴェル)で認定されるものは極めて少ないことを思うと被災後2年間で認定させたこの成果は大いに強調されてよい。
(「最近の裁判例・行政認定例等にみる教職員の過労死認定事例」「北海道の教員の過労死認定をめぐる状況について」参照)

 例えば、三沢事案の場合認定されたのは死亡後4年を経てからであり、北教組・西岡事案でも約7年後であった。

多くの人の献身的な作業によってもたらされた

2,次に、この認定が妻のヤスさんはじめ同僚など高橋先生を知る多くの人の献身的な職務「再現」作業によってもたらされたことの意味をかみしめたい。

 認定の取り組みに参加された皆さんは、遺族に対する個人的想いをふまえつつ、「共済」や「同情」とは異なる観点、教育活動によって不本意な死に遭遇せざるを得ない不合理な事態を職場からなくする、という強い意思をもって臨んだはずである。
 少なくとも旭川北高校の職場にあっては、この取り組みを通じてそのことの重要性を確信されたものと思う。

公務上災害として認定させた部活動指導中

3,部活動指導中の被災について、現代の高等学校教育における部活動の教育学的ないし教育法的意義を明らかにしながら公務上災害として認定させたことにより、教師の部活動への関わりについて規範的に一つまり、その必要性を認めつつ複数の完全担当制の導入など、教師の健康を保持する権利を貫く視点に立った法律関係として一アプローチする確かな手がかりを得たと考える。

支部-本部の上下関係と通達による
     行政統制による公務災害認定

4,地方公務員災害補償法にもとづく教職員の権利救済機関としての基金支部に過労死認定で実績を一つ加えさせたことの意義は大きい。

 周知のとおり、教師の過労死については支部-本部の上下関係と通達による行政統制によって、基金支部にあっては過労死が公務上であるか否かの判断を主体的に行うことを止め、事実上全案件について本部の稟議に付している。

 北海道における教師の過労による不本意な死の公務上認定をみると、過労死(三沢・西岡両事案)にしろ、いわゆる過労自殺(旭川東高事案、平成3,8,21、基金北海道支部審査会裁決にもとづき公務上認定)にしろ、支部段階では基準を硬直的に診てはめた結果「公務外」とされたものが「支部審査会」(学識経験者等三者構成)でいわゆる逆転裁決されたものばかりである。
 その意味で(私は高橋事案や西岡事案は申請されたら時を待たず直ちに認められて当然の事案だと考えているが)、過労死事案で基金北海道支部を「支部として」機能させたことの意義は強調されてよい。

過労死をなくす取り組みの
         今日的到達点をはっきりさせる

5,さて、これらの意義を深める過程で浮かび上がった課題がある。

 それを整理して、過労死をなくす取り組みの今日的到達点をはっきりさせる必要があるであろう。
 例えば、任命権者道教委はこの10年、教職員のいのちと健康にどう向き合ってきたか(労働組合の側からいえば向きあわせ得たか)、ということについてであり、高橋事案に関っては、部活動の指導における教師の危険はどう改善されたか、ということについてである。
 そして、地方公務員災害補償基金制度を真に教職員の権利を担保するものにするための実践的改革課題もある。
 関連して高教組が先駆的に取り組んで制度化した学校衛生委員会の活性化、健康診断の改善について検討しなければならないと思われる。

公正ではなく 迅速ではなく 申請させない 公務災害補償


山城貞治( みなさんへの通信 32)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その13)


労災補償と基本的に異なった制度にされた公務災害補償

 労災保険と基本的に異なった不公正さが、公務災害補償にはある、と書いた。
 労災保険料は、使用者が保険料を労働基準監督署に支払い、その運用で労災補償が行われている。
 もともと、地方公務員も労災保険制度に組み込まれていた。
 しかし、それが意図的に分離されたとき、使用者であるそれぞれの地方公務組織が、労災保険料と同様に地方公務員災害補償の基金に支払い、それが積み立てられ公務災害補償として支払われるようになった。
 
京都府の地方公務員災害補償基金(以下基金)は、
知事部局等、 教育委員会 、 警察本部、大学(府立大学後に法人)、市町村等などを対象とし、

 「地方公共団体の職員が公務災害又は通勤災害を受けた場合に、受けた災害に対する補償を迅速かつ公正に行い、併せて職員の社会復帰の促進、職員及びその遺族の援護、公務上の災害の防止に関する活動に対する援助などの福祉事業を行うことにより、職員及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする地方共同法人で、都道府県及び政令市に支部が設置されています。」

とされている。
 しかし、「補償を迅速」「 公正」「公務上の災害の防止に関する活動に対する援助などの福祉事業」などが行われているとはとうてい考えられない事が多すぎす。

 名ばかり「補償を迅速」「 公正」

 府高の「公務災害不認定」で裁判にいたるまででも非常な時間がかかったし、異議申し立てをしても「今は中央レベルで検討しているから答えようがない」など被災している人に対する応えとはとうてい思えない、高圧的な応えがなされてきた。
 そして、公務災害認定裁判を「基金」に対して起こしたが、この対応は、
「職員及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与する」
どころから、真っ向から「否定する」態度に出てきた。
 「基金」が不認定のために使った費用は莫大で、弁護士もわざわざ東京から呼ぶなどの公費の無駄使いを行い、教職員を威圧した。
 そればかりではない、京都府の地方公務員災害補償基金の事務局は、知事の直轄である「京都府人事課」におかれ、知事が直接の責任者の下に置かれている。

教職員の人事を長く行った基金京都府支部長が
      「公正」だと言うが

 京都府高が、公務災害の裁判二例を起こしたとき前後の地方公務員災害補償基金京都府支部長は、元教育長であった。
 かれは、教職員人事を長く行い、教職員課長になり、教育長になった人物で、「天下り」で地方公務員災害補償基金京都府支部長になったとさえ言われていた。
 自分が人事を行い、教職員の健康や安全、生命を守る人事をしていないと教職員から批判され続けてきた人物である。
 この人物が、地方公務員災害補償基金京都府支部長になったから、こころを改めて「公務災害認定」を「補償を迅速」「 公正」「公務上の災害の防止に関する活動に対する援助などの福祉事業」などを行うとはとうてい考えられなかった。
 
府高委員長 「京都府支部長」を変更 
      を強く要求したのは当然のことだった


 そのため府高委員長は、京都府知事及び地方公務員災害補償基金京都府支部にたいして、

「京都府支部長」

を変更し、

「府民や誰が見ても、補償を迅速、 公正、公務上の災害の防止に関する活動に対する援助などの福祉事業などを行い、公務上の災害の防止に関する活動に対する援助などの福祉事業」

などを行うようにすべきだと強く申し入れをした。
 だが、京都府知事及び地方公務員災害補償基金京都府支部は、話すらまともに聞こうとしなかったのである。

労働基準監督署は建前は、「第三者機関」とされた組織

 労災補償(労災保険の適用)の窓口は、いろいろ問題があるが、労働基準監督署で建前は、「第三者機関とされ組織的に「公正さ」を保つようにされている。

 しかし、「基金」は、事業者・使用者が公務災害を認めるかどうかの窓口であり、「審査会」はもうけられているものの直接被災した人々の上級管理職とされ、見かけ上も「第三者機関とされ組織的に「公正さ」を保つようになっていないのである。

 「府教委としては関知できない」
    という府教委のウソと証拠隠滅

 府教委は、地方公務員災害補償基金京都府支部が知事部局の「人事課」に置かれていることを理由にして、「府教委としては関知できない」と言い続けた。
 ところが、府高委員長を先頭に労働安全衛生委員会ののメンバーが詳しく調べた結果、教職員の公務災害については「基金」が書類を見るだけではなく、府教委に聴取したり意見を聞いていいることが判明したが、「証拠書類は処分」していた。
 それは、情報公開で公文書の開示請求が出来ることが可能になる前に行っていた。

府高 労働安全衛生政策は
   行政としても通常感覚で対処できるもの

 また地方公務員災害補償基金京都府支部(審査会を含む)には、公正な判断をさせるために教育委員会関係者を加えないなどをはじめ、不当な制度を改めさせる。
(9)公務災害は、本人申請を妨害することなく、管理職が責任と役割を持って公正に対処させる。
 また公務災害の手続きを簡素化し、認定時期をいたずらにのばすことなく早急に手だてを打つこと、実態に応じて現行法制度にない災害でも救済措置をとることを要求する。民間の労働災害がすでに適用されているケースは、無条件で公務災害を適用すること。
 また公務災害適用後も本人救済、健康管理、リハビリなどの援助措置を行い、府教委としての責任を果たさせる。

だからこそ、以上の労働安全衛生政策は重要な意味を持っていた。

 部分でには改善され、地方公務員災害補償基金京都府支部の高圧的態度は少なくなってきたが、基本的な改善はまだなされていない。

公務災害申請を大量に
  金庫に隠した校長の行動の行方

 近畿のある県では、公務災害申請をした教職員がいつまで待っても「認定の可否」が通知されないので、校長に聞きにい言ったが、「中央の地方公務員災害補償基金本部待ち」と言い続けた。
 実際には校長が、「公務災害申請書」を校長室の金庫に大量に隠して、申請手続きをしていなかったことが発覚した事があった。

 公務災害申請、認定はおよそ「公正」「迅速」な組織になっていないばかりか、申請前に「潰される」事があまりもい多い。

2011年7月10日日曜日

教職員には 教育上の事があり 公務災害申請を出しにくい制度にされている 申請をすれば膨大な数にもなるだろう


山城貞治(みなさんへの通信32)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その13)

1998年12月「教職員のいのちと健康」
      公務災害申請顛末記( ひとまづ 完 )

痛いめをしただけで終わるのは癪

 「公務災害補償のしおり」にある「医療機関へのお願い」のところに、「すでに共済組合員証を使用した場合」の説明もあるのでそこを示し、医院から基金支部に問い合わせてもらうことにして「補償のしおり」ごと預けて帰ってくる。
 翌12月25日夕方に証明ができたという電話が医院からあった。翌日に取りに行くことにした。
 「顛末記」を書き出した手前、年内に済ませておきたかった。
 また、私と同じころに、すでに書いたもう一人の先生も公務災害認定がなされた。          
 僕が公務災害認定を申請する気になったのは、痛いめをしただけで終わるのは癪だったこともあるが、公務災害認定を申請することを通して問題を投げかけ、今後の労働安全衛生につながることがあればいいという気持ちもあった。
 その点、いち早く生徒部長が職員会議で事故の経過を説明し、

「学校施設の全日制・定時制の使い回しの基本にかかわることの検討をする」

と見解を明らかにしたのは、僕としてもありがたかった。

 それに続いて学校長も、事故の謝罪と、二度と同様の事故が起こらない努力をすること、定時制の教育活動に支障がないようにすることの表明があったので、まあ、一歩前進だといえる。
 そのため、職員室に掲示板が新設され、全日制と定時制が連絡を取り合い、全日制の予定が書かれるようになった。
 例えばこんなふうに。
「○月○日○曜日に卓球の公立高校大会が本校で実施されます。本校体育館を終日使用しますのでご了解下さい。」
                                   
同期採用の先生が 奇跡的に助かったが  せつない

 昨年末から今年の1999年にかけて、脳溢血で二人の教職員が倒れたと聞く。
  一人は現職死亡。
 もう一人は僕と同期の採用の先生だが、集中治療室からやっと一般病棟へ移れたそうである。
 風呂に入っていて無意識のうちに風呂の栓を抜いていて、家族があまりにも長い風呂なので見に行くと風呂がまの中で意識を失っていた。
 救急病院、集中治療、リハビリ。どうなることか心配である。
 倒れたのは冬期休暇に入ってからでも、その原因は、毎日の過酷な勤務の実態を無視しては考えられない。
 奇跡的に助かったと本人は言っていたが、真面目な彼が言うとよけいに切なくなる。

 僕のように原因がはっきりした事故でも、組合や職場の仲間が支援をしてくれていることがわかるから、安心して認定請求ができるのである。
 それでも結構面倒な事が出て来る。
 まして、脳溢血のように因果関係を争わねばならないことになると、府高本部・分会の支えはもっと必要である。
 府高のO先生、N先生が公務災害不認定の決定を受け、再審査の請求も却下され、裁判で闘っている事など知っていたので、これはもう、大変な事である。
                                   
痛みに対する補償もなく
    6,670円の公務災害補償とは

 僕は、最初、公務災害申請をする手順を書き留めておくことも意義があると思って書き出した。
 ところが、今までの報告のような面倒なことをこなしてきて、僕に支払われるのは、診療費と診断書料だけ、合わせて6,670円である。

 こんなに面倒なことをしてきて、痛みに対する補償は何もないのである。
 それでも、思いがけない危険が明らかになり、職場で安全に気をつけようという動きが出てきたことに満足できる。
 O先生やN先生が、裁判闘争にまで踏み出せたのは、自分のことに加えて、今後職場で同じような苦しみをする人が出ないようにという願いがあったからだと心の底から思う。

公務災害申請請求に詳しい人をつくることより
          公務災害を出さない職場にしてこそ


 結局、職場に公務災害申請請求に詳しい人をつくることが大切なのではなくて、公務災害を出さない職場にしていくことが大切であるとつくづく思った。

 先般、府高から全組合員に配られた『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)には、そのような立場から基本的な考え方や問題提起がされている。
 みんなが読み、できれば分会単位で学習会の工夫をしていくことが大切なのではないだろうか。
 いや、すべての教職員にも読んでほしい。

残るのは  公務災害補償制度への腹立ち

 公務災害認定の申請をし、認められて残るのは喜びではなく、むしろ公務災害補償制度の不十分さから来る腹立ちが残る。
 面倒な手続きは、認定請求を抑えるためのものだと思えてくる。
 公務災害が認定されたときに手わたされた「公務災害 通勤災害 補償のしおり」には、「治ゆの報告」などの項目に
「認定された傷病が『治ゆ報告』を所属長の認定を得て速やかに提出してください。(この報告には、診断書を添付する必要はありません。)傷病が治ゆした場合には、基金の療養補償は終了」
などと書かれている。
 公務災害を受けるときは、手間な手続きをしなければならないのに、
本人が補償を受けないという状況になった場合は、本人の報告書一枚ですむ。

 ところが、基金の思いとは別に本人が治療を引き続き受ける場合は、さらに多くの証明が必要になり、
本人が引き続き治療をすすめようとしても認められないこともあることが書かれている。
 ようするに、公務災害を「認めてやっている」と言わんばかりの公務災害制度になっているように思えてならない。
 公務災害認定に詳しくなった知識は二度と使わずにすむことを願っている。
 私の立て替えた、これだけでいいのだろうかと、つくづく思う、6,670円は(1999年1月20日段階で)、まだ僕の手元には帰ってきていない。

「治ゆ」とは、どんなことを言うのか疑問

公務災害申請顛末記には、「軽傷だとされる労働災害」でも、これだけの問題がある。
 彼が、「治ゆ」したとは、書かれた段階では解らない。また補償の金額を見て、これだけ努力して申請したのに「補償はたったこれだけ。」と驚く同僚も多かった。

労働安全衛生対策について
(8)公務災害を取り扱う、地方公務員災害補償基金京都府支部などの諸制度を基本的に改善させる。


には、手続きの簡略化と被災者や遺族の負担をなくし、事業者責任ですべきと言う意味もあった。

手続きの簡略化と被災者や遺族の負担をなくせ

 渡された書類を見て、すらすら書ける教職員はいないだろう。
 非常に複雑で、何を、ドノヨウに書いたらいいのかも解りづらい。
 事務部長も「こんな大変な手続きを学校でするようにすることに矛盾を感じる。」と言うほどだった。
 その事務部長も書類作成・公務員災害補償基金のやりとりで休日返上、残業をしていた。
 公務員災害補償基金は、災害補償請求をしにくくしているのである。

公務災害申請をすると
保護者・生徒・教職員の対立が増大するシステム

 さらに今回のような場合は、第三者被害と言って加害者が特定できる場合は、加害者に公務員災害補償基金が災害補償金額を請求することになっている。
 加害者。
 それは生徒である。そうなると、生徒と保護者と被災者の間でしばしば対立と争いが起きる。
 金額が多ければ多いほど、そのもめ事は増大し、生徒と教師、教師間の対立へと広がる。
 だから教職員が公務災害申請をあきらめることが非常に多すぎるのである。
 今回の場合は、「第三者被害請求をするな」と公務員災害補償基金に申し入れをした。
 このことがあるから、生徒や保護者からの暴力や被害を受けた教職員が公務災害申請をしない場合が非常に多い。もし申請していたら数千件どころではないほどである。
 教育という状況は、公務災害補償には加味されていない。

 さらに、労災保険と基本的に異なった不公正さが、公務災害補償にはある。

2011年7月9日土曜日

手間・時間・複雑な手続きの上に まだ手続きが必要な公務災害申請 管理職も 申請方法など 具体的なことは何も知らない中で


山城貞治(みなさんへの通信32)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)

1998年12月「教職員のいのちと健康」
                                              公務災害申請顛末記(2)

『学校がよみがえる労働安全衛生』を読み直して反省

 我が職場には、府高の労働安全対策委員会の委員長が勤務しているから、聞きつけた彼が、すぐ分会役員に呼びかけ管理職に交渉したものと思う。
 学校へ帰ると、教頭が、診断の結果を聞きにきた。僕は「二日後に再診だということですが、異常は無いようです」と答え、クラスの試合がある間、そばにいて応援をしたり選手交代の指示をしていた。
 瞳孔は開いたままだから、焦点が合わず、照明灯はキラキラ光り、試合が終わるころには頭痛が激しくなった。
                                   
 府高から組合員に配られた『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)には、次のような記述がある。

「第一に、事業者は労働者が安全で健康で働くことを確保しなければなりませんから、ケガが治っていない人、病者や不健康な人を働かせてはなりません。 体調の悪い人も放置してはいけないし、母体をそこなうおそれのある人も同様です。また、ケガや病気をした人が再発しないように気をつける義務があります。
 労働者は自分の健康状態を事業者に申告し、適当な措置を行わせる権利があります。配転時や特別な責任のある仕事への配置のときの配慮は、とくに必要です。
 第二に、労働者はケガや病気の発生防止のための最低基準を事業者に守らせるだけでなく、快適な職場環境を要求する権利を有しています。」

 今になって思うと、医院に行く前にまずすべきことは、校長、または教頭に連絡し、まだ続いている危険な状態を解消するためにクラブを止めさせることと、僕が眼科医へ行くためと、その後の体制を作るために、労働安全衛生に責任を持つ管理職として対応させることであった。     

素早く動いた分会 質問状 
            府高委員長からの見舞い

 僕が怪我をした翌日(18日)は、体育祭2日目であったが、わが職場勤務の分会役員が相談のうえ、学校長に対し、分会委員会として質問状を提出した。
 本来、分会長名で出すものだが、自分のことは言いにくいだろうということで、分会委員会名とし、副分会長、書記長を中心に、役員のみんなが、学校長と話し合ってくれた。
 その質問状は以下のとおりである。
 
   茶谷茶山先生の労働災害に関する質問 
                                                  
 去る9月17日(木)、体育祭を準備していた茶谷茶山先生がボールを顔面にうけ負傷するという労働災害を受けました。そのことに関して、以下数点にわたり質問しますので、早急に文書でお答えくださるよう申し入れます。 
1 茶谷茶山先生の労働災害は、明らかに公務災害として処置されるべきものと考えますが、その点についての管理職の考えはどのようなものであるか。    
2 茶谷茶山先生の労働災害時、本人への救急措置、緊急医療のための手だておよび二次災害の予防の措置を、管理職としてどのように講じられたのか。
 また、本人が治療に専念するための校務代行などの措置を管理職としてどのように講じられたのか。   

3 今回の労働災害の原因についての認識、および今後、教職員への安全配慮についてはどのようなお考えをもっておられるのか。                                    
     
 僕としては、質問状の2の項目について、眼科医から帰ってからすすんで勤務に復帰していたのだから、傍腹痛い思いがないではなかった。
 しかし、考えてみると、薬で左目の瞳孔が開いたまま片目状態になっている者を球技をしている場で勤務させることは、引用した『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)の記述からしても、管理職の責任が問われていることになる。
 質問状の3項目を納得し、分会役員の皆さんに提出してもらうことにした。
 実は、体育祭当日もう一人怪我をした人があった。
 クラス指導をしていた担任の先生が、足の腱を痛め、通院されていた。
 その先生は、組合員ではないので、分会の質問状では触れなかったのだが、僕と同様、公務災害として処置すべきであることを口頭で伝えてもらっていた。
 当日の申し入れに加えて、分会が府高本部へ「いのちと健康緊急報告書」を事故当日に送っていたことや、質問状を提出し、学校長に素早く基本的な考えを示してきたことが、管理職の誠意ある対応を引き出していったのだと思う。
 質問状提出後に、学校長から謝罪があり、公務災害の手続きを進めるよう教頭に話していること、今後同様の事故がないようにしたいと思っていることが僕に伝えられた。
 また、「報告書」を読んだ府高委員長から見舞いの電話があった。

公務災害の申請は初めてなので、と管理職

 その後、教頭に会うと、「私も公務災害の申請は初めてなので……、今、事務で調べてもらっているので、書類はもう少し待ってほしい」という話であった。

 このことから考えても、大方の職場では、管理職に労働安全衛生の知識があって、公務災害の手続きが自動的に進めてもらえるとは、必ずしも期待できないということだろう。
 やはり、本人の意志と、職場が素早く支援体制を組むことが大切だと思う。
 結局、公務災害認定請求用紙ほか、書類の一式を受け取ったのは9月22日のことであった。
 ここで、教頭へ提出した28日までの動きを紹介しておく。
 
19日(土)
・午前中眼科医で再検査(異常なし、点眼は3日続ける)。
・ 眼科医で改めて公務災害の申請をすることを伝える。申請が認可された時点で処理をするから一応共済保険による支払いをするようにとのこと。   
・ 学校に寄り学校長に再検査の結果を伝える。
     学校長より今日の夜の勤務は振り替えるとのこと。              
20日(日) 
・ 定時制通信制総合体育大会のため仕事。
21日(月) 
・定時制通信制総合体育大会の代休
22日(火) 
・僕の話により、教頭より申請書類ほかを受け取る。この日は台風8号により臨時休校となったので、早速書類の下書きを始める。
23日(水) 祝日
24日(木)                             
25日(金) 
・ 臨時職員会議、生徒部長より「体育祭準備中の事故について」の見解表明がある。                     
26日(土) 休日                          
27日(日) 休日                          
28日(月) 
・ 公務災害認定請求書を教頭へ提出。

 以上のように、休日をはさんでいるとはいえ、提出にこぎ着けたのは事故から11日後である。
 書類を受け取った22日からの僕の行動、職場の動きを次号で紹介していきたい。

公務災害認定請求書の手続きは
  大変ややこしくて手間と時間ががかかる


 僕のように勤務時間中の公務災害の場合、申請に必要な書類は、
①「公務災害認定請求書」と添付書類として、
②「診断書」 ③「現認書又は事実証明書」 ④「現場見取り図及び被災状況図」の4つで、必要に応じて、⑤「所属長意見書」を添付するとされている。
1988年9月22日に教頭より受け取った書類は、上記の5つ全部と①~④の記載例を書いたもののコピーであった。
 「所属長意見書」や「診断書」や「現認書又は事実証明書」まで渡されたのだが、僕はいつから所属長になったのだろうかと、一瞬思った。
 それまで渡すところ、いかにも初めて対応(?)する教頭らしい。
 でも、書類の表記を読んでいないことは、間違いない。

 早速、僕は記載例のコピーを参考に書き始めたが、ここで詳しい人にアドバイスを受けておいた方がよかったと思っている。
 共済(健康保険)で支払を済ませていることなどは、教頭から伝わっていなかったことが後になってわかる。
                                   
 ともかく、僕が書くのは①「公務災害認定請求書」と②「現場見取り図及び被災状況図」の2つである。「その二」でも書いたように、書類を受け取った9月22日は台風8号により、臨時休校となった日であったので、たっぷり時間があった。
 災害発生の状況や現場見取り図や被災状況図は、まとまった時間が取れないと書けないものだ。
 僕の場合も下書きをするのに、集中して1時間は要したから、「授業の合間を積み重ねて」というようなことはとてもできない。
 被災状況図など、絵心のない僕には苦痛そのものである。自画像はどんな表情にしたらいいのかなどと考えてしまうが、考えても腕の方がついていかないので、結局針金人間で描いてしまった。
 清書して教頭に提出したのは9月28日(月)であった。
 
どうなったのだろうか
 「現認書又は事実確認書」を管理職が認めなかったら


 「『現認書又は事実確認書』は教頭先生の方でお願いします」と言ったのだが、もしこれが、管理職が認ないケースだったら、事実を証明してくれる人を自分でさがさなくてはならなかった。
 10月7日(水)の午前中(定時制では勤務時間外のことであった)に、教頭より「あと診断書をつければすべての書類がそろう」との電話があった。
 その日は、勤務するまでに予定があったので、そんな話をすると、「僕の方でもらってきましょう」と教頭が言ってくれた。
 地方公務員災害補償基金京都支部へは、その直後に認定請求書が提出されたものと思う。
 災害発生の9月17日から、ちょうど3週間後であった。
 
公務災害認定が遅い、と思うのに これは早いとは……

 12月15日(火)に「公務災害認定」の書類を教頭より受け取った。
 12月4日付けの文書で、「平成10年10月8日付けをもって認定請求のあった下記の災害については、地方公務員災害補償法の規定に基づき、審査の結果、公務上の災害と認定したので、通知します」として、氏名、発生日時、傷病名などが書かれてある。
 請求から約2か月足らずで認定された。「これは早い」との、公務災害のことをよく知っている分会の労働安全衛生担当者から聞かされたのでおどろいた。
 僕としては、忘れたころの認定で、長かったという思いがあったので、何人かに聞いたところでは、「他の事例に比べたら早い」という意見が多かった。分会・職場で原則的な対応をして、管理職も公務災害と認めて進められたからだろうか。

公務災害認定されてからの手続きも大変

 認定後にすることは、「医療補償請求書」を提出するのだが、何しろ受け取ったのが12月15日である。
 テストの採点や成績表の提出、通知表をつけて発送という学期末の仕事をどうしても優先せざるを得なかった。
 一緒にもらった地方公務員災害補償基金京都支部「公務災害 通勤災害 補償のしおり」や請求書の記載項目をゆっくり見たのは、通知表の発送をすませた21日(月)の夜であった。
 書き出すと、診断書料の請求をどこに書いたらいいのかわからない。
 教頭に聞いてもわからず事務の人に聞くことにしたが、担当は全日制の事務職員だから夜はいない。結局年休にしていた24日に学校に行くことにした。
 24日に書き上げ、眼科医院へ請求額の証明をもらいにいった。

 ここでもまた、「公務員の災害補償請求をするのは初めてなので」という答えが返ってきた。
 事故が起きて治療をしてもらった時に「公務災害認定の請求をします」と伝えたのだが、「認定が下りたら処理しますので、一応共済で支払って下さい」と言った人である。
                                                                                                                                   (  つづく  )