2011年6月9日木曜日

過労死じゃなくて、これは見殺しだ!!


 山城貞治( みなさんへの通信 3 )

  京教組養護教員部編著
 「教職員の労働安全衛生入門」
 自主出版に敬意

 1990年7月。
  京都教職員組合( 以下京教組 )養護教員部は、学校保健法の健康診断項目等の変更に伴い、基本的に労働安全衛生を学ばなければならないとして、細川汀氏と垰田和史氏に講演を依頼し、学習したことを多くの教職員に知ってもらおうと京教組養護教員部編著「教職員の労働安全衛生入門」を自主出版した。

 その後、さらに広範な人々に知ってもらおうと京教組養護教員部は出版社に話を持ちかけ・協力して「教職員のための労働安全衛生入門」(細川汀・垰田和史著 文理閣)さらに「教職員のための労働安全衛生入門 増補新版 (細川汀・垰田和史著 文理閣 )として発行して、広く読まれるようになった。

 これら本の発行のために大いに努力し、その役割を果たしてくれた京教組養護教員部の取り組みに敬意を表しつつ、先に述べた「当時の京都府高の委員長は自分たちの教職員組合運動のあり方を深刻に反省」した項目について再転載させていただく。

他教組は猛烈な批判 京都府高は猛烈な反省

 だだ、以下の項目は、その後他の教職員組合から猛烈な批判があり、垰田和史氏が改訂版で掲載しなかった文章である。
 他の教職員組合からの猛烈な批判に対して、京都府高は猛烈な反省から教訓を得ることになる。
 以下、垰田和史氏の話の一部である。

健康を認識できる感覚を正しく発展させる教育

「健康というのは科学で認識しなくても、健康を認識できるような正常な感覚というのが私たちにはもともとある」
と言うことです。
 隣の人間が何か苦しんでいれば
「助けてやろう」
という感覚があるし、痛がっていれば
「痛みを取ってやろう」
という感覚がある。


これがあってあたりまえです。
 お互い助けていかなげればいけないという感覚、これがあってたりまえです。
私はやはりそれはどこが培うのか、と考えると、もともと健康を認識できる感覚は確かにだれでもあるのですが、健康を認識できる感覚を正しく発展させて、
 正しく認識させて、
 正しく行動に結びつけていくことができる、
 それは教育だ、
と思っています。
 私は、幼児から始まって大学に至るまでの教育の中で、
「命とか健康はどういうように自分自身が認識して、どういう行動をとるかというのは教育の対象だ」
と思っているんです。
 そう思っていました。
 ところが、今年になって養護教諭の先生からいろいろな話を聞かしてもらいました。一つひとつの話を聞いてショックを受けています。

学校行事の合間に病院に行く先生

 一番最初にショックを受けたのは、肝癌で亡くなった先生の相談があった件です。
 その先生は入院されて二、三週間で死んでいます。
 医者から三カ月と宣告されて、二ヶ月ぐらいで亡くなっているではないですか!!
 私たち医者の感覚からいいますと、ふつうは短めに言うんです。
ところが、肝癌でなくなった先生の事例を見れば医者の常識に反して早く死んでいます。
 それはなぜかといえば、病気が発見されてからさえ、病気治療に専念することになってなかったかも知れません。
 学校の行事が優先して、その後に入院することになっているでしょう。
 入院前の「いつごろからどうだったか」ということを調べてもらいますと、全部学校行事のスキ問に病院に行っています。

このままでは学校に行くのはあかん、
    と奥さんが止めたのに

 またその間にその先生にはいろいろなことが起きています。
 奥さんが、
「このままでは学校に行くのはあかん」
と止めても、聞かない。
 同僚が、「休むように」「治療を受けるように」と仕事を止めているか、止めてないかは、知らないけれども。
 「大丈夫ですかア」とたずねた時は、もうお腹に水が溜まっていました。
「あんまりしんどいから、しゃがましてほしい」
と言って、養護教諭の先生と死ぬ前に学校で話をされているということです。
 こういう話を聞いた時に、私は非常にショックを受けました。

先生たちが見殺しにしている

 しかも、
そのことが「過労死か?」
と言って、私のところに相談にきたのに対して、もう一つショックを受けました。
 もう腹が立ちまして、


「過労死じゃなくて、これは見殺しだ!!」と。
 周りの人たちが、全部その先生を見殺しているじゃないか、と。

誰が痛みに感じているのか

 たしかに肝癌というのは死の確率の高い病気だけど、そんな死に方をしなくたっていいと思うんです。
 その先生は、若いし、肝癌とわかったら、その先生の子どもや家族と接する時間を、どうやってつくっていくのかというのが、医療にとって非常に大きな課題になるんです。
 だから、医者が「三カ月の命だ」と言ったのをニカ月で死んでしまったことは、誰が痛みに感じているのか、と思ったわけです。
 過労死か、過労死でないか、という責任を問う時に、
「過労死させたのは誰」
「過労死させられたのは誰か」
という状況でしかないんです。

 たしかに今言われているような社会的な問題というのは、「過労させていく側」と「させられる側」という二つの局面はあります。

自分の隣に過労して
死んでいこうとする先生がいるのに

 だけど、自分の隣に過労して死んでいこうとする人間がいることに対して、何ら手をさしのべられない。
 そういう職場環境というのは大きな問題をはらんでいると思います。
 そこには、もう正常感覚がないんじゃないか、と思うんです。
 それも、教育という現場の中で起きている。
 その正常感覚がないことに対して非常に私たちはショックを受けました。
 
もうそんな状況にまで、教育現場は

大学で公衆衛生をやっている者は
「そうかア、もうそんな状況にまで、教育現場はなっているのか」
ということになります。
 でも、医学が解明するような問題は何もないです。
「こんなことしたら、死ぬのはわかってる」
ということばかりしているわけですから、新たに研究する課題は、何もないのです。
 だけども、公衆衛生や予防医学をやっている者は、現場の人たちと考えていかなければ解決はつかない問題はあるだろうと考えています。
 問題をまず整理していく、あるいは、問題の視点をつくっていく、そういう点からいえば肝癌でなくなった先生の問題は、きわめて重大な問題だと思います。
 以上のことは、私が滋賀医科大学予防医学講座の研究室で今まで話し合ってきている中で、至った結論なんです。
 国や資本というのは、「健康は自己責任だ」と言うんです。
 つまり健康を守るのは自分の責任だ、と。子どもじゃあるまいし、自分で責任をもて、と。
 こういう理屈です。
 私たち自身も、そういう考え方に毒されています。

ガマンするのが教育に責任を持っているなんて

 自分の腹が痛い時に、
「自分で医者へ行ったらええんやろ。行かへんかった人が悪い」
と、こういうように言います。
「ああ、どうしてあの人は医者へ行ってくれへんかったんやろうね」
「調子が悪かったら無理せんでもよかったのにね」
と後から言う人はたくさんいます。
 だけど、じゃあそういうことができる職場環境なのか、職場に条件があるのか、ということになります。
 教師の身体が悪くなり、休んだ時に子どもの教育は誰が責任を負うんだ、という議論が出てくると休めなくなると言います。
 休まないのが教育に責任を負っているんだ、という考え方になっています。
 そこに今たどりついているのかもしれません。
 大きな問題から考えた時に、労働者の犠牲を前提にして成り立っていくシステムというのは、決して健康を保障していくシステムではありません。
 健康というのはやはり人権なんです。


生きていく権利 
非情な危険状態でもいのちと健康を守る権利

 一番基本的な人権なんです。
 生きていく権利というのは……。


 何も戦争だけが命を奪うだけではなくて、日々の労働生活の中で、私たちの命や健康というのは非常に危険な状態にあって、そのことを守るための取り組みも命を守る取り組みなんです。
 そういう認識にどれだけ私たちが立っていくか、ということが大切だと思います。

健康というのは自分一人では絶対守れない

 私たちが言っているのは、
「健康というのは自己の責任で守るものではなくて、健康の主権者は一人ひとりだ」
それは、
「健康の主権者なのであって、自分自身が健康に生きていける権利を主張することは私たちにできる」
わけです。
健康に生きていける権利を守っていく責任者は、社会やいろんな体制・システムです。
 それが責任を果たさなければ、健康に生きていく権利は守れないわけです。
だから、健康というのは自分一人では絶対守れません。
 朝走って、自然食食べて、何時には寝て、と言っても、飲んでいる水、それはどんなものか、吸っている空気はどんなものか、空から降ってくる雨はどんな雨なのか、原発が事故をおこせばここらのみんなの命は終わってしまいます。
 個人の努力というのは、健康や命を守ることに対して非常に限界があります。


非常に辛いけれども
一つひとつの事例を究明してこそ

 職場の同僚が死んだ時に、
「一体自分たちはそれにどう関与していたのか」
「死に至るまで私たちはどうして気づかなかったのか」
「何がこういう状況にしていったのか」
 非常に辛いけれども一つひとつの事例をやっぱり職場の中で追及していってほしいと思います。
事後の報告じゃないです。
みんなで考えていけば、誰もが同じ危険性を持っていることがわかる
死ぬまでの報告です。
「死ぬまでどうだったのか」
「どういう仕事のしかたをしていたのか」
「どういう仕事があったのか」
「なぜそういう仕事からこの人は休息を取ることができなかったのか」
と、やはりそういう調査を通じて、みんなで考えていけば、誰もが同じ危険性を持っていることがわかってきます。その職場の中では……。

高塚高校事件の職場感覚

 今日の新聞を列車の中で見てきました。
 神戸の高塚高校の鉄門で女生徒を挟んだ先生が懲戒免職になったという記事が載っていました。
 その記事の中でA教諭は「もう教職にはつかない。思いきり肉体を使う土木作業でもしたい」と言っていて、そして、県教委の事情聴取についても「長時間かんづめにして水も飲ませてくれなかった」と批判して「県教委は私を暴力教師に仕立てたいのだろう」と言っています。
 さらに「私は一年のうち休んだのは正月の二日間だけ。サラリーマン化した先生がのうのうとしているのに、一生懸命やってた私がこんなことになって、とつぶやくこともある」と書かれています。
 これを読みますと、こういう教師がいる職場は、やはりもうまったく感覚はおかしくなってるだろう、と思います。
 養護教諭は、どういう教育を受けているか、私はよくわからないんですが、少なくとも子どもの健康や発達に対して責任を持っていくという点では、学校教職員の中では、もっとも命や健康を職域としても理解し得る専門職であろうと思います。

教育が命や健康をどう見るか

 学校教職員の中で養護教諭の方々が労働衛生問題にいち早く手をつけて取り組んできているということは、すごく立派なことだと思うんです。
私は学校の先生たち一人ひとりが、自分の命というものに対して認識した時に、「教育が命や健康をどう見るか」
ということを通じて一人ひとりの人権というものをどう大切にしていくのか」というかたちに変わっていけるんじゃないかと思っています。
 そういう意味で、養護教諭の人たちが、労働衛生の問題の中でいろいろな勉強をしていただけるとすごくいいんじゃないか、と思います。

労働安全衛生法=労働安全衛生でない



                                                 山城貞治( みなさんへの通信 2 )

「 内藤先生の過労死京都地裁判決を読んで 細川汀 」の続きです。

 1972年に作られた労働安全衛生法を
    無視した文部科学省(文部省)

 文部省が1972年に作られた労働安全衛生法を無視した姿勢をとりつづけ、ようやく数年前から労働組合などから批判を浴びて、規定や体制について検討・整備しつつある。

法をねじ曲げる文部科学省(文部省)

 しかし依然として労働者の安全と健康を守るために、
法を最低基準として労働条件の向上や快適職場環境の形成を実施するという法的・社会的義務を自覚しようとしない。
 多くの規定が安全衛生委員の選出を組合以外から選ぼうとしたり、産業医を健康管理だけの仕事にしぼろうとしたり、衛生管理(推進)者を管理職(教頭)だけにさせようとしたりしている。
 これらは、法をねじ曲げているとしか言えない。
 最近はますます校長の権限を大きくし、教職員の権限を縮少する労務管理が急速に進行している。
 このことと、教師の過労死認定についての基金の判断は決して無関係なものとは言えないであろう。

精神主義だけの学校管理

 前述の教研集会でも

「職員会議で発言すると仕事や責任が増えるのでみんな黙るようになった。」
という報告があったと報じられていた。
 これらのことは、拙著「教職員のための労働安全衛生入門」(共著、文理閣 注 現在教職員のための労働安全衛生入門 増補新版細川汀・垰田和史著として発行 )に詳しく述べているので参考にされたい。
 内藤裁判における校長の証言記録を見ても、管理者の安全保護責任の自覚がなく、精神主義だけの管理をしていたことが明白である。
 彼らにはすべての教員が疲労とストレスをためない、体調の悪い人には早く回復する措置をとる義務があった。
 「判決」はここまで踏み込んでいない。
            
労働安全衛生法だけでいのちと健康は守れない

 この文章を読んで、1980年代末から1990年代にかけて、
「教職員に労働安全衛生法の適用を」
「労働安全衛生体制の確立強化は、教職員のいのちと健康を守る。」
「対等平等の労働安全衛生体制の確立」
のスローガンの一面性を再確認した。
 このことで、教職員組合内部で孤軍奮闘して主張しなければならなかった。
 いまでも、「教職員に労働安全衛生法の適用を」とか「労働安全衛生法の適用させて前進した。」「職場にロウアンの風を」などなどを主張する教職員組合は少なくない。
 だが、細川汀氏が述べているように
1972年に作られた労働安全衛生法は、最初から教職員にも適用
されていたのである。
 それをさもさも、労働安全衛生法を適用させたと成果を示す教職員組合の様子は、言いようもない気持ちになる。

労働基準法から
無理矢理「労働安全衛生法」が切り離された

 それどころか、関東のK市教職員組合の役員の一部は、労働安全衛生法をさらによくなるように法改正すると「豪語」していたことがあった。
 そこで、教職員の労働時間などを質問すると、答えられないのでさらに驚いた。
 役員は、労働安全衛生法はもともと労働基準法にあったものを、多くの反対を押し切って「分離独立」させられものであることも知らなかったのである。
 労働安全衛生法 第一章 総則
(目的) 第一条  この法律は、労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)と相まつて、労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。

すら読んでいなかったのである。
「労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)と相まつて」
の意味も。

 労働基準法には、

第5章 安全及び衛生 
第42条 労働者の安全及び衛生に関しては、労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)の定めるところによる。 第43条から第55条まで 削除 

すらも読んでもいないし、その意味も知らなかったのである。

 さて、「教職員のための労働安全衛生入門」で京都府高は重大な誤りを、滋賀大学医学部の垰田和史氏に突きつけられることになり、当時の京都府高の委員長は自分たちの教職員組合運動のあり方を深刻に反省ことになる。 

2011年6月8日水曜日

京都府立高等学校教職員組合(京都府高)の労働安全衛生の取り組み



 「教育と労働安全衛生と福祉の事実」に山城貞治さんから、京都府立高等学校教職員組合(略称京都府高というらしいです。)が労働安全衛生に取り組んだこと。その当時公表できなかったことを知っていただいて、教育と労働安全衛生を考える糧にしていただきたいという連絡をいただいた。
 検討した結果、山城貞治さんの名前を記載して書いていただくことになった。

                    山城貞治( みなさんへの通信 1 )

 京都府立高等学校教職員組合(略称京都府高)労働安全衛生対策委員会の機関紙「教職員のためのいのちと健康と労働2000年4月)に労働安全衛生研究者の細川汀先生が書かれたことから、まずお読みください。
    
内藤先生の過労死京都地裁判決を読んで     細川汀

 1998年度に精神性疾患が原因で休職した公立学校の教師は1707人で、過去最も多かった。

職員諸兄、学校がもう砂漠のなかに果てますぞ

 今年の日教組の研究集会でも多忙な教員生活でうつ状態におちいり、昨年10月から3ヵ月の病休をとった女性教師(44才)の体験が報告された。
 中学3年担任だった彼女はストレスで6月ごろから生理が止まった。
くすりでごまかしながら学校を続けたものの、9月には生活指導や体育祭の準備が重なり、うつ状態におちいった。
 「やらなければいけない」という気持ちばかり先走り、同じ時間でも一割か二割程度しか仕事がこなせなかったが、それでも生徒との信頼や保護者からの批判を思い、他の先生へのしわよせを考えると休みにくかった。
 そのことから、彼女は病休者の代替制度や悩みを話せる職場づくりがなければ、自分の身体を守りよい教育を続けることはできなかったと訴えた(毎日新聞1/31)。
 こういう事例はいまどこでも起こっているし、また起こっても不思議ではない。
 宮沢賢治がうたった「職員諸兄、学校がもう砂漠のなかに果てますぞ」(『氷室の冗談」の一節)そのまま。
 学校にかってあったゆとりや、うるおいが失われているのである。

17の校務分掌・育友会の庶務やスポーツ教室

 1989年2月過労の末自宅で心不全を起こして死亡された内藤先生(当時39才)の場合、2年生の学級担任のほか、教務・同和教育・体育・学校行事・調査統計の主任など、合計17公務を担当していた。そのうえ育友会の庶務やスポーツ教室のサッカーの指導もしていた。
 学校や地域の行事が多く、そのつど計画、役割分担、意見調整のしごとの責任がかかってきたし、校内資料作成の複雑なしごともあった。経験の乏しい若い先生が多く、彼らへの指導や助言もかなり負担になった。
 とくに行事の多い秋から年度末にかけては、自宅に仕事を持ち帰って連日数時間机に向かっていたと家族は証言している。
 88年度は、この学校が自主研究の発表校だったので、さらに責任が重なった。

叱咤激励するだけの校長の下で

 しかし、小規模校のせいや若い先生の多いこともあって職場での支援が少なく校長は「虎穴に入らずんば虎児をえず」などと叱咤激励するばかりだった。

壁にもたれて「ああしんど」は生命の危機

 内藤先生はカゼを引いても休むわけに行かない、胃腸がわるくても医師にかかれない。無理をして出勤しているうちに、職員室の壁にもたれて「ああしんど」というようになっていた。
 この状態は疲憊(ひはい)と呼ばれ、生命の危機・破綻(たん)のSOSと考えれれているが、学校長はその信号を正しく受けとめなかった。
 彼は教員の安全と健康保持の義務という法的・社会的・教育的責任を放棄していたと言えよう。
 去る1月28目の京都地裁判決が、「多忙な職務による疲労・ストレスが原因である」と明快に判断したのは当然である。 (以下「判決」)

京都府公務災害支払基金(支払基金)は
どこの学校と比べても変りがない、と

 誰が見ても明白なこの事実が10年もかかって裁定されて、しかもまだ京都府基金は認めようとしないのか。
 一貫して内藤先生の死を公務外とする基金側の主張の理由というものの中味は次の通りであった。

(1)とくに帰宅時間がおそいわけでもなく、睡眠時間も短くない。死亡直前にもそれほど異常な出来事はなかった。
(2)職務はどこの学校と比べても変りがなく、小さい学校では17校務はふつうである。
(3)ベテランの先生なら、このくらいのしごとはらくに行える。
(4)持ちかえりの仕事は、本人が勝手にやっていることであり、校長では何時間しているか分らない。
(5)「ああしんど」というのは、本人の口ぐせである。もし疲れていたとしても、それは父親の病気や子どもの世話であろう。
(6)本人の死は過労による心臓死ではなく、ポックリ病である。
 基金の公災認定についての姿勢は、きわめて硬直・機械的である。

働く人たちの声
健康や生活の訴えなど
事実調査・検討もしない

 彼らは職場の状況、仕事の実態、そこで働く人たちの声、健康や生活についての訴えなど、事実にあたって調査をしたり検討したりしない。
 その分野での専門家・研究者の業績にも学ぼうとしない。
 認定の仕組みの非民主的なこととあいまって、認定作業の中で労働組合・支援者・同僚・主治医の意見もまともに聞こうとしない。
 そのうえ、国際的水準はもちろん、わが国の労(公)災法や夫々の認定基準についての理解も歪曲されていることが多い。このために、被災労働者(家族)は民間に比べても著しく不当な裁定を受けてきた。

起こるはずがないと決めつける

 たとえば、保育所保母の頸肩腕障害の認定について基金は一貫してその発生を否定してきた。
 そういうものは起こるはずがないと言うのである。
 そして、政府が認めた設置基準以下でないからとか、認定基準に職種明記がされていないからとか、という理由をあげた。
 裁判でもこれらのほか、本人の出産や家庭、体質や老化、他の疾病(異常)の存在、などをあげて業務外と主張した。
 政府が保育の仕事で発症することを認め、認定基準を改正した後の裁判でも、基金はまだその崩壊した「理論」をくりかえしている。
 教師の過労死についても、基金は教師に過労死が起こるはずがない、という姿勢を取り続けた。
 これまでの多くの認定や裁判での基金側の主張はすべて

①帰る時刻が毎晩定時より3~4時間遅くなければ過重とは言えない。持ちかえり仕事や家庭訪間の時間は校長の管理下でないから、どこまで仕事なのか分からない。

②職務分掌は学校規模によって異なるが、15~20ぐらいあるのが普通である。主任の数がいくらまでが妥当かはいちがいに言えない。

③学校の先生であれば、運動会・文化祭のような行事、体育競技や合宿、遠足や修学旅行など、研究発表や未経験者にたいする指導など、楽にこなすのが普通である。

④先生である以上、教育上の責任から少々の疲労蓄積やからだの不調ぐらいで早退や欠勤をされては困る。夏休みや春休みがあるから権利として認められている諸休日も勝手に取らないでほしい。

⑤先生である以上、学校内はもちろん、学校外で問題、たとえば交通事故など起こしてこういうことによるストレスや疲労は本人の責任である。

というものであった。
 このように、教師に課せられた責任は過大であると言わざるをえない。
 最近の「授業崩壊」の原因についても、文部省の調査結果は教師の70%、家庭30%と言うものであり、育友会調査の教師10%とは大きく外れたものであった。

2011年6月6日月曜日

教育と労働安全衛生と福祉の事実: 野口法子氏の虚言と「学齢期の学力を考える学習会」へ事実の訂正

教育と労働安全衛生と福祉の事実: 野口法子氏の虚言と「学齢期の学力を考える学習会」へ事実の訂正

滋賀大学教育学部窪島務氏へのエピローグ     言うは易く行うは難し



 子どもの生き生きした姿がない

 教育実践と言いながら、窪島氏の文章には、子どもたちとの生き生きとした具体的な取り組みは書かれていない。
 注意して読むと、少しばかりの具体的例は、「滋賀大キッズカレッジでは、」と書かれていることから、彼が実践して得た教訓でないことが窺える。なぜ、彼は自分自身が実践した事を書けないのだろうか。他の人が実践した事を例に挙げるのだろうか。大いなる疑問がある。

 「立命館大学研究シリーズ ヒューマンサービスリサーチ」
「読み書き障害の新しい概念と滋賀大キッズカレッジの教育的指導─発達主体の定位と「障害」の位置づけを中心に─」(2008年6月)で、
窪島氏は次のように述べている。

 雪という字を書いてもらうと、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」
(4年男)として、頑張っても失敗してしまう、一生懸命直そうとして、先ほどの例のように、
「ここ『ヨ』やな」
と言いながら1本多くなってしまうというふうなエラー、間違いが起きてくるところです。
 それは、その子ども自身が主体的にその自分の弱さ、記憶の悪さなどに対応しようとして、必死になって機械的な記憶にたよっている姿です。
 そのことによってLD症状が強化されてしまうのです。
 LD指導がLDをつくるということが英語圏では時々いわれますが、そういうことが起きている可能性があるということを理解しておくことが重要です。

問いかけて やらして 何もしない

 この文面はさらっと流してしまいがちであるが、「雪をかいてもらおうとした」という文章が、前文にある。
 すなわち、

「雪をかいて」
と言ったのは窪島氏であると読み取れる。(彼は誰かの話を又聞きして述べている可能性もあるが。)
と「LDの子ども」は、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」
と言って書いた。
するとその子は、
「ここ『ヨ』やな」
と言いながら1本多くなってしまった。
 それを窪島氏は、「エラー、間違い」が起きて、としてLDの子どものことを書いている。
 だが、たのんだ人間が、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」「ここ『ヨ』やな」
とたのまれたことに応えた子どもが「「エラー、間違い」と断定する前にすべきことがある。

子どもとコミュニケーションしないで憶測

 その子どもどのような話をしたのかである。
 が、そのことはまったく書かれていない。コミュニケーションしていないようである。
 その子自身が書いた文字に対して、その子自身がどのように「認識」(「認知)しているのか確かめようとしないで、窪島氏は断定している。
「ありがとう」
「書けたね」か「その字はどう、思っているとおりに書けた?」などなどその子と話して、その子は「ヨと書いた」と言い切っているのか。
 「ヨが書けてないのかな」「これ間違っている?」と言ったのか、などなど。
状況と子どもの様子によるが、子どもとのコミュニケーションを通して知ろうとしないで、
「その子ども自身が主体的にその自分の弱さ、記憶の悪さなどに対応しようとして、必死になって機械的な記憶にたよっている姿」
と断定する。
 子どもとコミュニケーションしないで、断定するのは、問いかけた人に、子どもが「必死になつて応えている」ことに対して大変失礼な行為であり、非教育的ではないか。ここには、教育者としての姿は見られない。

子どもの問いかけは たんなる資料づくりのため
 子どものための研究はドコニ見られるの

 むしろこの子は、こうなんだという先入観の元にわざわざ書かせて、自分たちの書きの「エラー、間違い」の資料づくり(写真に撮り、発表するための)のために問いかけたにすぎないと言われても否定できない記述である。
 問いかけられたことに素直の応じた子どもが、書いた結果に何も言いわれないことは、子どもに不安感を抱かせる、という教育上の配慮がここにはない。
 窪島氏の言う「不安感」や「安心感」は通常考えられるものではなく、彼の思考回路にあるらしい。
 さらに、「問い」に対して「応じた」子どもに対して「何も言わない」し、なんのアクションも起こさないとなられば、窪島氏は、子どもたちを実験の対象としてしか見ていないことになる。
 この非情な報告は、
行間を読みとらないと浮き上がってこない。でも、そう読める。

  だから窪島氏は、子どもたちに対する指導によって子どもたちが何を獲得できるように取り組んでいるのかという目標がまったくなく、窪島氏らを信じて、頼って、たどり着いた親や子どもたちにだだ期待を持たすだけ。
 文字を知ることで、喜びとなる生き生きとした子どもの姿を、窪島氏は捉えようとしないと考えられるのである。


LD、ADHD、PDDなど複合する障害を避ける

 さらに彼は、

最初に発達障害と読み書き障害の関係について見ておきます。
LD(学習障害)は単独で成立するということももちろんあるわけですが、実はADHD、PDDあるいは発達性の協調運動障害などと併存する傾向があります。
 これらは学習障害をあわせもつ可能性が非常に高いといえます。
 その併存の可能性は3割から8割といわれています。
確定的ではないのですが、いずれにしても重なる場合が非常に多いといわれています。
 重なった場合、それぞれの発達障害にとっても、あるいは学習(読み書き)障害にとっても、大きな困難がでてきます。

としながら、「LD(学習障害)は単独で成立するということももちろんあるわけですが、実はADHD、PDDあるいは発達性の協調運動障害などと併存する傾向」に対することは、ふれようともしないのである。
  「重なった場合、それぞれの発達障害にとっても、あるいは学習(読み書き)障害にとっても、大きな困難がでて」くるから、彼はそれを回避して、細分化したある限られた部分について「少しのべ」それをあたかも全体であるかのように述べている。

4年後に肯定から否定に転化する学校で出来ない主張

さらに窪島氏は、

 私たちのところでは、現在30数人の子どもたちに対して1対1で、月数回の指導をしております。
 学校では、このようにはできません。
 学校に対しては、私たちのところと同じやり方でやれるとは考えていません。
 学校には学校独自の対応の仕方があります。
 例えば、視覚的な刺激が混乱を巻き起こしてしまうような子どもたちの場合には、耳で聞いてあげれば十分理解ができます。
 先生の話していることが十分理解ができる子どもの場合には、字は見なくてもよい、書かなくてもよい、ノートをとらなくてもよい、先生の話に耳で集中して理解をすることに集中させる、このことを重視します。
 このような対応をしてもらっている子どもが何人かいます。
 しかし、それだけでは十分ではありませんが、少なくとも子どもがしんどい思いをしなくてすむ、学習理解においてもそれなりの理解がすすむ状況をつくりだす必要があります。

と述べている。
ところが、4年後には、すでに「少人数学級は生徒・教師を息苦しくさせるか 滋賀大学教育学部窪島務氏への疑問(9)」で述べた「日本教育学会誌『教育学研究第69巻第4号』(2002年12月季刊)の「LD・読み書き障害の発達的理解・アセスメント及び指導法の探求」では、

  少人数学級はこれまでの日本の学校の教育観と矛盾を呈することになる可能性さえ有している。
 旧態依然とした関係で子どもに臨むならば,子どもだけでなく教師もともに一層息苦しくなるであろう。
 少人数学級への懸念として,学級集団と学習集団がことなることを理由にその教育的意味に疑問が呈されることがある。
 6歳の子どもの有する柔軟性は学級集団と学習集団を交代する程度の変化には十分対応可能である。
 根本的問題は,その際の指導のあり方や日常の学習指導における子どもとの関係の取り方にある。

「現在30数人の子どもたちに対して1対1で、月数回の指導をしております。学校では、このようにはできません。学校に対しては、私たちのところと同じやり方でやれるとは考えていません。学校には学校独自の対応の仕方があります。」を否定して、「根本的問題は、その際の指導のあり方や日常の学習指導における子どもとの関係の取り方」と根拠も研究的もしないで断じているのである。


ヴィゴッキーの
「すべてを同じ尺度で計ることは、教育学の最大の誤解である」を意図的に外す

 彼は、「ヴィゴッキー心理学論集」の

 教育者には二つの課題が立てられる。
 第一に、すべての生徒について、すべての特質の個別的研究をおこなうこと、
 第二に、それぞれの生徒に対するすべての教育方法および社会的環境の影響の個別的適用を 
 はかることである。

を思考しながら書いていることが充分予測できるが、窪島務氏は、次の部分が理解できないでいる。
 すなわち

 すべてを同じ尺度で計ることは、教育学の最大の誤解である。
 教育学の基本的前提として個別化の要求 ー すなわち、すべての生徒に対し個別的目的を意識的に正確に定義することである。

失わた高等教育は真理の追究の過程に触れる

窪島氏には、

「真理の追究こそが近現代の大学の目的である。高等教育は、真理の追究の過程に触れることによって成り立つ。
 そして真理の追究のひとつに、社会の病理を研究し、虚偽を批判する仕事がある。これは近現代の大学が持つ最も重要な機能である。政治や経済や教育が、時の政治権力によって誤った一方向に流れるとき、その歪みを映す鏡の役割が大学に求められている。」


という高等教育の原則は存在していない。

学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?
学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?


 A大学教育学部教授は、次のようなことを公表している。

 1960年代から70年代の京都の障害児教育について聞き取りをしている。
その中で、興味深い話や資料を聞かせていただいたり、見せていただいている。

○ Mさんは、知恵おくれのS君の将来の道すじを求めて、いろんな集会にさんかしてきました。
 数年まえ、ある集会に参加したMさんは、助言者である某先生の「過保護・溺愛」ということばに、思わず発言しました。
 「私は、こんなおおぜいの人の前で、何もよう言いませんが、このことだけは言わしてください。先生は『過保護・過保護』とがんばりますけど、私は好きで過保護しているとちがいます。
『獅子は千尋の谷に我が子を落とす』
といいます。
 私かて、あの子をそうして鍛えたいと思います。
そやけど、あの子を突き落としたら死んでしまいますがな。
 今の日本では、だれも、政府も、それを受けてとめてくれません。
 下に網でも張って受けとめてくれる世の中やったら、私かてあの子を突き落としても心配はしません。」このMさんの発言を会場はじっとかみしめました。

○ S君はまもなく18才。
 今まで学校へも入れてもらえず、W学園もまもなく退所しなければならなくなりました。
 Mさんも養護学校づくりや授産所づくりの運動に参加してきましたが、いよいよ与謝の海養護学校の開設も近づき、S君が初めてはいれる学校になりそうだと、息子さんに話しました。
「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」
と希望に燃えたS君は、“学校にはいれる”ときいたことから、字の練習に一生懸命になりました。
 そしてまた、
「働いて、お金ためて、大好きなH先生にプレゼントをしたいんや」
と、かあさんに相談をもちかけました。
「ステレオあげるんやったらそんなお金貯めるまでに、先生は70すぎになってしまうで」
「そうか、そんなら先生死んでしもてるかもしらんな、そしたら先生のお墓にかざって、それから学園へ寄附するわ」
 S君はH先生に同じ話をもちかけました。


 「かあちゃん、先生なア、ぼくがステレオお墓にかざったら、『先生のお墓、ガタガタゆれて喜ぶわ』言わはった。」と。
 このS君の豊かな発達を、いっそう保障するためにと、Mさんの確信と決意は強まっていきました。

40年以上前の教訓はどこに

 今から40年以上前の話。
 「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」と希望に燃えた18歳のS君が、「学校にはいれる」ときいたことから、字の練習に一生懸命になりった。
 字が書ける喜び、学ぶ喜び。
 18歳は、児童福祉施設の収容期限。
 もう終わり。行くところがない。
 この時に入学。
 この学校が京都府立与謝の海養護学校だった。


18歳の入学おめでとう

 窪島氏は、与謝の海養護学校をよくよく知っていいる。
 でも、その教育内容を理解していない。
 ましてや、18歳になって、字を覚えようとする気持ちと努力を自らの教育学に教訓化していないことが明白になった。

  窪島務氏に捧げる 

 最後に次の一文を窪島務氏に捧げる。

 学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。
 然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。


                     緒方洪庵抄訳扶氏医戒より

2011年6月4日土曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏へのエピローグ    誠実に教育をもとめる人々を翻弄してはならない






公表し 取り組まない
LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校づくり


 窪島氏は、NPO法人滋賀大キッズカレッジのことを次のように書いている。

  フライエはドイツ語で「自由」を意味します。
 キッズ・フライエ・シューレは、一人ひとりの子どもが様々な制約を打ち破り自己の可能性を全面的に実現して「発達的自由」を獲得することを援助する「学校」を意味しています。
 滋賀大キッズカレッジは、欧米にあるようなLD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要と考えています。
 将来も見越して、これまでの「学習室」をキッズ・フライエ・シューレ(キッズ自由学校)と呼び、将来への夢と希望を形にしていきたいと考えました。
 キッズ・フライエ・シューレのもう一つの目的は、学校で大きな困難をかかえ学校嫌いや不登校になっている子どもたちに在籍学校と連携しながら「もう一つの学校」を提供することです。

行動しない 今すぐ必要 待ったなし

 すなわち、彼は普通校や普通学級の教師の責任や無理解を問題にしながら、内実は、「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要」と考えているのである。
 では、彼は親や教師たちにLD学校、ADHD学校、アスペルガー学校を作ることを提起して、なぜ運動しないのだろうか。
 
 2011年6月25日(土曜日)滋賀大学教育学部で開く予定の「発達障害の子どものことを理解しましょう 保護者のための講演会と交流会」で、彼は、

「学校できちんと理解してもらえず悩んでいる子ども、保護者の方もおられます。
 そこで、子どもの困難の本質をどう理解すればよいか、家庭ではどう対応すればよいか?学校にはどのように理解してもらえばいいの?等、保護者の皆さんの学習と交流のつどいです。お気軽にご参加ください。」

と学校の理解を強調するが、LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校を作ることを提起していないのである。
 しかも、この交流会は、「保護者、家族、支援に関わる方など」で「一般の方はご遠慮下さい」としている。
 それならなおのこと、窪島氏の本音である「学校づくり」を提起すべきではないだろうか。
 だが、それをしないで、「学校の理解」や交流だけで事を済ませようとしているのである。

もとめられる教育発展の批判 

 先に断っておくが、窪島氏が、今日の学校や教師に対して大学教育の専門分野から意見や批判があれば、大いに批判し、論議をして教育の発展に寄与すべきであると考える。
 教師批判や学校批判をすべきではないと言っているのではない。
 教育研究から出た結果なら大いに主張すべきであり、教師たちの意見や親の苦しみをもっと聞くべきだろ主張すればいい。
 だが、彼は、
教師に対しては発達障害児の困難性を言い、
親に対しては、学校や教師の理解を言う,
などの使い分けをして、必要以上に対立関係をつくり、自分たちこそがそれを解決できる専門性を有しているかのように描き出そうとしているのである。
 だが、本音は、
 普通校では発達障害の教育は出来ない。 
  LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が必要だ。
と告白しているのである。
 これほど、親や教師や教育関係者を愚弄しているのである。
 だから、このブログで延々と彼の書いていることを紹介してきた。

不確かなことは不確かなこととして

 窪島氏や彼と同調している人々は、真剣に悩んでいる人々を愚弄したり、惑わしてはならない。少なくとも、研究者というなら真実にあくまでも忠実で、真摯に真剣に悩んでいる人々に応えるべきだろう。

 解っていることは解っていることとして。
 不確かなことは不確かなこととして。
 解らないことは解らないこととして。

 だが窪島氏らのやっていることは、「生半可な知識」をまるで新しい教育方法かのように「粉飾」しているにすぎないとも言える。だから許されないことである。

LD、ADHD、アスペルガーなどは
すでに知っていたのに


 すでに書いてきたが、 LD、ADHD、アスペルガーなどのことは、文部科学省が明らかにするまでもなく数十年以前からいくつかの国の研究者が主張してきたことであり、窪島氏も、日本の少なくない教師たちもそれらのことを知っていたし研究・検討して教育実践上に生かされて来た部分も少なくない。
 窪島氏が最近、にわかに言い出している読み書き障害などの問題は、江戸時代の文献にも出てくるし、戦前・戦後の教育の中で課題とされてきた。
 
読み書きが困難な子どもたちの教育に
取り組んできた教師たちを無視する背景


読み書きが困難な子どもたちを放置してきた歴史だけではない。
 窪島氏のよく知る障害児学校や聞こえの教室(難聴学級等)・ことばの教室(言語障害児学級等)・情緒障害児学級などなども含めて、日本の教育現場では
子どもたちの状況をよく「看て」、
諸外国の実践例はもとより、
子ども一人ひとりにあわせた教育実践
も多くの規制を排除して行われてきた。

子どもの発達上よくない
 とされたことも知らないで


 その教育実践で、子どもたちの発達上よくない方法として教訓化された「誤り」の方法を学びもせずに、同じことを専門的方法として、歴史的経緯を何も知らない教師や親に風潮しているのである。
 日本の教師は、行政の保障のないまま、世界に誇るべき優れた教育実践も数多く取り組まれてきた。
 ほんの少し前の教師の教育実践記録を調べるだけでも、窪島氏らがさもさも充分理解しているかのように述べる「読み書き障害」の子どもたちへの教育実践は数多く見いだせる。
 問題は、彼がそれを見ないだけである。

すべての子どもに教育を の1970年代

 1970年代は、日本の障害児教育にとって飛躍の時期であった。それまで、教育対象外とされてきた子どもたちも含めた教育がはじまった時代でもあるからである。
 この時窪島氏は、研究者だった。
 彼は、どこを見ていたのであろうか。
 普通学校や学級でも大きな影響を受け、教育内容が見直され、さらに充実していったことを彼は、まったく見ていないし、知ろうとしていなかったことが彼の記述が暴露している。

政府・文部科学省の「ねらい」は明らか
 障害児学校の統廃合が加速したのに


 特別支援教育は、福祉医療と連なって教育の予算削減が主目的に出されてきたことは明白である。
 現に、全国各地域で、特別支援学校の名の下に盲、聾、病弱、肢体不自由、知恵おくれなどの子どもたちの学校が統廃合されて、それぞれの障害の状況など無視した形で特別支援教育が行われていることに対して、窪島氏はほとんどふれない。
 障害児学校の存続が重大問題になっているときに、「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要」と内心で思いながら、それを出さない。
 逆に、普通校や普通学級の発達障害の子どもたちのための「理解注意事項」は、詳細多岐にわたる。
 「すべての子どもたちに教育を」と取り組んだ人々の声と運動とそこから実現した教育実践を「投げ捨て」ているのである。

すべての障害児を観ないのは

 障害児が一方では、統廃合の波に呑み込まれているときに、平然と文部科学省の方向船に乗っていると観る。
 これは、もうすぐ歴史的に明らかになることであるが、窪島氏の主張には、読み書き障害の子どもたちの気持ちの推定はあっても、その子どもたちと取り組んだ教育実践や彼の「論理」に基づく子どもたちの変化・発達はほとんど述べられていない。
 このことに多くの人々が気づかれただろうか。

子どもの教育実践に
携わっていないことを「告白」


  さらに、読み書き障害児の指導と称する文章の中に、子どもたちに対する指導によって子どもたちが何を獲得できるように取り組んでいるのかという目標がまったく書かれていない。
 これでは、窪島氏らを信じて、頼って、たどり着いた親や子どもたちにだだ期待を持たすだけの非教育的行為と言われても仕方がないだろう。
 文字を知ることで、喜びとなる生き生きとした子どもの姿は、窪島氏の文章には登場していない。
 だが、日本各地で取り組まれている教育の中には、そのことは天空に届くほどあると言っても過言でない。


2011年6月1日水曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏へのエピローグ  今日の学校に多くの知恵と力をあわせて考えあってと奈良教育大学教育学部越野和之氏は主張


  この間、滋賀大学教育学部窪島務氏の文章を読み、あまりに も多い問題点を書いてきた。

  特に彼は、戦後の日本の教育、 特に1960年代末から1970年代にかけての
 障害児教育を踏まえた記述を「消去」している。
 この時期は、障害児教育だけでなく、日本の教育は大転換期でもあったと言える。
 窪島氏は障害児教育に取り組み、少なくない論文や文章を発表していた。
 だが、文部科学省が、特別支援教育を言い、発達障害を言い出すと、それらを「封印」してしまっている。
 1960年代末から1970年代に学齢期にいた奈良教育大学教育学部越野和之氏は、戦前、戦後の障害児教育を研究した上で、「発達障害のとらえ方と特別支援教育」のテーマで公開・発表し、今日の学校や教育について論じている。
以下、少し説明し、その一部を紹介させていただく。

忘れてはならない
すべての子どもたちが教育を
受けられなかった時代と
それが変革された時代

 戦後、憲法に書かれた「ひとしく教育を受ける権利」は、多くの障害児には無縁であった。
「学校に行きたい」
「勉強したい」
「みんなといっしょに学びたい」
 この切実なねがいも、血の涙とともに消されていた永い歴史があった。
 それを塗り替えたのは、障害児・者・その家族・教育やその周りの人々の言い尽くせない取り組みだった。
 小さなねがいが無数に集まり、運動となり、大運動となり、国民運動となっていった。そして、圧倒的な国民の要求のもとに政府は、やっと「すべての子どもたちが教育を受けられる」教育を「のむ」ようになった。
 障害児教育の保障や前進ととらえる考えもあるが、憲法に書かれた、ひとしく教育を受ける権利の第一歩が、1970年代にはじまる。
   それは、日本の教育史上画期的な出来事であった。
 障害児を排除した非人間的非人道的な教育が、障害児も包括教育の第一歩であった。

 越野氏は、そのことを充分研究した上で「発達障害のとらえ方と特別支援教育 -到達点と課題-到達点と課題-   季刊「ひろば・京都の教育」第160号2009年)で論じているが、「3 特別支援教育体制の下での発達障害認識の問題点」で次のようなことを論じている。

達成度を競わされる
しくみが何重にも
強められている

 以上のような状況の下で、通常学校における発達障害児への教育のとりくみは少なくない困難に直面していると見られる。
 その最大のものは、前項で述べた教育条件整備の貧困に直接起因する問題、すなわち、子どもが「困っている」ことはわかっても、そのニーズに応えるための体制がつくりきれないという困難であろう。
 こうした困難は、特別支援教育のための条件整備が不備であることに加え、たとえば専任教員の減と任期付雇用教職員の増加など、学校教育全体の教育条件が切り下げられてきていること、学力の向上と規範意識の形成といった課題が上意下達方式で学校に押しつけられ、その達成度を競わされるしくみが強められていることなどによって何重にも強められている。

子どもの事実に
即して実態や課題を
検討する機会が少ない

 そして、こうした状況は、発達障害のある子どもに対する子ども理解にも、看過することのできない問題を惹起しているように思われる。
 その第一は、発達障害やその周辺の困難をもつ子どもたちの課題が「障害」というカテゴリで提起されたこと(そのこと自体は誤りではないが)、特別支援教育や発達障害に関する研修はさかんであるものの、目の前の子どもの事実に即して実態や課題を検討する機会は必ずしも多くないことなどに由来して、そうした子どもたちへの対応は〈専門家〉でないとわからないという態度、子どもの実態の見立てや、時には関わり方の方針までも、〈専門家〉の判断に依存するという傾向がないかどうか、ということである。

生活の場面や発達の時期
によって「障害」の現れ方や
抱える困難の実相は
  変化する

 目の前の子どもの示すさまざまな困難を、子どもの側に立って理解するための一つの仮説として、発達障害という視点は確かに有効である。
 しかし、たとえ障害の診断があったとしても、教科書的に示される「障害特性」のすべてが目の前の子どもにあてはまるとは限らない。
 同一の子どもであってさえ、生活の場面や発達の時期によって、「障害」の現れ方や抱える困難の実相は変化するものである。
 そして、そうした子どもの事実をとらえられるのは、毎日の教育的な働きかけの下で、その時々の子どもの姿をとらえることのできる教師をおいていないはずである。
 しかし、今日の学校現場の多忙化の下で、ていねいに子どもの事実をとらえ、吟味するための条件は奪われがちである。

手っ取り早い
「方針」がまねく重大問題

 そこに「学力と規範意識」といった「課題」が上から与えられると、その「効率的」な実現にむけて手っ取り早い「方針」が欲しくなる。
 しかし、出来合いの「方針」というメガネで子どもを見ることは教育の自殺行為にほかならない。
 目の前の子どもの事実に即してていねいに考えるというスタンスが強まっているのか、弱められているのか、事実に即した吟味が必要であると思われる。

短期間でつくられる体制
 子どもの個別計画

 もう一つの問題点は、右に述べた〈専門家〉のあり方に関わる。
 通常の学校内で特別支援教育の〈専門家〉という立場に立たされているのは特別支援教育コーディネーターである。
 コーディネーターには、特別支援教育の推進役として、他の教員に率先して特別支援教育や発達障害に関わる研修を受け、そこで学んだことに即して校内体制をつくり、校内研修をリードし、校内委員会等での子どもの実態把握や外部の専門家との連携を図ることなどが求められてきた。
 しかしここでも、さまざまな困難を抱える大勢の子どもたちを目の前にして、短期間の間に体制を整えることが求められたこと、個々の子どもについても各種個別計画などを短期間の間に作成することが求められることなどから、限られた知識・方法の範囲で、ともかく「方針」を、という傾向が強められているように思われる。

心理検査の活用が強く推奨され
IQ等の数値が
再び教育現場において流通

 こうした問題の一つとして、ここでは子どもの実態把握のために用いられる各種心理検査の問題について述べよう。
 この間の「発達障害」に関する官製研修等では、子どもの実態把握のためのツールとして、WISC、K-ABCなどの心理検査の活用が強く推奨されてきた。
 そうした中で、かつて子どもの発達の事実を示さない非教育的な指標として批判されたIQ等の数値が再び教育現場において流通するようにもなってきている。
 
子どもの発達が
見えづらくする危険性

そこにはらまれる最大の問題は、子どもの発達の軽視ということである。
 子どもたちは、たとえばWISCの結果によって示される「個人内差」などの特性を持ちながらも、ある発達段階にいて、その段階に固有の様式をもって、外界との関係を取り結ぼうとしている存在である。
 その際の「外界との関係の取り結び方」や、その発展性を左右するものとして、「障害特性」や「個人内差」が機能するのであり、発達段階が推移すれば、「障害特性」や「個人内差」もその意味や姿を変える。
 したがって、その子どもの当面の課題を吟味する上では、発達的な視点が欠かせないのだが、今日流通している子ども把握のための方法論は、それのみを一面的に活用するならば、かえってその子どもの発達の状況を見えづらくする危険性をもはらんでいるように思われるのである。
 もちろん筆者はWISC等の心理検査のもつ意味を否定しようとするものではない。

特定の方式が唯一絶対

 それらの検査によってしか見えてこないものもあるし、検査の結果は、子どもの発達を総合的に吟味するとりくみの中に適切に位置づけられるならば、大きな有効性を発揮する。
 しかし、そうした総合的な吟味のための条件を欠いたところで、特定の方式だけが唯一絶対のものとして用いられるならば、それは本来の役割を果たすことができず、反対物に転化する。
 しかし、「効率的」な実態把握と「方針」の作成を〈専門家〉に強く求める今日の傾向は、〈専門家〉がその専門性を子どもの事実に即して発揮し、発揮する中で専門性自体をさらに発展させる条件を奪っているように思われるのである。

障害児教育から産まれた
理念をすべての学校と教育に

 「発達障害と特別支援教育」を見る際の、いくつかの歴史的な指標をあげた。
 しかし障害児教育全体についてみれば、もう一つの指標に触れる必要がある。
 すなわち、今年2009年は、1969年の養護学校義務制から数えて30周年の節目にあたる。
 養護学校義務制を一つの結節点とする障害児の教育権保障運動において、全国のとりくみを大きく励ました京都府立与謝の海養護学校は、その学校設立の理念の一つとして
「学校に子どもを合わせるのでなく、子どもにあった学校を」
と謳った。
 この視点に立つならば、特別支援教育の課題は、
「子どもにあった学校」の理念を、障害児学校・学級のみならず、通常の学校、通常の学級においても実現していくこ
とにほかならない。

もとめられる多くの知恵と力

 特別支援教育の当面する課題をこのようにとらえつつ、今日の学校と教育をめぐる状況が、どのような到達点と課題を提起しているのか、事実を持ち寄り、多くの知恵と力をあわせて考えあってゆきたいものである。

 越野氏は、教師の責任だけを追求しがちな窪島氏の主張に対して、日本の住む人々へ教育の新しい方向を創造するメッセージとも受けとめられる。

おねがい 教育と労働安全衛生と福祉の事実は、このブログの不具合から以下のブログでも展開しておいます。
ご覧ください。
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http://blogs.yahoo.co.jp/rouanken/MYBLOG/yblog.html
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