2011年8月11日木曜日

いのち・生きる権利・働く権利と人間そのものの尊厳を守り抜く


山城貞治(みなさんへの通信59)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その39)


母性保護か 女性保護か の政策論議の中から

労働安全衛生対策作成時、女性部から
(14)項では、「生理休暇」よりも「更年期障害」が問題になっている。
 更年期障害休暇が取れるよう、が優先事項ではないか。生理休暇は今の学校では、とてもとれそうでない。
(15)の産前産後休暇8週を短縮してとる若い先生が増えている。例えば、産後6週(労働基準法上は、本人の申し出があれば。)で学校に戻ってくる若い先生は、「休んでいたらとても学校のペースについて行けなくなる。」と言っているなどの意見が出された。
 その時、労働安全衛生政策アドバイザーとして参加した滋賀医大の先生から共に女性としての立場から次のような発言があった。
「母性保護を生後から死ぬまでの間で捉えていかなければならない。」
「更年期障害は、生理休暇を取っていたかどうかと大きく関わる。調査では、生理休暇を取れなかった女性ほど更年期障害がひどい、という結果が出ている。」
との説明があった。
 これに対して女性部から
「母性保護という言い方ではなく、女性保護ではないのか。」
という意見が出されたが、
「ILOでは、母性保護条約(Maternity Protection)母性保護と母性を理由とした差別の禁止を規定する、とされている。近年は、深夜業は男女とも禁止すべきという考えが出されているが、母性は単に子供を産むという狭義の意味ではありません。」
という説明があり、女性部も納得し、「労働安全衛生対策について」がつくられた。

母性保護アンケートをきっかけに女性部の取り組み進む

 府高女性部は、早速このことが全面的に取り上げられられ、府高女性部ニュース「秋桜」に次々と各職場の報告が掲載された。以下その当時の一部を掲載する。

「昨今、忙しさに紛れてからだの不調を訴えながらも受診できずに時間が過ぎてしまう、ということも多くなっています。
 同じ職場に働く仲間として『休んで、病院に行って来たら?』と声を掛け合うことが、お互いの健康を守る上で非常に大事になってきているのではないかと思わずにはいられません。
 母性保護アンケートをきっかけに、
 もう一度自分の健康、仲間の健康、職場環境をチェックしてみましょう。
 生理休暇の取得や勤務時間・持ち帰り仕事の実態などお互いの経験を交流し合う中で、職場の問題点や行使されないままになっている権利の状況などが明らかになっていくと思います。

女性部の取り組みの加速で 少なくない要求の実現

T高分会が9月に女性のための休養室設置をが実現。
                                          盛大な「休養室開き」を開き、休憩などで頻繁


 ここ数年来、女性部としての切実な要求であった“休養室”がついに実現しました。
 (1970年代には、茶室が休養室の代用として利用されていたとか。その後の人事異動で当時の様子を知っている教職員もいない中で、あらためて女性部として、本年度の活動方針の中に休養室確保を掲げて要求してきました。)
 7月の校長交渉の席上(分会役員が職場要求に基づいて管理職と交渉)校長は休養室の実現を確約し、9月になって事務部長が動き始めました。
 物置と化していた元宿直室を整理し、大掃除をし、バルサンを数回たき蛍光灯を新しいものと取り替え、畳の上敷きを張り替え、入口からの目隠し用に通販で衝立を購入(実は、これは事務室の施設担当者の手によってアッという間に整備されたのです。)
 座布団、コタツ、コタツ布団、扇風機、座卓等の備品も設置され立派な休養室が誕生しました。
 9月25日には盛大に「休養室開き」を開催し、その後は、体がしんどい時だけでなく、昼食後の休憩に、女性たちのおしゃべりにと頻繁に利用され、好評です。
 「労安法」では、使用者に“仰臥できる男女別休養室の設置”が義務づけられています。管理職は、この法律を遵守し、女性部の要求に誠実に対応してくれたと思います。
 
府教委の要項を知らせる校長とそれを放置する校長の落差

 また、府教委の「セクハラ防止要項」に対する投稿も「教職員のいのちと健康」に寄せられた。
   京都府教育委員会は1999年4月1日付けで「セクハラ防止要綱」を施行しました。
 早速、管理職が全文読み上げてその周知を図った学校があった、と聞くものの2か月たっても要綱が施行されたことも知らさせられていない職場があると聞いています。
 「セクハラ防止要綱」の内容と問題点を横に置いておくとしても,周知徹底する校長とそれを放置する校長の落差についての問題を先ず指摘しておかねなければならないでしょう。
 そこには府教委の怠慢な姿勢があると思うのは私だけでしょうか。

定義されていない
 府教委のセクハラ防止要綱にセクハラの本質も人権も

 以下、「セクハラ防止要綱」の問題点について述べてみたいと思います。
  第一番の問題は、要綱にはセクハラの本質がまったく欠落しているという点です。 セクハラが「女性への人権侵害である」点がまったく明らかにされていないのはどうしてでしょうか。
 人権といえば,「同和」を熱心に主張する府教委と管理職なのに、どうしたことか?と首を傾げざるを得ません。
 要綱には残念ながら「人権・権利」という文字はどこにもありません。これは驚くべきことです。
 セクハラとは何かの定義と説明がないのもひとしいからです。
  朝日新聞99.6.2の特集記事には、セクハラを受けた女性のナマの体験が紹介されています。
 身体の危険と恐怖を味わい、結果として退職をヨギなくされたケースが多数述べられています。
 
セクハラはいのち・生きる権利・働く権利と
 人間そのものの尊厳に対する冒涜

 セクハラは女性のいのち・生きる権利・働く権利と人間そのものの尊厳に対する冒涜なのであるということが読み手に伝わってきます。
 それに比べて府教委の「要綱」はセクハラに対する認識がきわめて低いと考え込まざるを得ません。
 みなさんはどう思われているでしょうか?

  そこで府教委がなぜ「要綱」を制定したのか?
その目的はなに?
と考えてみると「行政の確保・児童生徒の利益(権利ではない)の保護・職員の職務能率の発揮」でしかなく、行政遂行のために要綱を制定したことを隠していない(この要綱のモデルとなった人事院モデルも同じです。)ように思えます。
 「セクハラ防止は行政の遂行のための方策のひとつに過ぎない」としか考えられません。
 そこにはセクハラを受けた人の怒りや悲しみや人権に対する認識は一切登場して来ません。

教職員の労務管理の道具に
利用しようとしている行政当局の「目的」

 このことは「労働安全衛生」を道具に?に教職員の「いのちと健康」までも教職員の労務管理の道具に利用しようとしている行政当局の「目的」とあまりにも類似している、と思うのは私の考えすぎでしょうか?
  「要綱」制定の目的(要綱の第1)が以上のようなものだから、学校現場の責任者としての校長の責務(要綱の第3)が、「職員の能率が十分に発揮できる」ことが重点になってしまうのでしょう。ここまで考えてみると、もう要綱の限界が明らかとなります。
行政の責任を「みんな」にかぶせてしまって、「起こした本人」への責任だけを事前に想定

  第二番目の問題は、「セクハラ防止要綱」が「誰に対してどうしろ」と言っているかが分からない、ということがあります。 結論から先に書くと「(教職員)みんなで注意しましょう」という程度のものではないかということです。
 「要綱」は、<セクハラ発生にいたる教職員や子どもへの管理・統制の強化>について不問にしています。
 なぜ教職員間のセクハラが発生し、教職員の児童・生徒へのセクハラが生じていくのかについての原因らしきことについての言及は一切ありません。
 行政サイドに何も原因はないのでしょうか?
 これでは、行政に実に都合のいい効果を生むものではないでしょうか。
 セクハラ発生にいたる根本的な「原因」への言及のない「要綱」の姿勢は、結局行政の責任を「みんな」にかぶせてしまって、「起こした本人」への責任だけを事前に想定しているだけではないでしょうか。
 このことはケガや病気になった時に、労働安全衛生法などで明らかにされてきた事業者の「安全配慮義務」をどこかに隠して、「本人不注意論」で当局責任を逃げ回っている姿勢と同じではないですか。

「みんな(教職員)」が悪く「行政は悪くない」

  第三番目の問題は,そのために「要綱」は,(職場,事業所の)みんなに「意識」と「心がまえ」を強烈にアピールしていることです。 それは、簡単なことですませています。コトが起きた場合に,結局「みんな(教職員)」が悪く「行政は悪くない」ということを言いたいのでしょう。

行政の責任を巧妙に逃れるための「研修」
  「やらせ」の「研修会」は身につかない

 第四番目の問題は、そうは言っても行政の責任を巧妙に逃れるためには何かをしなければならないということになり、それは結局、「研修」である、となってしまっています。 古今東西,「やらせ」と言われる「研修会」ほど身につかないものはないでしょう。
 研修すれば、「研修した」という既成事実が積み上げられるだけです。
 コトを起こした場合は,「発生させた本人が悪く」,「管理職は『要綱』を説明したのに……」「研修したのに……」というの逃げ道を準備するだけだという考えは言い過ぎでしょうか。
 
自己保身の予防線を張ることにのみ
 エネルギーを発揮するが如きの愚劣な行為

 教職員が現職死亡した現場の校長が「自分はちゃんと医者に行けと言ってきたのに……」「転勤できて本人が喜んでいたのに……」と言い、病院に行く間も与えなかったことや強制異動に切々と訴えた教職員の訴えを門前払いしたことをひたすら隠し続け、自己保身の予防線を張ることにのみエネルギーを発揮するが如きの愚劣な行為に良く似ている。
 いいいえ、そのものとまったく同じ状況の立場と言っても言い過ぎではないでしょう。それだけ、深刻な状況が現にあります。

セクハラ発生を予防するなら教職員と児童・生徒への
    人権(諸権利)を完全に保障する姿勢に立べき

 第五番目の問題は、,学校という教育の場で発生する(した?)セクハラをまじめに研究して、その発生を予防するなら,教職員と児童・生徒への人権(諸権利)を完全に保障する姿勢に立べきでしょう。 今日の学校現場は、「管理運営規則」による教育行政(管理職)側からの教職員への「管理」の徹底(諸権利の抑圧・制限)と児童・生徒への「特別権力関係論」と言われる立場に立った「子どもは指導される側の人間」やガマン主義・根性主義の「ガマンも大切」などによる子どもや教職員への権利侵害の「デパート」状況をすぐにあらためることです。
「要綱」はここへの言及を意図的にしていません。
 お隣の大阪府教委のセクハラ防止問題での「手引き」(1999年3月26日)には、
「児童・生徒に対する教育……人権侵害を許さない姿勢を養う」
「『子どもの権利』に関わる教育、男女平等教育、性教育を計画的に実施する」
など、セクハラを権利侵害と捉えた立場での提起が文字として明らかにされています。
  みなさんのご意見をぜひお寄せ下さい。