2011年8月20日土曜日

父母・府民の負託にこたえる教育に責任を持つ上でも欠かすことができない重要なことと同時に教職員が健康で安心して働くという観点から『いのちの問題』を考えねば


 山城貞治(みなさんへの通信64)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その44)


「近畿高等学校教職員組合連絡協議会 略史 その5」に文章を寄せていた元府高委員長の文章の概略

ヨーロッパと異質の「週40時間労働」が ただ働きを加速

3.1990年代の労働法制改定の動き 

 世界の労働者の労働時間短縮への趨勢は、フランスが週35時間制に移行したのを筆頭に、ヨーロッパの各国では、年次休暇の大幅な延長など、大きく改善された。 
 しかし、日本は、ようやく週40時間制への動きが緒につき始めたばかりで、政府の言いなり、労働者の権利を守ることを放棄した。
 「連合」の方針や大企業の圧力も反映して、週40時間制の導入とひきかえに変形労働時間制やフレックスタイム制、裁量労働制の導入、労働者派遣法の改正など、次から次へ労働基準法は改悪され、ただ働きの超過勤務がますます蔓延するようになった。

公務災害認定の道のりは険しく 裁判そして……

8.公務災害認定闘争

 定数増をサボり続ける行政当局のもとで、長時間・過密労働は、教職員の健康を蝕むだけでなく、いのちまでも奪い、各県で公務災害認定闘争がたたかわれた。
 この分野でも、全教は、全国の仲間を結集し、新たな地歩を一歩一歩築いていった。
 1993年、京都市教組の北芝訴訟が、大阪高裁で逆転勝利し、確定したのをはじめ、1995年1月には茨城県の大林事案、同じく6月には大阪府の向井事案の公務災害認定など、公務災害認定への道を切り開いていった。
 とはいえ、認定への道のりは険しく、各県段階での公務災害補償基金支部での認定は、ほんのわずかで、多くは裁判闘争を通じて認定を勝ち取っていった。

「通常の仕事比較論」を論破し
 学校現場の労働実態の「事実」を認めさせる

 こうした中で、1999年7月、京都府高が取り組んだ城陽養護学校の「小谷裁判」。 同じく1999年12月、丹波養護学校の「西垣裁判」では京都地方裁判所で画期的な勝利判決を勝ち取った。
 両判決は、学校現場の労働実態の「事実」に忠実に、行政が振りかざす形式的な「認定基準」を排す判断を示した。
 判決は

① それぞれの仕事の実態を丁寧に認定し、いずれも、疾病を引き起こす負担の大きい仕事であることを率直に認定した。(これは事実から乖離した公務災害補償基金へのもっとも厳しい批判でもある)

② 学校現場の実態に正しく迫り、公務災害補償基金支部が最後まで強く抵抗した障害児教育を行う学校は、頸肩腕症候群や腰痛症が発生する危険の高い職場であることを認定した。

③ けいわん(頸肩腕)や腰痛などの疲労性疾病に対し、公務災害補償基金支部がいつも切り捨てに使う

「日常の仕事より余分に仕事をしたか」

という

「通常の仕事比較論」

を排し、
あくまでも仕事の実態に即して判断すべき事を鮮明にした。

 つまり、「通常の仕事」そのものが負担が大きく、疾病を発症させるのであるから、日常の仕事と比較したり、他の職員と比較しても意味がないこと。

打ち破った「3カ月治癒説」と公務災害認定基準を変える力

 また、公務災害補償基金側が「医学的に確立された見解」として持ち出す「3カ月治癒説」は医学的に何の根拠もなく、むしろ長期療養の必要性すらあることを認め、基金支部の主張を一蹴したことなど、重要な判断を示した。
 これらの判断は、先の全国ではじめての腰痛に関わる公務災害認定として、腰・けいわん(頸肩腕)に苦しむ全国の教職員や労働者を大きく励ました向井判決とともに、それ以降の公務災害認定基準を大きく変える力となった。
 また、京教組・京都市教組が取り組んだ内藤先生の過労死事案では、当局がサービス残業としか認めない「持ち帰り残業」を大阪高裁が公務として認定した(確定)意義は大きい。
 さらに、2002年2月に出された丹波養護学校の山本事案に対する中央審査会の裁定は、もともとの股関節脱臼の後遺が職務の過重で変形性股関節症をさせたものとして公務災害を認定した。
 こうした認定の大きな力となって運動をすすめたのが全教・日高教、近高連である。
 といりわけ、長野、山口、北海道などを先頭に各県高教組は、署名活動でも多数の署名を京都府高に送り励ましてくれた。
 同時に、全国の民間労働者のたたかいも私たちの公務災害認定闘争や、労働安全衛生体制を職場に確立する上で大きな励ましを与えるものであった。

 確定した電通最高裁判決は、

「長時間労働の継続などで、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者が心身の健康を損なう危険があることは周知のところである。労働基準法、労働安全衛生法は、このような危険の防止も目的とする。使用者は、労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」

と判断し、オタフクソース広島地裁判決は

「事業者には、労働環境を改善し、あるいは労働者の労働時間、勤務状況などを把握して、労働者にとって長時間または過酷な労働とならないよう配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面または精神面への影響も十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務を負っている」

と指摘した。
 さらに最近の認定闘争における過労自殺裁判や認定判断では、精神疾患も含め、個人の自己責任ではないという判断も示されている。

裁判なしに公務災害を認めさせ
 誰もが健康で安全に働けるための学校に

 こうした情勢を背景に滋賀県で、養護学校の教職員三名の疲労蓄積性の疾病が基金支部審査会段階で公務災害と認められ、京都でも向ヶ丘養護学校の生路先生の「頸肩腕」と池田先生の「頸肩腕ほか」が京都府公務災害補償基金支部によって公務災害と認定された。
 いずれも
「公務によるものであれば三ヶ月程度で治るはず」
という基金側の従来の主張をくつがえす認定事例となり、基金の段階で認定させた意義は大きく、学校で誰もが健康で安全に働けるための労使対等の労働安全衛生体制確立に生かす上で大きな力となった。

「学校の主人公は校長」と70人以上の組合員を学校から排除
 
9.不当人事を許さぬたたかい

 1990年代に入って、各県では、不当人事が多発するようになった。
 その背景には校長を中心とする管理強化を企図した職員会議の民主的運営の破壊や文部省の、改悪学習指導要領の押しつけ、日の丸・君が代の押しつけなどがあった。
 とりわけ、京都では「学校の主人公は校長」と公言してはばからない教育長のもとで、反動教育行政の遂行を企図した職場支配のための不当人事が相次いだ。
 京都府教委は、文部省言いなりの差別・選別の新しい高校づくりをすすめるため、嵯峨野高校では数年がかりで70数名いた京都府高の組合員を不当配転し、代わりにすべて未組合員を転入させるなどの暴挙を行った。
 京都府高の抗議に当局は「たまたまそうなっただけ」と開き直り、交渉にも応じなかった。
 90年代に入っても校長中心の管理強化で、文部省言いなりの学校支配を企図する京都府教委は、それまでの労組合意事項である「希望と納得の人事」を一方的に反故にし、全日制から障害児学校へ、聾学校から盲学校へ、全日制から定時制へなど、教職員の意向や専門性、通勤条件などを無視して「理解と協力」という名目で、不当人事を強行した。

人事委員会に提訴するなど「いのちの問題」であらゆる闘いが
 京都府高は、これらのうち、80年代に起きた全日制高校から障害児学校に希望に反していきなり強制異動を発令された松梨、千本先生の両事案に加えて、90年代は、全日制高校から定時制高校に異動させられた則包先生事案、聾学校から養護学校に異動させられた岸本先生事案、全日制高校から養護学校に異動させられた若林先生事案を人事委員会に提訴してたたかった。

「人事は父母・府民の負託にこたえる教育に責任を持つ上でも欠かすことができない重要なことである、と同時に教職員が健康で安心して働くという観点から見ると『いのちの問題』でもある」

というのが提訴の理由であった。

不当人事を発令した張本人が人事委員会審理の審査長とは
 しかし、松梨、千本事案の不当人事を発令した当時の教育長が人事委員会審理の審査長を務めるというこれらの審理に正義はなく、不当にもこれらの異議申し立てはいずれも却下された。
 京都府高は人事異動期には、不当人事110番を設置するとともに、教育に責任を持つことと労働条件を守るという二つの観点を統一させる立場を堅持。
 組合員を敵視し、それらのことをないがしろに有無を言わせぬ一方的な不当人事を繰り返す当局に対して次のような取り組みをすすめた。

不当人事阻止のための10か条
①あいまいな返事はしない。
②「異動範囲を広げて」に注意。
③校長の不当発言を軽視しない。
④必要な時にはメモをとる。
⑤校長の責任を曖昧にしない。
⑥不当なことは明らかにし、みんなの問題にする。
⑦「希望実現」で攻めよう。
⑧カギはみんなの団結力。
⑨それでもダメなら父母・地域に!。
⑩本部と分会の連携プレーで!)を提起し、たたかいをすする。

 近畿の各高教組もそれぞれ、不当人事に対しては、お互い交流を深めるとともに、その狙いは何かなどを明らかにし、父母・府(県)民とも力を合わせ、敢然とたたかった。

要求は粘り強いたたかいで実現し 突然実現はしない
   過去のたたかいの歴史を学び
 学習を重ねると必ずそこには教訓がある

 
要求は粘り強いたたかいで、実現し、突然実現しない。
 たたかいは常に過去のたたかいの歴史を学び、学習を重ねる。
 そこには必ず教訓がある。
 歴史の上に立ってたたかいをする。
 相手の土俵で喧嘩をしない。
 こちらの土俵に引きずり込む。
 相手は、情勢が違うなどと、過去を消し去り、現在を強調する。

 最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)が京都市教職員組合の組合員9名が2004年に京都市を相手取り、提訴していた超勤訴訟に対して、まったく不当な判決をおこないました、という全日本教職員組合(全教)書記長談話に対しても元府高委員長は、あえて、直接意見を述べ、提言をしている。
 それは、あの日に言われた「仲間が……」ということから教職員のいのちと健康を守るために徹底した姿勢を貫いているからである。感銘を受ける。