2011年4月7日木曜日

外国を見て日本を見ない教育の指導法を追求   滋賀大学教育学部窪島務氏の「LD・読み書き障害の発達的理解・アセスメント及び指導法の探求」への疑問



 滋賀大学教育学部窪島務氏は、ホームページで、「LD・読み書き障害の発達的理解・アセスメント及び指導法の探求」として、以下の文章を書いている。

日本の教育から考えるのではなく
      欧米の教育を導入する基本的発想

 まず、第1に、欧米の研究状況を把握し、その到達レベルを吸収すること、
第2に、欧米の研究の欠陥というか軽視されていることを重視していくこと、特に、欧米の研究では読み研究に比べて書きの研究が甚だしく軽視されていることを批判的に検討していくこと、
第3に、したがって、日本語に特に重要な、漢字と「書き」を重視して独自の研究を行う必要性を自覚してきました。

異文化を同一レベルで書くが

だが窪島氏は、欧米ではなぜ読み研究がなされているのかを明らかにしないで、欧米とは異質な日本語で特に重要な漢字と書きを重視して独自の研究を行う必要性を強調している。

 まず第一に、氏は欧米と書いているが、欧米とはヨーロッパとアメリカをまとめて表現しているのだが、窪島氏の研究しているのはドイツ・アメリカなどの一部の研究であり、欧米全体を研究した論文ではない。
 例えば、ヨーロッパの教育システムは、各国さまざまであり、話すことと読みから文字への移行教育がかなり深く検討されている。
逆に日本の初等教育では、話すことと読みに時間をかけることなく、入学時からひらがなが書けることを前提に漢字教育がされている現実がある。
 そのことに少なくない子どもたちが、不適応があるから、窪島氏は、「欧米とは異質な日本語で特に重要な漢字と書きを重視して独自の研究」をしなければならないとしている。
 言語としての日本語を考える場合、初等教育からいきなり話し言葉と異なった漢字と漢字の読みが導入されている日本の教育に対する何らの疑問も書かれていない。
 窪島氏は、日本語の表記としての漢字が、多くの反対を押し切って、国家によってしばしば変更・追記されたり、読み書きが換えられたり、制限・強要されてきたことを是認して研究をすすめる必要性を述べているようにしか受けとめかねない危険性を感じる。

言語の自由の激しい戦いから獲得された
    多言語他民族容認の歴史への不認識

 欧米では、言語や文字の強要での激しい戦いがあり、言語の自由が勝ち取られてきた国々がほとんどと言っていいぐらいである。
 欧米と比べて日本ほど言語の国家統制が強い国はない。
そのことを踏まえないで、初等教育で子どもたちの「漢字と書き」を重視して、読み書き障害を取り上げていくというのであるから、結論が先にありきの研究であるといわれても仕方がないだろう。


これでは、「学習指導要領に則った漢字と書き」の問題点は浮上しないであろう。