2011年5月4日水曜日

一省の一課が発達障害の概念を指示する「奇異」  島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」(5)





































学校で日常的に
「ADHD」の
ことばが行き交う

 次に西氏は、「障害の定義と診断」について論じているが、彼が文部科学省等の通達等の引用している部分は、省略して述べる。
 西氏氏は、
 
 すでにみたように、特殊教育から特別支援教育への転換をもたらす契機の一つに、LDやADHDへの対応があった。
 実際、「ADHD」は、学校現場ではごく日常的にこのことばが行き交うほどに急速に普及した用語である。
 そして学校において、多動であったり落ち着きがなかったり、あるいはまた行動が粗暴であったりすると、この子どもはADHDではなかろうかと考え、保護者に医療機関の受診を勧め、そして、ADHDなどの診断名がつくとむしろ「やはり…」と納得する、今やそのような例は珍しくない。

学校の状況を把握している西氏
  教師の意見を無視する窪島氏


 学校の状況を把握している。この点でも、教師が、そのような子どもを放置している、人権蹂躙しているとする窪島氏と対照的な論述をしている。
 西氏が

 時折、障害児学校の教員から、小・中学校の教員は障害児学校についての理解が乏しいとする批判も聞くが、今後はそれは障害児学校側の努力不足によるのであるという点にむしろ重きが置かれることになる。
 また、具体的な授業場面では、一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の障害児学校で長年過ごした教員が、一人の担任が複数の障害児と向き合う障害児学級の担任に、あるいは通常学級の担任にいかなる「支援」をおこなうのか。こうした課題がまもなく現実のものとなろうとしているのであるが

と指摘していることはすべに述べた。
 だが、窪島氏は、西氏氏の指摘とは真逆に「一対一か」「あるいはそれに類似する手厚い」対応で接した子どもへの「支援」から「通常学級の担任」に「支援」をおこなうのではない。
  「批判」を行っているところに彼の特徴があり、教育の現場や教師をより深刻に追い込んでいる。
 この点では、窪島氏の「考え」には一貫性が見られる。

発達障害の概念規定に
疑問を発した教師の意見を否定


 窪島氏に文部科学省の打ち出してきた「発達障害」の概念に、
「極めて不正確ところがあり、教育をすすめる教師としてはこのような規定の仕方では混乱が生じる。」
という意見を出した教師に
「そんなことはない。文部科学省の概念規定は極めて正確で、LDやADHDの区分は明確である。」
と述べた。
 だが、質問した教師は、
「LDやADHDの生徒を教室や学校で教育することを考えると、文部科学省の規定では区別出来ない。文章を読んでもLDやADHDの生徒の状態が、重なり合っている部分も多く、現実に生徒と接していて、文部科学省の区別とは違う状況がある。」と言ったところ、窪島氏は、
「そんなことはない。きちんと区別されている。かってないほど文部科学省は適切な規定を出している。」
と言いきり、その教師と決別状況になった。
 そのことを想起して、西氏の論述を読み進めていきたい。

学校の情報提供がなければ
「判断」出来ない基準

 西氏は、2003年3月28日の『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』の、参考資料の3として「定義と判断基準(試案) 等」。高機能自閉症も含めての「定義、判断基準についての留意事項」などを分析・検討して次のように論じている。

 この基準をみるとき、はたしてどれほどの医学的知識や技能・技術が必要であるのか。否、むしろ学校からの情報提供がなければ「判断」がつかない性質のものも多数である。
 そして、これらの「基準に該当する場合は、教育的、心理学的、医学的な観点からの詳細な調査が必要である」とされる。
 列挙して記述する順番に過度に拘泥することもないが、ここでの順番は、
まず「教育」、となっている。
として、養護学校の義務制実施を控えた前年、1978年(昭和53年) 10月6日付けの文部省初等中等教育局長通達「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置について」(分初特第309号)では、本文冒頭に以下のような記述がある。
 第1 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項
 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項は、次に掲げるところによることとし、特に心身の故障の判断に当たっては、医学的、心理学的、教育的な観点から総合的かつ慎重に行い、その適正を期すること
 このように、最近に至るまで医学が筆頭に配置され、教育は最後尾に位置していたのである。
と1978年文部省初等中等教育局長通達と比較・検討する。この点では繰り返し述べてきたが、窪島氏も1978年当時は障害児教育としてさかんに研究していたのに、西氏のように比較検討しないところ、比較しないところに特徴がある。

揺れ動く特別支援の用語

西氏氏は、

 「教育『学』的」となっていない点は教育学がいまだそのレベルにまで達していないという評価の反映であろうが、いずれにせよとりあえずは、むしろ最近注目されているADHD等は教育が一層の重責を担うべき障害であることを示していると理解できる。
 しかしながら、「特別支援」もそうであったが、これらの用語に関してはいまだ流動的な点が多い。
 2007年(平成19年) 3月15日付け文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の文書「『発達障害』の用語の使用について」において、以下のように述べられている。
 今般、当課においては、これまでの『LD、ADHD、高機能自閉症等』との表記について、国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から、下記のとおり整理した上で、発達障害者支援法の定義による『発達障害』との表記に換えることとしましたのでお知らせします。
        記
1. 今後、当課の文書で使用する用語については、原則として「発達障害」と表記する。
また、その用語の示す障害の範囲は、発達障害者支援法の定義による。
2. 上記1の「発達障害」の範囲は、以前から「LD、ADHD、高機能自閉症等」と表現していた障害の範囲と比較すると、高機能のみならず自閉症全般を含むなどより広いものとなるが、高機能以外の自閉症者については、以前から、また今後とも特別支援教育の対象であることに変化はない。
3. 上記により「発達障害」のある幼児児童生徒は、通常の学級以外にも在籍することとなるが、当該幼児児童生徒が、どの学校種、学級に就学すべきかについては、法令に基づき適切に判断されるべきものである。
4. 「軽度発達障害」の表記は、その意味する範囲が必ずしも明確ではないこと等の理由から、今後当課においては原則として使用しない。
5. 学術的な発達障害と行政政策上の発達障害とは一致しない。また、調査の対象など正確さが求められる場合には、必要に応じて障害種を列記することなどを妨げるものではない。

「一省の一課」の「一片の文書」
が日本の教育を統制

この部分は、窪島氏がさかんに引用する文部科学省の文章であるが、西氏の意見は窪島氏と異なり、次のように問題点を述べる。

 政府の一省の一課が特に第4項や第5項のような内容を一片の文書で処理することに奇異な印象を持つ。
 因みにここで触れられている発達障害者支援法などの定義を挙げておく。
○発達障害者支援法(2004年-平成16年12月10日法律第167号) (抄)
(定義)
第2条この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
( 以下略 )

まさに西氏は、「奇異な印象」と述べているが、この議員立法でつくられた「発達障害者支援法」は、問題が多すぎる。
 窪島氏は、「発達障害」の文部科学省の規定を全面肯定する以前に、発達について随所で発表し、文章も書いている。


その中には、「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害という限定は見受けられない。
 それどころか、発達はすべての人間が関わることであり、障害児はその発達の中でどのような課題を持っているかを書いてもいた。
 それなのに、発達に障害があることを限定することに肯定しているのは、それまでの窪島氏の研究を否定したことにも繋がるのではないか。
 かれは、これら自らの変遷を明らかにしようともしないでいる。


一連の教育改革は政治的意図のもと

 日本の国会で、議員の発案に基づく議員立法と政府提案立法の両者があるが、発達障害者支援法は極めて政治的意図のもとに成立した法律であることは知られている。
愛知教育大学の都築繁幸氏が、「一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。」とする根拠もここにもある。

配慮のないIQの具体的公表  島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」(4)

明らかでない
  特別支援教育への変更




 西氏は、
  中央教育審議会の答申『特別支援教育を推進するための制度の在り方について』(2005年・平成17年12月8日)、学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が2006年(平成18年)6月21日に公布され、2007年度当初(平成19年4月1日)、公布直後の事務次官通達(2007年7月18日付け、18文科初第446号)、参議院文教科学委員会及び衆議院文部科学委員会の議録などなどを詳細に熟読し、分析・研究して以下のようにのべている。

 以上をみる限り、特殊教育がなぜ特別支援教育に変更されなくてはならないのか、必ずしも明確には示されていない。
 単純な疑問として言えば、たとえば不登校の子どもについても、当然特別な教育的支援が必要となることは誰しも認めるであろう。
 であるならば、全国に13万人もいるとされるそのような子どもたちも特別支援教育の対象となるのかどうか。
 「学力テスト」の実施が最近では大きな問題となっているが、そこで望ましい結果に到達していなかった子どもたちの教育的ニーズに応える特別支援教育は必要とならないのか。
 障害児もその障害に応ずる形での特別な支援が必要であるが、他方、障害児でない場合にあってもまさに個々のニーズに応じての特別な支援が必要となるのであり、いずれの場合においても素直に考えるならば当然「特別支援教育」となるであろう。
という問題を提示している。
 この点では、窪島氏が、それまで研究対象としてきた「不登校の子どもについても、当然特別な教育的支援が必要となることは誰しも認めるであろう。」という問題を曖昧にしているのとは違い、西氏は、鮮明にしている。

軍事目的で開発された
         知能検査が

 さらに彼は、ソビエト教育学の論争を例に次のような論点を明らかにしている。
 なお、知能テストは、最近では「発達テスト」と呼ばれることが多いのであるが、もともと知能テストは第一次世界大戦を契機に世界中に広まったものである。
 それは、「徴兵検査」において多数の者を時間をかけずにその能力を測るという要請に応えるものとして採用されたのである。
 つまり、能力により、軍隊内で配属部署を振り分ける効率的方法として用いられたのである。
 その過程においては、当然個々人の生育歴や嗜好、興味・関心といった諸特性は無視されたのである。
 そうした相対的評価による振り分け、という知能テストの用いられ方に対する反省から、まさに「子ども一人ひとりの教育的ニーズ」を把握するための一助として活用しようとする姿勢を示すために、その内容や実施方法は同じであっても「知能テスト」ではなく「発達テスト」と言い換えてきているのである。

子どもの発達の源泉と
       教育の役割の相違

 そしてさらに、

 1956年にコスチュークが「子どもの教育と発達との相互関係について」という論文を『ソビエト教育学』に発表した。
 その後、1958年のザンコフの総括論文「教育と発達の問題について」に至るまで、誌上討論が展開された。コスチュークはまず、どのような環境の下でどのような教育が行われるのか、このことが子どもの発達において決定的・主導的役割を果たすことを確認する。
 しかしながら、子どもの発達は環境や教育から直接的に導き出されるのではない、それらは子どもの発達の源泉であって、発達を生みだす原動力となるものはそうした外的条件と子どもの間に生じる内的矛盾である、とした。
 そのような内的矛盾から生じる子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、つまり教育の仕事であるということになる。


「子どもの発達の源泉であって、発達を生みだす原動力となるものはそうした外的条件と子どもの間に生じる内的矛盾である」
「そのような内的矛盾から生じる子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、つまり教育の仕事である」
と論じている。
 この点で窪島氏が『「教育実践学の再構築と しての臨床教育学「特別ニーズ教育」の観点から』で書いていることと大きく異なる。
 もともと窪島氏は、教育とはなにか、教育の役割とはなにかを明確に書いていないことは先に述べてきた。

子どもの教育を考えない
         「自己肯定感」

 しかし窪島氏は、

川合が,発達の原動力すなわち「欲求,要求の成立」を「内的条件と環境との間の矛盾等の内部への転化」 と見ていることである。 これを外的矛盾の内在化論いわゆる内化理論として外在化理論に対置して批判するのは早計に過ぎるであろう。この転化の次元が教育実践にとって重要な意味を持っていることは疑いないのである。

 問題(ニーズ)に即するとは,教育の場における教師と子どもとの実践的関わりにおいて,子どもの人格発達を子どもの内面からとらえていく視点に他ならないと筆者は考えている。

 教育学において臨床が強調される所以は個々の子どもの自由と安心や信頼に基づく自己意識,自尊感情,自己肯定感などとして語られるその基盤(深層といってもいい)への着目である。

 として、「子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、教育の仕事」ではなく、

 教育実践は未来志向的な構えを相対化して, 子どもの今を肯定し, 安心と自分自身と他者に対する信頼を再構築しなければならない。

と子どもの肯定感だけを強調し、子どもの発達のための教育の役割を肯定していないのである。

配慮のない
   IQの数値の具体明示

 さらに窪島氏は、西氏が述べる知能検査による知能知数を具体的にあげて例示する。
 窪島氏は、「事例 アスペルガー症候群と書字困難の併存」( 国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に- )として、初診時小学校2年女をとりあげ、その家族関係、医師の診断などを具体的に書き、IQの数値を2年、4年と具体的に書いている。
 そして最近の様子を具体的に書いているが、この事例でなぜ、IQの数値具体的に書く必要があるのか理解できない。彼は他のところでもIQOOOだが…と具体的数値を書いている。
 このように彼は、IQの数値に依存しているが、IQの数値に対する彼の評価はまったく書かれていない。
 それにもかかわらず、子どもたちのIQを具体的に書く。そこには、検査対象となった子どもへの配慮があるとは思えないのである。
 かって彼は、西氏のいう「発達テスト」や「発達診断」などを教育の場ですることを批判していた。
  窪島氏は、これらの検査はあくまでも「手がかり」であり、教育はこれらを参考にするけれど、教育そのものではないし、教育に含まれるものではない、と言うのが論旨だった。
だが、彼はIQをさかんに採り入れてきているのが最近の状況であり、彼の書いている文章にしばしば登場する。
 教育の場では、対象となる生徒への配慮から教師はその生徒が特定できる記述は書かない。ましてや成績が、○○であったと具体的に書かない。だが、窪島氏は、平然と具体的数値を「公表」している。
 
子どものすすむ方向が
     曖昧になる「特別支援」

西氏は、さらに次のように論じている。

 特別支援というとき、「支援」からはたしかに主体が子どもにあることが想起できるのであるが、これだけでは子どもがどの方向に進もうとするのかが曖昧になる。
 そして、先にみたように、最近では「自立」がその目指す方向として強く打ち出されているのである。
 したがって、「自立」について明確な規定が求められるのであるが、現状として感じるのは「自立」を職業的社会的自立と捉える傾向が一般的となっている。
 であるならば、障害の極めて重い障害者はそのような自立は見込めないため、その存在意義はどうなるのかといった問題も出てくる。
 さらに、その「自立」は健常児の教育においても同様に高く掲げられている目的であるのかどうか。

「職業的社会的自立」
      のための「特別支援」か

 そのように考えると、「自立」は、障害者と健常者の共通性よりも異質性を際立たせる内容といわざるを得ない。
 そのことは、同時に、「支援」というとき、むしろ障害に着目し、障害から教育内容や方法を導き出そうとする傾向が強くなることも示しているのであり、それを実感する場面も多く経験しているところである。
 本来的には教育に携わる者として、どのような人間に育てようとするのかその方向性を確固として堅持しておかなければならないものであるが、それよりも障害から教育課題を導き出す傾向が強いと言えよう。

と、西氏は、教育目標や教育から「特別支援」を考え、さらに「自立」との関係で、「支援」が関わってくることを鋭く分析している。
 このことについては、河野勝行氏が、WHOの新「国際障害分類」(『ICIDH-2』ならびに『ICF』)を読む―先学に導びかれての学習ノート(文理閣:2002年8月)で詳しく分析している。

2011年5月3日火曜日

既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方について見直しを見抜くかどうか  島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」(3)



臨調・行革から
出された財政上の
特別支援教育
を鋭く指摘

西信高氏は、特に次の点に注目している。

 第1章の締めくくりとして
「近年の国・地方公共団体の厳しい財政事情等を踏まえ、既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方について見直しを行いつつ、また、地方公共団体においては地域の状況等にも対応して、具体的な条件整備の必要性等について検討していくことが肝要である。」
という文章があるが、特別支援教育にかかわるさまざまな問題を考えるうえでは、この文章は見落とすことのできないものである。
 財政問題が本文中でこのように強調されることは、従来の答申や報告にはなかったことである。
 これは、言うまでもなく2001年(平成13年) 4月に発足した小泉内閣によって急速に深化することとなる
 「構造改革」の一環をなすからである。
 この「自立」は、その後の障害者自立支援法に引き継がれるている。
 この法律に対しては、国会上程・審議の段階から、障害者に関連する多くの団体が強く反対した経緯がある)。応「益」負担の問題等々が指摘され、「自立阻止法」とも揶揄されたのである。
 そして政府は法の成立後、このような世論に押される形で負担の軽減策をいくつか打ち出している。
 
窪島氏が
  「読めない重大部分」を読み込む

 西信高氏の論理的分析は、文部科学省が打ち出す方向の本質を突いたものである。
 この分析をよく読むと、窪島氏がいかに文部科学省の「代弁」をしているかが良くわかる。
 これらの文章を熟読した西信高氏は、次に最も重要な国・文部科学省などの本質を露わにしている短文を見逃しはしない。
窪島氏が、 文科省、等行政の基本姿勢が不合理として、「予算も人材も増やさず」と付け足しに書いていることの根本的誤りを西信高氏が、同じ障害児教育学の立場から明らかにしている。
 西信高氏は、窪島氏と同時代障害児教育研究をすすめてきたが、この「落差」はどこから生じてくるのか次第に解明されていく。

特別支援教育は、
      学校統廃合と一体

 後にふれるが、文部科学省が特別支援教育を打ち出した時に、病弱学校、盲学校、聾学校、養護学校の順で学校の統廃合をすすめている計画を打ち出している。
 これらの計画は、1960年代から文部省(当時)が打ち出したもので、養護学校義務制を打ち出した時点で、養護学校の義務制で「重度障害児」の教育問題は整理されたとした。
 そして、次に来るのは、普通校に在籍する「軽度障害児」だとして調査・検討をはじめたが、そこに「臨調・行革」が覆い被さり、名称の変更と学校(障害児学校も普通校も)統廃合が加速したことは、障害児教育研究を真摯にすすめている研究者なら知っていた。

国の財政破綻の危機を乗り越えるために
    生まれた特別支援教育

これらのことは、すで聴覚障害児教育関係者はもちろん研究者の中では、1960年代から問題にされていた。
 以下、少し長くなるが、『聴覚障害』誌2007年6月号に掲載された、「特別支援教育という構造改革に聾学校がどう立ち向かうか」愛知教育大学の都築繁幸氏の文章を紹介させていただく。

都築氏は、

 2007年4月1日から特別支援教育体制への制度的な整備が行なわれ、これまでの「盲・聾・養護学校」が「特別支援学校」に改められることになった。今回の一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。800兆を越す政府の累積赤字は、事実上の財政破綻とも言えるべきものである。

アメリカみたいに
  なるはずがないと言っていた人々

 私は、1984年から86年にかけて米国で生活していた。
 時の米国政府は、双子の赤字に対処するために必死であった。
 その2年間、米国内の多くの聾学校を視察した。
 聾学校のセンター化、個別の教育支援計画、聾学校の統廃合等の海外情報を国内に流しても聾学校関係者や聴覚障害の研究者は、ほとんど無関心であった。
 その後、1989年、1990年に米国を訪れた。
それらをまとめて「21世紀の聴覚障害児教育をめざして」という小冊子を全国心身障害児福祉財団・難聴児を持つ親の会から1991年2月に刊行した。
 その中で「聾学校機能拡大論と聾学校機能併設論」という観点から聾学校の存在理由を考察してみた。
 当時の校長会( 注 聾学校校長会)のある先生や教育界のOBの先生は、「本当にそうなるのか、空想的だ」と話されたことを思い起こす。

北米での相次ぐ聾学校の閉鎖

 そして1993年から3ヶ月間、カナダの多くの聾学校を視察した。聾学校の閉鎖問題が相次いでいた。
 1990年当時、今日の我が国の教育改革を誰が想像していたであろう。「日本は金持ちだ。聾学校は維持できる」と当時の関係者は、予想していたし、外国は外国、日本は日本というスタンスであったように思う。
 我が国の教育界が北米を追従した政策をとっている限り、聴覚障害教育にあってもやがて北米と同じ道、すなわち、聾学校の規模縮小という道をたどることは必至であろうと思っていた。

数年後に問題は急浮上する

 今回の法改正により、制度上の名称は、「○○立○○聾学校」から「○○県立特別支援学校」となったが、通称として、従来の名称である「○○県立○○聾学校」を使うこととしている場合が多い。
 そのためか、教育関係者の中には、「何も変わらない」と思っているようだ。
 聾学校卒業生の中には、「母校がなくなる」、「『ろう』という言葉を残して欲しい」という要望が見られるが、国民的な関心を引いていないし、運動も盛り上がっていない。  
 ここ数年は、大きな変化はないかもしれないが、10年後には問題は急浮上するであろう。
 1979年に養護学校の義務制がなされ、多くの養護学校が新設された。
 2017年頃には各地で当時、新築された養護学校の校舎の耐用年数が切れる時期にさしかかる。 
 2007年問題は、団塊の世代の退職問題で揺れたが、2017年問題は、特別支援学校の建設問題で揺れるであろう。事実上の聾学校の統廃合問題に直面する。

アメリカのインクルージョン政策は
          予算の削減が目的

 先人は、聴覚障害児が社会で活躍できるよう労苦を惜しまず、邁進してきた。それは確かである。

 米国では、インクルージョン政策を採用している。盲・聾・養護学校が莫大に使っている予算を削減をするのに都合の良い「通常教育主導主義」を根拠に連邦政府が進めている。
 盲・聾・養護学校から通常学級に予算を回したいのである。

アメとムチのアメリカ アメのない日本

 米国独特の手法である「アメとムチ」の政策である。
 右手に障害者の統合政策というアメ、左手に予算削減というムチを同時に出している。
 我が国においては、理念としてアメは提示されているものの現実はムチのみである。というのも「援助付き統合教育」を推進していないからである。
 「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられているが、我が国の財政破綻の危機を乗り越えるために生まれたと言っても過言ではない。

都築氏の指摘は、極めて具体的で明解である。そして実際に調査・研究した立場からアメリカにおけるインクルージョン政策の目的を明らかにしているが、この点でも窪島氏の主張とまったく異なる。

格差と矛盾が増大する特別支援教育 島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」(2)


 たしかに、西信高氏の指摘しているように特別支援学校と普通校における特別支援委員会等の設置は、かってないスピードでつくらされた。

 そのため、少なくない普通校では特別支援教育の対象が「ADHD・LD・Asperger」に限定され、それまで対応されていた障害生徒や病弱な生徒は、特別支援教育の対象外とされて行っている。
 また、多くの学校では管理職から「指名」された「特別支援教育コーディネーター」が、なにか新しい特別職、特別任務化のように振る舞っている報告も多い。
 

文書をよほど熟読していなければ
   内容を誤解もしくは曲解する

 さらに西信高氏は、次の点を指摘する。

 文部科学省関連の文書をよほど熟読していなければ、まさに時々刻々変化する情勢に対応できなくなる。
 現場の多忙化がますます進行する現状の下で、文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している例も散見するのである。

 彼は、現在の学校現場を直視していることは、多くの例が物語っている。
 しかし、窪島氏はこれらの問題について一切書いていない。
 そればかりか、彼が評価する実践例を行っている教師に対して、学校内の教師からの批判は少なくない。
 ようは、その教師は窪島氏の言う通りや彼の言う枠内での取り組みをして、学校内の取り組みをしないからである。また彼の評価する教師は学校では、保健室閉鎖を是認し、養護教諭が保健室にも行けないようにしている。文部科学省の特別支援教育研究指定校が終了した学校に行って研究発表するのは文部科学省の追認研究ではないかなどなどのことが報告されている。
 窪島氏は、学校全体や教師たちの状況を見ない。
 それとは対照的に西信高氏は、
「文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している」
と具体的問題点をあげてている。

同じ免許状の所持者が
「支援する側」と「される側」に格差づけられる

 さらに西信高氏は、窪島氏が思いつかないような重要な点を指摘する。

 「地域の特別支援教育のセンター的機能」もそのような例の一つである。従来障害児学校の多くは都道府県立であるがゆえに、市町村立の小・中学校とは制度的にも機能的にも日常的なつながりは必ずしも緊密ではなく、それでも特に支障が生じない状況があった。
 しかしながら、今後は「小・中学校等の教員への支援機能」「小・中学校等の教員に対する研修協力機能」が求められるものとされている。
 同じ免許状の所持者であっても、その勤務する学校種別により、支援する側とされる側に格差づけられるという問題も指摘できるのであるが、いずれにせよ、障害児学校教員の意識と姿勢の大転換が求められているのである。
 それほどの自覚と責任が障害児学校に満ち、共通認識となっているがどうか。
 時折、障害児学校の教員から、小・中学校の教員は障害児学校についての理解が乏しいとする批判も聞くが、今後はそれは障害児学校側の努力不足によるのであるという点にむしろ重きが置かれることになる。
 また、具体的な授業場面では、一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の障害児学校で長年過ごした教員が、一人の担任が複数の障害児と向き合う障害児学級の担任に、あるいは通常学級の担任にいかなる「支援」をおこなうのか。こうした課題がまもなく現実のものとなろうとしているのであるが、身近には必ずしも学校側からの切迫感が感じられない。

まさに、これらのことが今教育現場で如実に現れている。

 特別支援教育指導と称して
   普通校に来る教師の少なくない実態

 ある普通校へ特別委支援としてやってきた障害児学校の教師が、アスペルガーの生徒の指導について詳細に提示し、その指導を教師に求めた。
教師たちの中では
「そこまでの取り組みは、とても無理だ。」
という呟きが広ろがったが、管理職の厳しい眼差しの前で何も言えないでいた。
 その時、ひとりの教師が、
「先生の詳細な指導についてのはなしがありましたが、先生のその生徒たちへの実践の取り組みを話していただけませんか。」
と問いかけた。
 すると、
「私の学校にはそのような生徒はいません。」
「だから、私はそのような実践をしていません。」
と答えた。
 そこで、質問した教師は、
「では、先生のおっしゃったアスペルガーの生徒の指導については、何を根拠にしていっておられるのですか。」
と尋ねると
「本に書いてありました。」
との返事が返ってきた。
 そこでさらに、質問しようとすると、周りの教師から「もういいでは」との呟きが聞こえたため止めた。
 その質問した教師は、特別支援教育としてやってきた障害児学校に勤めていて、子どもたちのことは充分知っていたが、管理職も特別支援教育指導にきた教師も、そのことすら知らなかったのである。
 「形だけ」の「おざなり」の特別支援教育でも、取り組んだという「こと」だけでいいのだ、と普通校の管理職が質問した教師に言い放ったのである。
 これらの事例は、数え切れない程ある。
 上から言われるから、ともかくやらなければ……となって生徒たちのことを考えているようで、生徒たちを脇にやることがすすめられているのである。

問題をはらみながら
    すすめられる特別支援教育

 さらに西信高氏は、次のことをも指摘している。

 また別の例を挙げるならば、適正就学に関連しても、障害の「診断」は医師がするものであり教員は与らないとする考えも根強いものがある。医学的診断は、言うまでもなく医師が行う。
 しかし、ADHDやLDと診断された子どもで、心臓病や腎臓病その他の重篤な内部疾患の場合のように、医師からその病院に「入院」するように言い渡された子どもは果たして何人いるのか。
 まさに各方面の専門家との連携のもとで、乳幼児期から学校教育修了後までを見通した中でのそれぞれの時点でのきめ細かな「教育的」診断が、日々の実践に不可欠なものとして強く求められているのである。
 「特別支援教育」は、混乱というほどの抜き差しならない状態に陥っているのではないが、いまここに挙げた例に限らずなお多くの問題をその内部にはらみながら進行している状況にある。

説得力のない
   なぜ「特別支援教育」か


 そして西信高氏は、『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(2003年3月答申)などを分析・検討して以下のことを指摘する。



 この「概要」では、「特殊教育」を「障害の程度等に応じ特別の場で指導を行う」というように、教育の場、つまり物理的空間に着目して定義している。
 しかしながら、「特別支援教育」については、そのような「場」は問題にせず、「障害のある児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて適切な教育的支援を行う」こととされる。
 論理的整合性は図られていない。
 実際、子どものニーズに応じて「特別の場」すなわち障害児のための学校が必要となる場合もあるのであり、それゆえに特別支援学校として存続させるのである。
 この報告の本論をみると、なぜ「特別支援教育」かといえば、対象の拡大、教育の場の多様化、教育目的としての「自立」の強調、地方分権化のもとでの教育委員会の役割の変化、これらが従来の「特殊教育」では包含できない内容として現れているため、と解釈できる。
 しかし、これとてもやはり説得力には欠けると言わざるを得ない。



窪島氏が「読めない」部分を

              読み込む



 西信高氏の論理的分析は、文部科学省が打ち出す方向の本質を突いたものである。この分析をよく読むと、窪島氏がいかに文部科学省の「代弁」をしているかが良くわかる。
 これらの文章を熟読した西信高氏は、次に最も重要な国・文部科学省などの本質を露わにしている短文を見逃しはしない。

2011年5月2日月曜日

まったく異なる評価と鋭い分析は  島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」(1)

 窪島氏は、特別支援教育は、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった、と書いていることはすべに述べた。

就学猶予・免除をなくした歴史も無視

 ここには、就学猶予・免除ということで障害児が教育を受けられなかった歴史とそれを改めさせた教育制度はもちろん、盲教育やろう教育の義務制や養護学校の義務制などの教育制度のことは含まれていないとしているのである。
 彼が、「制度改変」という文字を使うのは、その漢字の通り「障害児教育を改めて違うものにすること。」ことであり、彼はそれを歓迎し評価しているのである。
 ただ付け足し的に以下のことを書いている。

にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。
と書いているが、これはまったく文科省、等行政の基本姿勢を見ていないか、見ようとしないことの表れであるとまず説明しておく。

予算も人材も増やさない
        ための特別支援教育

 「予算も人材も増やさない」ために特別支援教育が打ち出されてきたことすら、彼は理解できないのでいる。
 特別支援教育は、「予算も財源も増やさない」ことを基底に組み立てられている。
 窪島氏は、文部科学省の特別支援教育の各種文章を読破した上で上記のようなことを述べているのか、それとも文部科学省の特別支援教育の各種文章が読解出来ないのか、そのどちらかである。

相互に交流され広がり、
  高まり、学び合い、教育に還元された

 さらにもう一つ明らかにしておかなければならないのは、盲教育やろう教育や養護学校教育が義務化されたから、すべての障害児が障害児学校に入学させられた、入学出来たわけでもない。
 すべての障害児に教育を受ける権利があり、それが教育実践として障害児学校のみならず普通校でも証明されたばかりか、相互の教育実践が影響し合い教育実践の広がりと発展が野火のごとく広がっていったことも明らかにしておきたい。

問題点と教育展望を明確にした
 島根大学教育学部西信高教授の論文

 窪島氏の考えに対して島根大学教育学部西信高教授は、すでに特別支援教育の問題点を研究分野からも教育実践分野からも明確に書いている。
 以下、島根大学教育学部西信高教授の「特殊教育から特別支援教育への移行における諸問題Ⅰ 」~ 障害の定義と診断および教育と発達の相互関係~ (教育臨床総合研究6 2007年研究)と対比させながら、窪島氏の「改変」について述べる。

「教育は百年の計」が2年で変更

 西信高氏はまず以下のようなことを明らかにしている。順次述べて行きたい。

 従来の「障害児」教育は、その法令上の定義、制度、実際の運用において、ここ最近非常にめまぐるしい変化にさらされている。
 2001年1月15日、「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議」は『21世紀の特殊教育の在り方について~一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について~ (最終報告)』(以下、「2001年1月報告」) という報告を出した。
 まさに「教育は百年の計」といわれるように21世紀を展望しているかのようなタイトルとなっている。
 しかしながら、その2年後に出された、「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」による2003年3月28日付けの答申『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(以下、「2003年3月報告」) では、「特殊教育」は消え、「特別支援教育」となっているのである。
 わずかの期間のうちに、そもそものおおもとをなす基本的呼称が「特殊教育」から「特別支援教育」へと変わっているのである。

と僅か2年間のうちに「特殊教育」の名称が、「特別支援教育」となった問題点を指摘する。

世論の成熟を背景にしない
          「特別支援教育」への移行

 そして、西信高氏は、

1998年(平成10年) に「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」が成立し、公的文書において「精神薄弱」が「知的障害」に改められることとなったが、これについてはそれまでの長期にわたる国民の意識の変化が反映されていた。
 つまり、一般的に「精神薄弱」という言い方は差別的な語感を含むものであるとの認識が長い年月をかけて広がっていたのである。
 しかしながら、これに比べれば、「特殊教育」から「特別支援教育」への移行は、そうした世論の成熟という点ではかならずしも十分ではない。

合理性と科学性で
 慎重な検討のないままハイスピード化


 用語の成熟度如何に関わらず、現実はハイスピードで進行している。
 2001年1月には、文部科学省では、障害のある児童生徒の教育を担当する課であった「特殊教育課」が「特別支援教育課」へと再編された。
 島根県では2002年、松江市では2001年、それぞれ「特殊教育室」を「特別支援教育室」へと組織名称の変更を行っている。
 そのほかにも例を挙げれば、新たに提起された「特別支援教育コーディネーター」も、ごく短時日の間にすでに各学校に配置済みといった状況がみてとれる。
 障害児にかかわるさまざまな問題を、まさに権利の総合的・統一的保障の観点からコーディネートする教員の配置は当然必要ではある。
 しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。



特別支援教育のハイスピード化にある
    全体主義の復活を思わせる恐怖


 さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。
 このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。

2011年5月1日日曜日

子どもの協同関係と子どもたちの教育力を否定   教育展望と滋賀大学教育学部窪島務氏の巨像と実像(6)



 窪島氏の主張の特徴は、

3、彼が、子どもたちとか、子ども集団とか、のことにまったく書いていないところに特徴がある。
 これは、彼が、子どもひとりを個別の存在とみて、子どもたちの相互の教育力を見ていないということの現れでもあると言える。
 子どもたちは、生徒であると共にお互いがお互いを教え合い、相互に教育力を高めていく力を有している。
 そして、時には、その力は教える側を凌駕していく。

子ども集団・教師集団
そして学校否定の主張

 学校という基礎単位は、子どもひとりひとりの存在の場であるだけでなく子どもたちの集団形成の場でもあることを窪島氏は何ら触れようともしないのである。
 彼は、子どもたちが教え合い、学び合う、子どもたち自身の教育力を知らないのである。
 同時にその子どもたちに信頼を寄せていないとも言える。
 それは、「滋賀大キッズカレッジ学習室」のボランティア募集にも現れている。
「読み書き障害(学習障害)のある子どもの学習室」は、「学習室への参加希望は多数有りますが、一対一の指導を基本にしているため、多くの子どもたちに待機していただいている状況です。」としているが、読み書き障害のある子どもたち同士の子どもたち自身が教え合う場も考慮に入れるという構想はまったく見られない。
 窪島氏は、
「特別な教育的ニーズを有する多くの子どもが通常学級にいるということである。この異質集団をあるべき学級として理念化したものが, インクルージョン教育,インクルーシブ学級である。」
と書いていることはすでに述べてきた。
 彼は異質集団という異質の規定がないと言うことも指摘したが、
「異質集団をあるべき学級として理念化したものが, インクルージョン教育,インクルーシブ学級である。」
であるとするならば、インクルージョン教育、インクルーシブ学級の典型やパイロット教育を「滋賀大キッズカレッジ学習室」で実践しなければならないはずである。
 だがしかし、「一対一の指導を基本」の実践をするというのである。
 これでは、窪島氏の書いていることは「空理空論」でしかないことを、自ら証左したにすぎないのである。
 彼は、「そのことが直接に一斉授業の否定につながるものではない。一斉授業が悪であるという評価が一斉授業=画一的であるという誤った観念の上に形成されている疑いがある。」と書いていることも紹介してきたが、彼は、「一斉授業」の中での、読み書き障害の子どもの授業を肯定していないのである。
 行為がすべて物語るということは、まさに窪島氏のためにあるのかもしれない。

様変わりしたのか
教育実践総合センター

 滋賀大学教育学部窪島務氏への疑問(2)で、滋賀大学教育実践総合センターの目的として、かって京都新聞の記事にされていたことを紹介した。

滋賀大教育学部は付属の教育実践総合センターが、「ティーチャーズ・オープンキャンパス」構想も掲げ、その第一弾として相談窓口を始めることにした。
 相談窓口の担当で教育実践総合センター長の窪島務教授(教育学)は
「今の教員は研修や会議が多く、忙しい。悩みを抱え込む前に気軽に相談してほしい」
と話している。
 窪島氏の「今の教員は研修や会議が多く、忙しい。悩みを抱え込む前に気軽に相談してほしい」と話してたとされる姿は彼の文章からも今は見られない。 そればかりか、教師を指弾し、苦境に追い込むのはなぜだろうか。
 教職員の労働安全衛生から考えてみると、彼の教師の労働に対する認識の偏向がコメントでも解る。

ILOの「decent work」
The right to decent work of persons with disabilities
解釈できるだろうか

 「研修や会議が多く、忙しい。」「悩みを抱え込む」と言うならば、研究者会議を少なくして、教育実践・教育内容の創造に打ち込めるようにすることを提案するのも教育実践総合センターの役割ではなかったのではないか。
 また、悩みを抱え込む、のではなく、悩みから解放する方途を示すのが、教育実践総合センターとなったはずである。
 ところが現実は、彼は教育委員会や各種官製研修・大学の「出前事業」なるものに積極的に参加し、教師の悩みを上塗りすることを講演している。
 この真逆動きも、窪島氏の方向をも証左している。
 これでは、彼の好んで使う国際動向のひとつであるILOの「decent work」も「The right to decent work of persons with disabilities」も理解できないだろう。

「インクルージョン」「インクルーシブ」は
                集団教育が基礎前提

 彼は、欧米と書いているが例としている国は、イギリス、ドイツ、スウェーデンなどにすぎないことを明らかにしてきた。
 ここで次のことを明らかにしておきたい。
 フランスの山村にある小さな小学校に通う13人の子供たちとひとりの先生のドキュメンタリー映画がフランスで異例の大ヒットした。
 その映画の内容を、ここで紹介するつもりがないが、映画では、3歳から11歳までの子供たちをひとりの先生が教える授業がリアルに観ることが出来る。
 先生は、午前中は、4歳からの一番年少の子供たち。その間、上級生達は自習。先生は、小さな生徒たちに「ママ」のつづり方を教えていく……。
 これは日本の過疎の小さな学校で行われている複式学級での取り組みと同じところがあるが、読み書きを教える時間がゆっくり流れて教えられているばかりか、異年齢集団同士の教え合う姿も映し出されている。
 一斉と個別、同年齢と異年齢、そしてひとつの集団として学校がある。
(これらの学校はフランスに千以上ありその統廃合をめぐって各地で問題になっていることが、映画監督の手記に書いてあった。)
 またイタリアでも同様の小さな学校が多くあり、一斉と個別の授業が巧みに折り合わせながらすすめられている。

スロー教育とインクルーシブ

 1980年代半ば、イタリアにマクドナルドが開店した。
 このことが、ファストフードにイタリアの食文化が食いつぶされる、という危機感を生み、「スローフード」運動がはじまったとされる。
 スローフードとは、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動、または、その食品自体を指すことば、などとされているが同じような意味で「スロー教育」という考えが出されていることも窪島氏は承知していないのである。
 窪島氏は、窪島氏の意図と合致するイギリス系教育制度やドイツ教育制度のみを紹介・引用するが、彼の書いているような「インクルージョン」「インクルーシブ」などの教育が行われている国を探すことははなはだ困難である。
 それどころか、彼の読み書き障害とする子どもたちが在籍する普通学級での授業では、先生や専門スタッフが個別指導するのはもちろん、子ども同士の教え合い、学び合い、育ち合いを当然のこととして教育の基本に置いているのである。
 「インクルージョン」「インクルーシブ」なる概念は、子ども集団・生徒集団・教師集団・教育に関わる専門家集団の基礎単位を前提に、教育を基本に相互分担・相互連携を前提にしていることは自明のことなのである。

生徒たちの教育課題を
細分化しさらに細分化する

 ドイツの教師が、日本の初等教育を観て、教師が喋ってばかりの授業形態に驚くという報告は、古くから知られてきたことである。
 だが、そのことを明らかにしないで、窪島氏は日本の授業形態を教師だけの責めとしているだけで、自ら研究者としての授業形態の改善方法を提起しないのは、それなりの思いがあるからであろう。
 窪島氏が、不登校の生徒の問題から発達障害へと移行し、そして読み書き障害へと絞り込んでくる過程と共に彼の記述は、子どもたちや子ども集団や教師集団が「解体」されていく。
 そして、さらに彼は、「読み」と「書き」を解体し、「書き」を解体しているのが現在の彼の状態なのである。

はじまりは
      特別支援教育の絶賛から

 窪島氏が、なぜこのような「変遷」をたどったのかを検討してみると次のことからであることが明るみに出る。
 すなわち彼は、

 2007年度より特別支援教育が新しい制度として発足したが、問題が山積している。

 特別支援教育は、もう・聾・養護学校および障害児学級を主体とするこれまでの障害児教育への制度的対応から、主として通常学級に在籍する発達障害(学習障害􀀀 (LD)、注意欠陥・多動性陣容􀀀 (ADHD)、広汎性発達障害􀀀 (PDD)など)を障害児教育の対象に加えることを主眼にいくつかの制度的改変を行った。これは、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった。にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。
(前述、国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に- 医学評論 2010年7月)

と過去の自らが研究してきた障害児教育を破棄し、「特別支援教育」を絶賛しているところから彼の逆流現象としての「変遷」がはじまる。
 だが、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった、書いていることそのものに多くの誤りがある。
 またそのことが、窪島氏の旋回の序章でもある。

教育史を踏まえない自己仮定の断定  教育展望と滋賀大学教育学部窪島務氏の巨像と実像(5)



 窪島氏のここの数年の記述には、彼の抱いた「確信」や「主観的意図」を何ら確かめもせず「仮説化」し、それに基づいて彼が抱いた「こと」を肯定する海外の資料や調査を重視し、彼の意図や仮説に反するような調査や結果や学説を軽んじたり、黙殺したりすることが次第に多くなっている。

自己の「仮説」の絶対化

 一例をあげてみると、 野口法子・窪島務: 2009年出版者: 滋賀大学教育学部 滋賀大学教育学部紀要, Ⅰ, 教育科学, 第59号として、
「通常学級の子どもたちと読み書き困難児のカタカナ書字習得状況」なる者が公開されているが、この抄録がそのことを裏付けている。
 窪島らは、

  読み書き困難児のカタカナに関する先行研究がほとんどないことにより、本研究では、まず、通常児のカタカナ書字の習得状況を調査し、その分析を行った。
その結果、カタカナ書字は、清書・濁音・拗音ともプロセスに違いはあるが、3年生でほぼ習得され、4年生で完全に習得されることが分かった。
次に読み書き困難児のカタカナ書字習得状況を分析してみると、清書・濁音・拗音のいずれかで当該学年に及ばないものが、17名中14名でそのうちの6名がすべてにおいて当該学年よりも2学年以下のレベルであった。
また、カタカナとともに平仮名習得度も低い傾向にあり、そして漢字の習得度との関係は、本研究では明確な結果は得られなかった

としていることである。

根拠のない
「カタカナに関する先行研究がほとんどない研究」

 ここで彼らが行った3年生や4年生の年齢と発達との因果関係などなどは別にして、「読み書き困難児のカタカナに関する先行研究がほとんどない」と断定している根拠を明らかにしないまま「仮説」を立てている点に注目しなければならない。
 少なくとも教育学と自負する研究者なら、戦前の初等教育がカタカナを教えることからはじめられたことを知っているはずである。
もちろん現在のカタカナ表記とは異なったものではないが。

シナジンヲ タクサン コロシテ、
 ヨイヒトニ シテアゲテ クダサイ

彼は以下のことを承知していたはずである。

 30万人もの中国人民を殺戮したいわゆる南京大虐殺が開始されたのは1937年暮であった。日本軍は12月12日に南京を支配下におき、悪魔の手を血に染め始めた。その2日前の12月10日付で発行された点字文集「塔影第6号」が今も残っている。
 これには当時の京都府立盲学校生徒のおよそ半数にあたる71名の作品が載っており、そのなかに初等部1年生が書いた次の一文がある。

 「シナニ ヰラッシャル ヘイタイサン、オクニノ タメニ、ワタクシタチノ タメニ、ハタライテ クダサル コトヲ ヨロコンデ ヰマス。マイアサ、テウクワイデ、カウチャウセンセイニ、センソウノ オハナシヲ キキマス。ドウゾ、シナジンヲ タクサン コロシテ、ヨイヒトニ シテアゲテ クダサイ。ヘイタイサンガ タッシャデ ヰテ クダサル ヤウ、オイノリシテ ヰマス。ヲハリ」

 45年余を経て、今、幼気な少年に「タクサン コロシテクダサイ」と言わせ、それに日もおかず応えてみせた時代が、「海峡封鎖」だの「浮沈空母」だのといったおぞましい言葉によって呼び戻されようとしている。
(視覚障害者と戦争 岸博實(京都府立盲学校)『障害者問題研究』1984年・第36号)

戦前の初等教育はカタカナ

窪島氏は、これは点字をカタカナに置き換えたものではないと言うかもしれない。
 しかし、ここであえて、カタカナにされているのは、初等教育では同様なことが、カタカナで教えられていたし、聾学校ではまさにカタカナから教えられていたことも知らなかったということになる。
 戦前は、「盲聾学校」とされていたことを忘れてはならないのである。
 これらのカタカナ文字の教育の中で、カタカナが習得できないでいる生徒のことの記述や当時生徒だった障害者の証言記録が残されている。
 窪島氏は、これらのことを調べた上で、「読み書き困難児のカタカナに関する先行研究がほとんどない」と断定しているのであろうか。

思い込みの仮説から来る
          結論の必然

 思い込みからの仮説は、その仮説に拘束され、その仮説に基づく実験・調査結果しか認識できなくなるという非科学性の「論文」なる文章を多々連発している窪島氏は、科学調査を投げ打ったと考えられる。
 仮説の前提が、およそ教育学、障害児教育学の専攻とは考えられないものである。
 そればかりか、戦前のカタカナ文字の習得困難だった生徒を完全に無視した論立ては、読み書き困難児を論じる前提が崩壊している。

科学を装う非科学研究

 さらに、戦後の初等教育では、ひらがなはもちろんカタカナの習得困難な生徒に対する教育実践も多々ある。
 これらのことなどをまったく調べもせずに、「読み書き困難児のカタカナに関する先行研究がほとんどない」として、あたかも自分たちが、「読み書き困難児のカタカナに関する」研究の先覚者であるかのように描き出す姿勢もまた研究者以前の人間としてのモラルが疑われる。
 科学研究の装いを凝らした非科学研究としても、彼らの調査に協力させられた生徒たちはあまりにも気の毒である。