臨調・行革から
出された財政上の
特別支援教育
を鋭く指摘
西信高氏は、特に次の点に注目している。
第1章の締めくくりとして
「近年の国・地方公共団体の厳しい財政事情等を踏まえ、既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方について見直しを行いつつ、また、地方公共団体においては地域の状況等にも対応して、具体的な条件整備の必要性等について検討していくことが肝要である。」
という文章があるが、特別支援教育にかかわるさまざまな問題を考えるうえでは、この文章は見落とすことのできないものである。
財政問題が本文中でこのように強調されることは、従来の答申や報告にはなかったことである。
これは、言うまでもなく2001年(平成13年) 4月に発足した小泉内閣によって急速に深化することとなる
「構造改革」の一環をなすからである。
この「自立」は、その後の障害者自立支援法に引き継がれるている。
この法律に対しては、国会上程・審議の段階から、障害者に関連する多くの団体が強く反対した経緯がある)。応「益」負担の問題等々が指摘され、「自立阻止法」とも揶揄されたのである。
そして政府は法の成立後、このような世論に押される形で負担の軽減策をいくつか打ち出している。
窪島氏が
「読めない重大部分」を読み込む
西信高氏の論理的分析は、文部科学省が打ち出す方向の本質を突いたものである。
この分析をよく読むと、窪島氏がいかに文部科学省の「代弁」をしているかが良くわかる。
これらの文章を熟読した西信高氏は、次に最も重要な国・文部科学省などの本質を露わにしている短文を見逃しはしない。
窪島氏が、 文科省、等行政の基本姿勢が不合理として、「予算も人材も増やさず」と付け足しに書いていることの根本的誤りを西信高氏が、同じ障害児教育学の立場から明らかにしている。
西信高氏は、窪島氏と同時代障害児教育研究をすすめてきたが、この「落差」はどこから生じてくるのか次第に解明されていく。
特別支援教育は、
学校統廃合と一体
後にふれるが、文部科学省が特別支援教育を打ち出した時に、病弱学校、盲学校、聾学校、養護学校の順で学校の統廃合をすすめている計画を打ち出している。
これらの計画は、1960年代から文部省(当時)が打ち出したもので、養護学校義務制を打ち出した時点で、養護学校の義務制で「重度障害児」の教育問題は整理されたとした。
そして、次に来るのは、普通校に在籍する「軽度障害児」だとして調査・検討をはじめたが、そこに「臨調・行革」が覆い被さり、名称の変更と学校(障害児学校も普通校も)統廃合が加速したことは、障害児教育研究を真摯にすすめている研究者なら知っていた。
国の財政破綻の危機を乗り越えるために
生まれた特別支援教育
これらのことは、すで聴覚障害児教育関係者はもちろん研究者の中では、1960年代から問題にされていた。
以下、少し長くなるが、『聴覚障害』誌2007年6月号に掲載された、「特別支援教育という構造改革に聾学校がどう立ち向かうか」愛知教育大学の都築繁幸氏の文章を紹介させていただく。
都築氏は、
2007年4月1日から特別支援教育体制への制度的な整備が行なわれ、これまでの「盲・聾・養護学校」が「特別支援学校」に改められることになった。今回の一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。800兆を越す政府の累積赤字は、事実上の財政破綻とも言えるべきものである。
アメリカみたいに
なるはずがないと言っていた人々
私は、1984年から86年にかけて米国で生活していた。
時の米国政府は、双子の赤字に対処するために必死であった。
その2年間、米国内の多くの聾学校を視察した。
聾学校のセンター化、個別の教育支援計画、聾学校の統廃合等の海外情報を国内に流しても聾学校関係者や聴覚障害の研究者は、ほとんど無関心であった。
その後、1989年、1990年に米国を訪れた。
それらをまとめて「21世紀の聴覚障害児教育をめざして」という小冊子を全国心身障害児福祉財団・難聴児を持つ親の会から1991年2月に刊行した。
その中で「聾学校機能拡大論と聾学校機能併設論」という観点から聾学校の存在理由を考察してみた。
当時の校長会( 注 聾学校校長会)のある先生や教育界のOBの先生は、「本当にそうなるのか、空想的だ」と話されたことを思い起こす。
北米での相次ぐ聾学校の閉鎖
そして1993年から3ヶ月間、カナダの多くの聾学校を視察した。聾学校の閉鎖問題が相次いでいた。
1990年当時、今日の我が国の教育改革を誰が想像していたであろう。「日本は金持ちだ。聾学校は維持できる」と当時の関係者は、予想していたし、外国は外国、日本は日本というスタンスであったように思う。
我が国の教育界が北米を追従した政策をとっている限り、聴覚障害教育にあってもやがて北米と同じ道、すなわち、聾学校の規模縮小という道をたどることは必至であろうと思っていた。
数年後に問題は急浮上する
今回の法改正により、制度上の名称は、「○○立○○聾学校」から「○○県立特別支援学校」となったが、通称として、従来の名称である「○○県立○○聾学校」を使うこととしている場合が多い。
そのためか、教育関係者の中には、「何も変わらない」と思っているようだ。
聾学校卒業生の中には、「母校がなくなる」、「『ろう』という言葉を残して欲しい」という要望が見られるが、国民的な関心を引いていないし、運動も盛り上がっていない。
ここ数年は、大きな変化はないかもしれないが、10年後には問題は急浮上するであろう。
1979年に養護学校の義務制がなされ、多くの養護学校が新設された。
2017年頃には各地で当時、新築された養護学校の校舎の耐用年数が切れる時期にさしかかる。
2007年問題は、団塊の世代の退職問題で揺れたが、2017年問題は、特別支援学校の建設問題で揺れるであろう。事実上の聾学校の統廃合問題に直面する。
アメリカのインクルージョン政策は
予算の削減が目的
先人は、聴覚障害児が社会で活躍できるよう労苦を惜しまず、邁進してきた。それは確かである。
米国では、インクルージョン政策を採用している。盲・聾・養護学校が莫大に使っている予算を削減をするのに都合の良い「通常教育主導主義」を根拠に連邦政府が進めている。
盲・聾・養護学校から通常学級に予算を回したいのである。
アメとムチのアメリカ アメのない日本
米国独特の手法である「アメとムチ」の政策である。
右手に障害者の統合政策というアメ、左手に予算削減というムチを同時に出している。
我が国においては、理念としてアメは提示されているものの現実はムチのみである。というのも「援助付き統合教育」を推進していないからである。
「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられているが、我が国の財政破綻の危機を乗り越えるために生まれたと言っても過言ではない。
都築氏の指摘は、極めて具体的で明解である。そして実際に調査・研究した立場からアメリカにおけるインクルージョン政策の目的を明らかにしているが、この点でも窪島氏の主張とまったく異なる。