窪島氏は、特別支援教育は、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった、と書いていることはすべに述べた。
就学猶予・免除をなくした歴史も無視
ここには、就学猶予・免除ということで障害児が教育を受けられなかった歴史とそれを改めさせた教育制度はもちろん、盲教育やろう教育の義務制や養護学校の義務制などの教育制度のことは含まれていないとしているのである。
彼が、「制度改変」という文字を使うのは、その漢字の通り「障害児教育を改めて違うものにすること。」ことであり、彼はそれを歓迎し評価しているのである。
ただ付け足し的に以下のことを書いている。
にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。
と書いているが、これはまったく文科省、等行政の基本姿勢を見ていないか、見ようとしないことの表れであるとまず説明しておく。
予算も人材も増やさない
ための特別支援教育
「予算も人材も増やさない」ために特別支援教育が打ち出されてきたことすら、彼は理解できないのでいる。
特別支援教育は、「予算も財源も増やさない」ことを基底に組み立てられている。
窪島氏は、文部科学省の特別支援教育の各種文章を読破した上で上記のようなことを述べているのか、それとも文部科学省の特別支援教育の各種文章が読解出来ないのか、そのどちらかである。
相互に交流され広がり、
高まり、学び合い、教育に還元された
さらにもう一つ明らかにしておかなければならないのは、盲教育やろう教育や養護学校教育が義務化されたから、すべての障害児が障害児学校に入学させられた、入学出来たわけでもない。
すべての障害児に教育を受ける権利があり、それが教育実践として障害児学校のみならず普通校でも証明されたばかりか、相互の教育実践が影響し合い教育実践の広がりと発展が野火のごとく広がっていったことも明らかにしておきたい。
問題点と教育展望を明確にした
島根大学教育学部西信高教授の論文
窪島氏の考えに対して島根大学教育学部西信高教授は、すでに特別支援教育の問題点を研究分野からも教育実践分野からも明確に書いている。
以下、島根大学教育学部西信高教授の「特殊教育から特別支援教育への移行における諸問題Ⅰ 」~ 障害の定義と診断および教育と発達の相互関係~ (教育臨床総合研究6 2007年研究)と対比させながら、窪島氏の「改変」について述べる。
「教育は百年の計」が2年で変更
西信高氏はまず以下のようなことを明らかにしている。順次述べて行きたい。
従来の「障害児」教育は、その法令上の定義、制度、実際の運用において、ここ最近非常にめまぐるしい変化にさらされている。
2001年1月15日、「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議」は『21世紀の特殊教育の在り方について~一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について~ (最終報告)』(以下、「2001年1月報告」) という報告を出した。
まさに「教育は百年の計」といわれるように21世紀を展望しているかのようなタイトルとなっている。
しかしながら、その2年後に出された、「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」による2003年3月28日付けの答申『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(以下、「2003年3月報告」) では、「特殊教育」は消え、「特別支援教育」となっているのである。
わずかの期間のうちに、そもそものおおもとをなす基本的呼称が「特殊教育」から「特別支援教育」へと変わっているのである。
と僅か2年間のうちに「特殊教育」の名称が、「特別支援教育」となった問題点を指摘する。
世論の成熟を背景にしない
「特別支援教育」への移行
そして、西信高氏は、
1998年(平成10年) に「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」が成立し、公的文書において「精神薄弱」が「知的障害」に改められることとなったが、これについてはそれまでの長期にわたる国民の意識の変化が反映されていた。
つまり、一般的に「精神薄弱」という言い方は差別的な語感を含むものであるとの認識が長い年月をかけて広がっていたのである。
しかしながら、これに比べれば、「特殊教育」から「特別支援教育」への移行は、そうした世論の成熟という点ではかならずしも十分ではない。
合理性と科学性で
慎重な検討のないままハイスピード化
さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。
このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。
就学猶予・免除をなくした歴史も無視
ここには、就学猶予・免除ということで障害児が教育を受けられなかった歴史とそれを改めさせた教育制度はもちろん、盲教育やろう教育の義務制や養護学校の義務制などの教育制度のことは含まれていないとしているのである。
彼が、「制度改変」という文字を使うのは、その漢字の通り「障害児教育を改めて違うものにすること。」ことであり、彼はそれを歓迎し評価しているのである。
ただ付け足し的に以下のことを書いている。
にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。
と書いているが、これはまったく文科省、等行政の基本姿勢を見ていないか、見ようとしないことの表れであるとまず説明しておく。
予算も人材も増やさない
ための特別支援教育
「予算も人材も増やさない」ために特別支援教育が打ち出されてきたことすら、彼は理解できないのでいる。
特別支援教育は、「予算も財源も増やさない」ことを基底に組み立てられている。
窪島氏は、文部科学省の特別支援教育の各種文章を読破した上で上記のようなことを述べているのか、それとも文部科学省の特別支援教育の各種文章が読解出来ないのか、そのどちらかである。
相互に交流され広がり、
高まり、学び合い、教育に還元された
さらにもう一つ明らかにしておかなければならないのは、盲教育やろう教育や養護学校教育が義務化されたから、すべての障害児が障害児学校に入学させられた、入学出来たわけでもない。
すべての障害児に教育を受ける権利があり、それが教育実践として障害児学校のみならず普通校でも証明されたばかりか、相互の教育実践が影響し合い教育実践の広がりと発展が野火のごとく広がっていったことも明らかにしておきたい。
問題点と教育展望を明確にした
島根大学教育学部西信高教授の論文
窪島氏の考えに対して島根大学教育学部西信高教授は、すでに特別支援教育の問題点を研究分野からも教育実践分野からも明確に書いている。
以下、島根大学教育学部西信高教授の「特殊教育から特別支援教育への移行における諸問題Ⅰ 」~ 障害の定義と診断および教育と発達の相互関係~ (教育臨床総合研究6 2007年研究)と対比させながら、窪島氏の「改変」について述べる。
「教育は百年の計」が2年で変更
西信高氏はまず以下のようなことを明らかにしている。順次述べて行きたい。
従来の「障害児」教育は、その法令上の定義、制度、実際の運用において、ここ最近非常にめまぐるしい変化にさらされている。
2001年1月15日、「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議」は『21世紀の特殊教育の在り方について~一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について~ (最終報告)』(以下、「2001年1月報告」) という報告を出した。
まさに「教育は百年の計」といわれるように21世紀を展望しているかのようなタイトルとなっている。
しかしながら、その2年後に出された、「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」による2003年3月28日付けの答申『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(以下、「2003年3月報告」) では、「特殊教育」は消え、「特別支援教育」となっているのである。
わずかの期間のうちに、そもそものおおもとをなす基本的呼称が「特殊教育」から「特別支援教育」へと変わっているのである。
と僅か2年間のうちに「特殊教育」の名称が、「特別支援教育」となった問題点を指摘する。
世論の成熟を背景にしない
「特別支援教育」への移行
そして、西信高氏は、
1998年(平成10年) に「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」が成立し、公的文書において「精神薄弱」が「知的障害」に改められることとなったが、これについてはそれまでの長期にわたる国民の意識の変化が反映されていた。
つまり、一般的に「精神薄弱」という言い方は差別的な語感を含むものであるとの認識が長い年月をかけて広がっていたのである。
しかしながら、これに比べれば、「特殊教育」から「特別支援教育」への移行は、そうした世論の成熟という点ではかならずしも十分ではない。
合理性と科学性で
慎重な検討のないままハイスピード化
用語の成熟度如何に関わらず、現実はハイスピードで進行している。
2001年1月には、文部科学省では、障害のある児童生徒の教育を担当する課であった「特殊教育課」が「特別支援教育課」へと再編された。
島根県では2002年、松江市では2001年、それぞれ「特殊教育室」を「特別支援教育室」へと組織名称の変更を行っている。
そのほかにも例を挙げれば、新たに提起された「特別支援教育コーディネーター」も、ごく短時日の間にすでに各学校に配置済みといった状況がみてとれる。
障害児にかかわるさまざまな問題を、まさに権利の総合的・統一的保障の観点からコーディネートする教員の配置は当然必要ではある。
しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。
2001年1月には、文部科学省では、障害のある児童生徒の教育を担当する課であった「特殊教育課」が「特別支援教育課」へと再編された。
島根県では2002年、松江市では2001年、それぞれ「特殊教育室」を「特別支援教育室」へと組織名称の変更を行っている。
そのほかにも例を挙げれば、新たに提起された「特別支援教育コーディネーター」も、ごく短時日の間にすでに各学校に配置済みといった状況がみてとれる。
障害児にかかわるさまざまな問題を、まさに権利の総合的・統一的保障の観点からコーディネートする教員の配置は当然必要ではある。
しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。
特別支援教育のハイスピード化にある
全体主義の復活を思わせる恐怖
全体主義の復活を思わせる恐怖
さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。
このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。