2011年5月15日日曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏の研究への「哀傷歌」はどこで唄われる

 窪島氏は、滋賀大キッズカレッジ&地域教育支援センター、発達障害教育研究所、発達障害教育研究所紀要編集長などなど手を広げて、子どもたちの親には、LD学校をつくる、と言っている。

 だが、これは子どもたちの親に期待を持たせるだけで、彼の年齢や発達障害教育研究所のメンバーの年齢等を考えても長期に維持できるものではない事は明らかだろう。

 期待を持たせて
      後は知らない

 期待を持たせて、後は知らない、では済まされないだろうし、構成員たちも同じように言われとても否定できるだろうか。
 
なぜ同じ大学の教師
 他の研究者
 研究所と手を結べない

 このことに対して、次のような意見がある。

1,なぜ、滋賀県には人間発達研究所が窪島氏の恩師の血の滲むような取り組みの中で、維持されてきたのにそこと連携がとれないのか。
 同じ学部で同様の研究をしている教授は、人間発達研究所と一緒に取り組んでいるのに、別の研究所をなぜつくる必要があるのか。
 そこには、自分の分野が他と違いという意識が強く作用しているのではないか。

「権威」だけの
   空虚な「研究所」

 研究所というイメージは、人には専門的で条件の整った印象を与えるがそうではないらしい。
  発達障害教育研究所という仰々しい名前を付けて「権威」づけているが、一般的に思われる研究所ではなく「研究会」のようなものであるらしい。
 場所も機能も不明で、名前だけが専攻しているのではないか。
などの意見がある。

教職員組合が出す
研究誌は「研究実績」にならない
     とする非国際感覚

2、窪島氏は、京都教職員組合(以下京教組)障害児教育部が発行していた研究誌「障害者教育科学」を、京教組障害児教育部の役員交代で創設者が現場であくせくしている最中に、窪島氏が、イニシアチブをとりかもがわ出版とはなしをつけて、かもがわ出版から発行するようにした。
 かもがわ出版は、障害者教育科学が全国に広がり、発行部数も多いことから利潤を考え快諾した。
 そして障害者教育科学の編集責任者に窪島氏がなった。

教職員組合が出す
研究機関誌では
 研究者の実績にならないと

 そのことをあとで知った京教組障害児教育部の創設者たちが、

 「教職員組合は、国際的にも教育団体として教育政策などに意見を言える権利を持っている。だが、私たちの力量はまだまだ充分でなかった。自分たちが研究し、自らの力量を相互に切磋琢磨すること。また組合i以外の教師や人々の意見や研究を発表する場を研究誌として保障してきた。」
 「何のコンタクトもとらず、経過も知らない京教組障害児教育部役員を言いくるめて、出版社から
出すのはおかしい。」
 「障害者教育科学発行までに京教組障害児教育部の仲間が、本を売り歩いたり、資金を集めて、障害者教育科学を発行してきたことは充分知っているではないか。それがなければ、障害者教育科学は発行できなかった。発行できる資金が出来たら出版社に譲り渡す。これでは、努力して創り上げてきた教師への信義に反する。」
 「研究者としては、教職員組合が研究誌を発行していることを評価し、激励するのが本来だろう。それを自分のイニシアチブがとれるからと出版社に持ち込むことは道義的反する行為だ。」

と言う意見に対して窪島氏は、

「そんなのは、君たちの問題だ。」
「教職員組合が出す研究機関誌では、研究者が書いても研究誌に投稿したという実績とならな
い。」

と言い、激しい言い争いになったことは伝承さられている。
 その後、窪島氏は既成事実を盾にあらためることはなく、彼の文章や「論文」が、障害者教育科学に掲載された実績として各種学会誌に紹介するようになった。

研究誌「障害者教育科学」
    が赤字となると

 ところが、そこまでした研究誌「障害者教育科学」が出版社として、維持できなくなる頃に「発達障害教育研究誌」なるものを「暗示」し、自ら発達障害教育研究所紀要編集長と公表をするようになっている。

自分のためなら
 何でもするという批判が

 自分のためならどんなことでもするという批判が、京教組障害児教育部が発行した研究誌「障害者教育科学」の創設者たちから出ている。

 研究誌「障害者教育科学」は、創刊号(1981年)から第37号(1998年)まで、京教組障害児教育部が発行。
 2010年1月の60号休刊まで、かもがわ出版・クリエイツかもがわが出版されていた。
 1998年に窪島氏が言い出したことを時系列に見ると、かれの本心が見えて来るから不思議だ。

LD学校を
 つくるわけはどこに

3、LD学校をつくることを保護者に言っている事から考えても、では、なぜ、彼はLDの「特別な学校をつくる必要性と構想を持っている」のか。
 それならば、普通学校の先生と親を離反させることを必要以上に「煽り立てる」のか理解できな
 い。
 考えられるのは、大学を退職後の就職を考えているからだという意見もあるが。

 参考までに京教組障害児教育部発行の研究誌「障害者教育科学」に彼が書いた文章を二例だけ掲載しておく。

障害者科学
創刊号(1981年)
 論文 「共生・共育」論=障害児教育解体論の本質をあばく
     ─篠原睦治和光大学助教授批判─ 
  第3号(1981年)
 論文 福井達雨氏(止揚学園理事長)の虚像と実像
   ─この唯我独尊的・反民主主義行動と思想の批判─