発達障害や学習障害の概念規定は 成り立たない
窪島氏に文部科学省の打ち出してきた「発達障害」の概念に、「極めて不正確ところがあり、教育をすすめる教師としてはこのような規定の仕方では混乱が生じる。」という意見を出した教師に「そんなことはない。文部科学省の概念規定は極めて正確で、LDやADHDの区分は明確である。」と述べた。
ことは、すでに掲載してきた。
文部科学省等の通知 などなどを読みこなせない
窪島氏とのやり取りをした教師は、「窪島氏は、文部科学省等の通知などなどの文章を読みこなせていないのではないか。」という感想を漏らした。
このようなことを書くと大学教授に失礼だ、と思われる方々がいるかもしれない。
しかし、文部科学省などの国の文章は、一種独特の表現があり、西氏も指摘しているように「熟読」しないとその概要やねらいは把握できない。
書かれていることをそのまま受けとめてしまうと、教育現場に大きな混乱を起こす。
最初から崩ていた 「総合的な学習の時間」
例えば、2000年(平成12年)から「総合的な学習の時間」が出されてきた時もそうである。
文部科学省の各種文章や解説本を読むと「評価なき評価」「総合的に自由な授業の編成」などなども読めた。
この「総合的な学習の時間」について、高く評価する教師や研究者も多かった。だが、ベテラン教師の中からは、「必須クラブの時間と同じですぐ崩れるだろう。」との意見が出された。
問題は、学校現場で「総合的な学習の時間」をとりいれた教育課程編成をすすめると、多くの点で問題が生じ、アンバランスが生じた。
なぜなら、他の教科では評価が雁字搦めに決められているのに「総合的な学習の時間」だけが、評価なき評価にすることは、教育課程の系統性から考えてももともと無理なことであったからである。
当時の文部科学省の文章を熟読すると、文部科学省内部で「総合的な学習の時間」の創設を否定していることが推定できた。
ベテラン教師は 文部科学省の次を読みとる
そのことを見越した学校では、2000年(平成12年)から段階的にはじめられる「総合的な学習の時間」がいつでも手直しできるような教育課程編成を行った。
現在は、「総合的な学習の時間」が当初の意図とはまったく異なって、事実上の教科教育となっているとことがほとんどとなっている。
これはほんの一例であるが、文部科学省の通達・指示などなどの文章は通常の読み方では、混乱が生じることは文部科学省の文章を熟読している教師としては、常識事項であるとも言える。
さらに、府県教育委員会や各種伝達講習を聞くとかえって混乱と誤解を招くから、文部科学省の文章を直接読んだほうがポイントをつかめるとするベテラン教師は少なくない。
窪島氏とのやり取りをした教師は、こららのことを承知した上で、窪島氏に質問・意見をしたのである。
混乱をまねいた 特別支援教育課の「訂正」
例えば、西氏も、「奇異な印象」と述べているが「発達障害」の用語の使用についての平成19年3月15日 文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の文章を、窪島氏らの「SKC発達障害教育研究所」で、無評価で「学習障害とは?学習障害の概念 文科省の定義」を掲載しているのは、窪島氏が、文部科学省の定義を肯定している現れである。
だが、特別支援教育課の文章の一行目を読んだだけで、文部科学省の問題点がわかることを窪島氏は読め込めない。
すなわち、
今般、当課においては、これまでの「LD、ADHD、高機能自閉症等」との表記について、国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から、下記のとおり整理した上で、発達障害者支援法の定義による「発達障害」との表記に換えることとしましたのでお知らせします。
と書かれている。
この意味は、文部科学省が「LD、ADHD、高機能自閉症等」と「等」の表記について、「混乱を招くようなこと」をしていたことを認めた文章なのである。
文部科学省は、「総合的な学習の時間」の創設については、文部科学省内部でその誤りを認め、その担当者を「更迭」しているにも関わらずそれを表に出していないことからでも解るように、文部科学省は「国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由」を口実に文部科学省が「混乱を招くようなこと」をしていたことを「改めて」いるのである。
発達障害や学習障害の 概念規定は成り立たない
それらのことも承知していると考えられるが、群馬大学教育学部久田信行氏は、キッパリと
発達障害や学習障害の概念規定は成り立たない
として、研究した結果を公表し、学会でも報告している。