教育実践と言いながら、窪島氏の文章には、子どもたちとの生き生きとした具体的な取り組みは書かれていない。
注意して読むと、少しばかりの具体的例は、「滋賀大キッズカレッジでは、」と書かれていることから、彼が実践して得た教訓でないことが窺える。なぜ、彼は自分自身が実践した事を書けないのだろうか。他の人が実践した事を例に挙げるのだろうか。大いなる疑問がある。
「立命館大学研究シリーズ ヒューマンサービスリサーチ」
「読み書き障害の新しい概念と滋賀大キッズカレッジの教育的指導─発達主体の定位と「障害」の位置づけを中心に─」(2008年6月)で、
窪島氏は次のように述べている。
雪という字を書いてもらうと、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」
(4年男)として、頑張っても失敗してしまう、一生懸命直そうとして、先ほどの例のように、
「ここ『ヨ』やな」
と言いながら1本多くなってしまうというふうなエラー、間違いが起きてくるところです。
それは、その子ども自身が主体的にその自分の弱さ、記憶の悪さなどに対応しようとして、必死になって機械的な記憶にたよっている姿です。
そのことによってLD症状が強化されてしまうのです。
LD指導がLDをつくるということが英語圏では時々いわれますが、そういうことが起きている可能性があるということを理解しておくことが重要です。
問いかけて やらして 何もしない
この文面はさらっと流してしまいがちであるが、「雪をかいてもらおうとした」という文章が、前文にある。
すなわち、
「雪をかいて」
と言ったのは窪島氏であると読み取れる。(彼は誰かの話を又聞きして述べている可能性もあるが。)
と「LDの子ども」は、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」
と言って書いた。
するとその子は、
「ここ『ヨ』やな」
と言いながら1本多くなってしまった。
それを窪島氏は、「エラー、間違い」が起きて、としてLDの子どものことを書いている。
だが、たのんだ人間が、
「“ゆき”知ってる。“雨”に“ヨ”やろ」「ここ『ヨ』やな」
とたのまれたことに応えた子どもが「「エラー、間違い」と断定する前にすべきことがある。
子どもとコミュニケーションしないで憶測
その子どもどのような話をしたのかである。
が、そのことはまったく書かれていない。コミュニケーションしていないようである。
その子自身が書いた文字に対して、その子自身がどのように「認識」(「認知)しているのか確かめようとしないで、窪島氏は断定している。
「ありがとう」
「書けたね」か「その字はどう、思っているとおりに書けた?」などなどその子と話して、その子は「ヨと書いた」と言い切っているのか。
「ヨが書けてないのかな」「これ間違っている?」と言ったのか、などなど。
状況と子どもの様子によるが、子どもとのコミュニケーションを通して知ろうとしないで、
「その子ども自身が主体的にその自分の弱さ、記憶の悪さなどに対応しようとして、必死になって機械的な記憶にたよっている姿」
と断定する。
子どもとコミュニケーションしないで、断定するのは、問いかけた人に、子どもが「必死になつて応えている」ことに対して大変失礼な行為であり、非教育的ではないか。ここには、教育者としての姿は見られない。
子どもの問いかけは たんなる資料づくりのため
子どものための研究はドコニ見られるの
むしろこの子は、こうなんだという先入観の元にわざわざ書かせて、自分たちの書きの「エラー、間違い」の資料づくり(写真に撮り、発表するための)のために問いかけたにすぎないと言われても否定できない記述である。
問いかけられたことに素直の応じた子どもが、書いた結果に何も言いわれないことは、子どもに不安感を抱かせる、という教育上の配慮がここにはない。
窪島氏の言う「不安感」や「安心感」は通常考えられるものではなく、彼の思考回路にあるらしい。
さらに、「問い」に対して「応じた」子どもに対して「何も言わない」し、なんのアクションも起こさないとなられば、窪島氏は、子どもたちを実験の対象としてしか見ていないことになる。
この非情な報告は、
行間を読みとらないと浮き上がってこない。でも、そう読める。
だから窪島氏は、子どもたちに対する指導によって子どもたちが何を獲得できるように取り組んでいるのかという目標がまったくなく、窪島氏らを信じて、頼って、たどり着いた親や子どもたちにだだ期待を持たすだけ。
文字を知ることで、喜びとなる生き生きとした子どもの姿を、窪島氏は捉えようとしないと考えられるのである。
LD、ADHD、PDDなど複合する障害を避ける
さらに彼は、
最初に発達障害と読み書き障害の関係について見ておきます。
LD(学習障害)は単独で成立するということももちろんあるわけですが、実はADHD、PDDあるいは発達性の協調運動障害などと併存する傾向があります。
これらは学習障害をあわせもつ可能性が非常に高いといえます。
その併存の可能性は3割から8割といわれています。
確定的ではないのですが、いずれにしても重なる場合が非常に多いといわれています。
重なった場合、それぞれの発達障害にとっても、あるいは学習(読み書き)障害にとっても、大きな困難がでてきます。
としながら、「LD(学習障害)は単独で成立するということももちろんあるわけですが、実はADHD、PDDあるいは発達性の協調運動障害などと併存する傾向」に対することは、ふれようともしないのである。
「重なった場合、それぞれの発達障害にとっても、あるいは学習(読み書き)障害にとっても、大きな困難がでて」くるから、彼はそれを回避して、細分化したある限られた部分について「少しのべ」それをあたかも全体であるかのように述べている。
4年後に肯定から否定に転化する学校で出来ない主張
さらに窪島氏は、
私たちのところでは、現在30数人の子どもたちに対して1対1で、月数回の指導をしております。
学校では、このようにはできません。
学校に対しては、私たちのところと同じやり方でやれるとは考えていません。
学校には学校独自の対応の仕方があります。
例えば、視覚的な刺激が混乱を巻き起こしてしまうような子どもたちの場合には、耳で聞いてあげれば十分理解ができます。
先生の話していることが十分理解ができる子どもの場合には、字は見なくてもよい、書かなくてもよい、ノートをとらなくてもよい、先生の話に耳で集中して理解をすることに集中させる、このことを重視します。
このような対応をしてもらっている子どもが何人かいます。
しかし、それだけでは十分ではありませんが、少なくとも子どもがしんどい思いをしなくてすむ、学習理解においてもそれなりの理解がすすむ状況をつくりだす必要があります。
と述べている。
ところが、4年後には、すでに「少人数学級は生徒・教師を息苦しくさせるか 滋賀大学教育学部窪島務氏への疑問(9)」で述べた「日本教育学会誌『教育学研究第69巻第4号』(2002年12月季刊)の「LD・読み書き障害の発達的理解・アセスメント及び指導法の探求」では、
少人数学級はこれまでの日本の学校の教育観と矛盾を呈することになる可能性さえ有している。
旧態依然とした関係で子どもに臨むならば,子どもだけでなく教師もともに一層息苦しくなるであろう。
少人数学級への懸念として,学級集団と学習集団がことなることを理由にその教育的意味に疑問が呈されることがある。
6歳の子どもの有する柔軟性は学級集団と学習集団を交代する程度の変化には十分対応可能である。
根本的問題は,その際の指導のあり方や日常の学習指導における子どもとの関係の取り方にある。
「現在30数人の子どもたちに対して1対1で、月数回の指導をしております。学校では、このようにはできません。学校に対しては、私たちのところと同じやり方でやれるとは考えていません。学校には学校独自の対応の仕方があります。」を否定して、「根本的問題は、その際の指導のあり方や日常の学習指導における子どもとの関係の取り方」と根拠も研究的もしないで断じているのである。
ヴィゴッキーの
「すべてを同じ尺度で計ることは、教育学の最大の誤解である」を意図的に外す
彼は、「ヴィゴッキー心理学論集」の
教育者には二つの課題が立てられる。
第一に、すべての生徒について、すべての特質の個別的研究をおこなうこと、
第二に、それぞれの生徒に対するすべての教育方法および社会的環境の影響の個別的適用を
はかることである。
を思考しながら書いていることが充分予測できるが、窪島務氏は、次の部分が理解できないでいる。
すなわち
すべてを同じ尺度で計ることは、教育学の最大の誤解である。
教育学の基本的前提として個別化の要求 ー すなわち、すべての生徒に対し個別的目的を意識的に正確に定義することである。
失わた高等教育は真理の追究の過程に触れる
窪島氏には、
「真理の追究こそが近現代の大学の目的である。高等教育は、真理の追究の過程に触れることによって成り立つ。
そして真理の追究のひとつに、社会の病理を研究し、虚偽を批判する仕事がある。これは近現代の大学が持つ最も重要な機能である。政治や経済や教育が、時の政治権力によって誤った一方向に流れるとき、その歪みを映す鏡の役割が大学に求められている。」
という高等教育の原則は存在していない。
学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?
学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?
A大学教育学部教授は、次のようなことを公表している。
1960年代から70年代の京都の障害児教育について聞き取りをしている。
その中で、興味深い話や資料を聞かせていただいたり、見せていただいている。
○ Mさんは、知恵おくれのS君の将来の道すじを求めて、いろんな集会にさんかしてきました。
数年まえ、ある集会に参加したMさんは、助言者である某先生の「過保護・溺愛」ということばに、思わず発言しました。
「私は、こんなおおぜいの人の前で、何もよう言いませんが、このことだけは言わしてください。先生は『過保護・過保護』とがんばりますけど、私は好きで過保護しているとちがいます。
『獅子は千尋の谷に我が子を落とす』
といいます。
私かて、あの子をそうして鍛えたいと思います。
そやけど、あの子を突き落としたら死んでしまいますがな。
今の日本では、だれも、政府も、それを受けてとめてくれません。
下に網でも張って受けとめてくれる世の中やったら、私かてあの子を突き落としても心配はしません。」このMさんの発言を会場はじっとかみしめました。
○ S君はまもなく18才。
今まで学校へも入れてもらえず、W学園もまもなく退所しなければならなくなりました。
Mさんも養護学校づくりや授産所づくりの運動に参加してきましたが、いよいよ与謝の海養護学校の開設も近づき、S君が初めてはいれる学校になりそうだと、息子さんに話しました。
「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」
と希望に燃えたS君は、“学校にはいれる”ときいたことから、字の練習に一生懸命になりました。
そしてまた、
「働いて、お金ためて、大好きなH先生にプレゼントをしたいんや」
と、かあさんに相談をもちかけました。
「ステレオあげるんやったらそんなお金貯めるまでに、先生は70すぎになってしまうで」
「そうか、そんなら先生死んでしもてるかもしらんな、そしたら先生のお墓にかざって、それから学園へ寄附するわ」
S君はH先生に同じ話をもちかけました。
「かあちゃん、先生なア、ぼくがステレオお墓にかざったら、『先生のお墓、ガタガタゆれて喜ぶわ』言わはった。」と。
このS君の豊かな発達を、いっそう保障するためにと、Mさんの確信と決意は強まっていきました。
40年以上前の教訓はどこに
今から40年以上前の話。
「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」と希望に燃えた18歳のS君が、「学校にはいれる」ときいたことから、字の練習に一生懸命になりった。
字が書ける喜び、学ぶ喜び。
18歳は、児童福祉施設の収容期限。
もう終わり。行くところがない。
この時に入学。
この学校が京都府立与謝の海養護学校だった。
18歳の入学おめでとう
窪島氏は、与謝の海養護学校をよくよく知っていいる。
でも、その教育内容を理解していない。
ましてや、18歳になって、字を覚えようとする気持ちと努力を自らの教育学に教訓化していないことが明白になった。
窪島務氏に捧げる
最後に次の一文を窪島務氏に捧げる。
学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。
然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。
緒方洪庵抄訳扶氏医戒より