2011年6月26日日曜日

ダメだ  患者になるのを待つだけ と言わせる中味の労働安全衛生法では


              山城貞治(みなさんへの通信17)

HOSOKAWA ADVICE 
現場に対応できない法体系 
                            細川汀 京都市立衛生研究所(当時)
(1971年6月8日制定から10年が経過した 光と影が語るもの) 労働安全衛生法10周年特集 

     1982年10月 労働安全衛生広報1号 より転載

けいわん・振動病の対応は早かったが
  労働負担の改善は後退する

 その次には、当時激増しつつあったチェンストアのチェッカーのけい肩腕障害対策と、民間林業の振動病対策とが、筆者が直接関係しただけに特に思い出深い。
 前者については、労働組合や学会の提起に対する労働者の対応は、法制度(注:労働安全衛生法)後非常に早く、73年には作業管理通達の決定・指導・点検行われ、事業体の労働条件(人員・休憩・健康診断など)もかなり改善され、タッチ力の軽い金銭登録機が使用され、その結果患者発生数も減少した。
 しかし、女子作業者の勤続年数が平均2~4年と短く、パートやアルバイト作業者が大半を占め、患者補償も労災保険によらず企業内で止めるという企業体質を変えることは行われなかった。
 そのために、実際の患者発生数が把握追求されないままに、あたかも職業病問題が解決されたように関係者が判断してしまい、作業者の労働負担改善の努力は止まり、逆に最近は通達水準より後退した動きさえ見られる。

振動病対策は改善されたが
      放置された小零細企業

 また民間林業の振動病についても、それまで緩やかだった労働者の対応が、法制定後全国実態調査(73年)、健康診断(73年)、機械改良(75年)、作業管理(75年)、認定基準(75年)、治療(76年)、衛生教育(77年)通達などにみられるように体系的に行われた。
 これによって全国的にこの問題の大きさと深刻さが正しく認識されるようになった。

 しかし、山林労働、特に小零細企業における衛生管理体制は、チェンソーによる伐木作業以外に生活し難いために予防や社会復帰が進まない状況、過疎化も重なって職業病医の不足、などの基本的な点を改めていないため、患者発生は現在も食い止めることができていない。

お粗末な労働安全衛生法10年の「総括」

 振動病防止のために法・規制を作れという学会などの意見に対し、労働省は81年総合対策推進通達を出してそれに代わるものと答えたが、その内容は振動工具種類や事業場の把握内容を限定し、健診や認定の遅れている府県を点検せず、
専ら
「関係者の理解と協力」、
「意識の高揚」、
実効のあがらなかった「作業管理の適正化の指導を」うたっているのみで、
安衛法(注:労働安全衛生法の略称)10年の総括としてはお粗末としか言いようがない。

労災給付「赤字」を宣伝し
  労働者を追い詰める労働省

 また、補償については、補償課「林業関係の労災保険収支の実状と問題点」(80年)が、林業関係の労災赤字が全体の赤字の30%を超え、このままで行けば昭和60(1985)年には1億円に達するために給付の制限、ことに取り組みの進んでいる府県を「特定地域」とし、療養患者数の減少を主張したことを受けて、「総合対策」は全体補償の削減、認定業務の要件増加などを示している。
 このことが本当に患者発生の予防や治療、職場復帰に有効であろうか。
 労災赤字による保険料の増大をおそれて事業者はますます消極的になり、雇用や生活の不安から労働者はますます病気をかくす傾向を強めている。

  現在もチェンソーを1日4~6時間使用する労働者も多く、予防対策が遅々として進まないために

「むしろ患者になるのを待つだけ」

という声さえあるという。
 このような状態が(注:労働安全衛生法に基づく)取り組み後10年経過した今日では解決していないことは、安衛法の

「快適な作業環境の実現と労働条件の改善」(第3条)

障害障害防止措置(第22条)

「作業環境の測定」(第65条)

「作業時間の制限」(第69条)

などの項目において、振動病防止のための具体的規定を行わなかったし、今も行おうとしていないことと無関係ではないだろう。
                           ( つづく )

労働安全衛生法(安衛法)の条文は、1982年当時の条文です。