2011年6月26日日曜日
労働安全衛生法(安衛法)制定10年目の事実
山城貞治( みなさんへの通信 16 )
「労働安全衛生とは、 労働者が労働(仕事)をすることで、ケガや病気や死ぬことなどがないようにするすべてのことをいう。
労働者を働かせている側や労働の場を提供している側には、労働者が安全で健康で快適な労働が出来るようあらゆる対策を行わなければならない。
また労働者が労働をすることで、ケガや病気や死ぬなどのことがあった場合は、すべての責任をとらなければならない。
そして、すべての労働者がいきいきと健康で文化的な生活が出来るようにしなければならない。
このことが労働安全衛生ということが出来ます。」
と言う府高労働安全衛生対策委員会の考えに対して、細川汀先生から、賛同とともに次の文章が送られてきた。
長文なので、分割して掲載させていただく。
HOSOKAWA ADVICE
現場に対応できない法体系
細川汀 京都市立衛生研究所(当時)
(1971年6月8日制定から 労働安全衛生法10周年特集 )
1982年10月 労働安全衛生広報1号 より転載
10年前の思い出が 今でも現実に
安衛法(注:労働安全衛生法の略称)の制定前後には思い出が多い。
その中でも、73年1月発生し91人が重軽傷を負った、東亜ペイト此花工場の爆発現場の生々しい状況が10年経過した今も鮮烈である。
十分指摘できなかったのは水準が
低かったのかもしれない
と労働省衛生部長が言ったが
この時、労働省衛生部長は現場に来て、
「安衛法(注:労働安全衛生法の略)制定早々の大事故で残念だ。
監督官が点検していたのに十分指摘できなかったのは水準が低かったのかもしれない」
と語っている。
翌年、出光石油、住友化学、大阪石油化学など全国で16件の化学工場の爆発災害が相次いだ。
国の対策の効果のなさを示した
ダイセル堺工場の大爆発
その後、国は事業所の自主活動を中心とした安衛法に則して、コソビナート災害防止通達(72年)、化学工場監督指導通達(74年)、化学プラントにかかわるセーフティー・アセスメント通達(76年)などの対策を行ってきた。
その効果が果たして上がったのか、その具体的な回答が、今年8月21日に発生したダイセル堺工場の大爆発であったと言えよう。
この工場では、8月20日の未明、合成樹脂製造プラントの脱臭装置に通じる配管が、3ヶ所破裂、アクリロニトリルとスチレンの混合液が入ったまま重合反応中であった二缶のかくはん機が停止し、ガスが発生した。
危険があるのに生産を続けた結果 大爆発
しかし、会社は
「原料を抜き取り(そのための地下タンクがあった)、水で、薄め安定させつつつ重合禁止剤を投入する」
かわりに、
「通常10時間で終わる反応を(缶に水を注いで)落とし、15時間で反応させる方法」
を採った。
このため反応がまに固形物ができ、かくはん機が停止したが、なお生産を続けた。
その結果、
翌21日の午後5時半反応がまが爆発し、死者6人、重傷者6人、軽傷者は住民を含めて162人、工場の周囲半径1キロの範囲で住宅半壊11戸、部分壊75戸を含め被害は4000戸を超え、工場の85%が破壊された。
死者・負傷者・破壊が実証した
労働安全衛生法(安衛法)の形がい化
災害防止の効力のないこと
今年の化学工場の爆発は、新聞報道だけで鹿島コンビナート鹿島石油(4人死亡、4人負傷)水島エチレン倉敷(1人死亡)、知多石油名古屋(1人死亡)川鉄化学千葉(8人負傷)など発生している。
このダイセルの事故で特徴的なことは、小爆発初生前後に会社が化学的知識に浅い消防本部との対応に終わっていることであり、その後の原因究明や責任追及を含めて新聞には労働省、労基局一つの行動、一つの談話さえ今のところ報道されていないことである。
現実には、何らの対応もないと思いたくないが、社会的にはまったく無視されていることは、安衛法の形がい化、あるいは災害防止の歯止めとしての効力がなかったことを実証するものと言える。
( つづく )