2011年6月8日水曜日

京都府立高等学校教職員組合(京都府高)の労働安全衛生の取り組み



 「教育と労働安全衛生と福祉の事実」に山城貞治さんから、京都府立高等学校教職員組合(略称京都府高というらしいです。)が労働安全衛生に取り組んだこと。その当時公表できなかったことを知っていただいて、教育と労働安全衛生を考える糧にしていただきたいという連絡をいただいた。
 検討した結果、山城貞治さんの名前を記載して書いていただくことになった。

                    山城貞治( みなさんへの通信 1 )

 京都府立高等学校教職員組合(略称京都府高)労働安全衛生対策委員会の機関紙「教職員のためのいのちと健康と労働2000年4月)に労働安全衛生研究者の細川汀先生が書かれたことから、まずお読みください。
    
内藤先生の過労死京都地裁判決を読んで     細川汀

 1998年度に精神性疾患が原因で休職した公立学校の教師は1707人で、過去最も多かった。

職員諸兄、学校がもう砂漠のなかに果てますぞ

 今年の日教組の研究集会でも多忙な教員生活でうつ状態におちいり、昨年10月から3ヵ月の病休をとった女性教師(44才)の体験が報告された。
 中学3年担任だった彼女はストレスで6月ごろから生理が止まった。
くすりでごまかしながら学校を続けたものの、9月には生活指導や体育祭の準備が重なり、うつ状態におちいった。
 「やらなければいけない」という気持ちばかり先走り、同じ時間でも一割か二割程度しか仕事がこなせなかったが、それでも生徒との信頼や保護者からの批判を思い、他の先生へのしわよせを考えると休みにくかった。
 そのことから、彼女は病休者の代替制度や悩みを話せる職場づくりがなければ、自分の身体を守りよい教育を続けることはできなかったと訴えた(毎日新聞1/31)。
 こういう事例はいまどこでも起こっているし、また起こっても不思議ではない。
 宮沢賢治がうたった「職員諸兄、学校がもう砂漠のなかに果てますぞ」(『氷室の冗談」の一節)そのまま。
 学校にかってあったゆとりや、うるおいが失われているのである。

17の校務分掌・育友会の庶務やスポーツ教室

 1989年2月過労の末自宅で心不全を起こして死亡された内藤先生(当時39才)の場合、2年生の学級担任のほか、教務・同和教育・体育・学校行事・調査統計の主任など、合計17公務を担当していた。そのうえ育友会の庶務やスポーツ教室のサッカーの指導もしていた。
 学校や地域の行事が多く、そのつど計画、役割分担、意見調整のしごとの責任がかかってきたし、校内資料作成の複雑なしごともあった。経験の乏しい若い先生が多く、彼らへの指導や助言もかなり負担になった。
 とくに行事の多い秋から年度末にかけては、自宅に仕事を持ち帰って連日数時間机に向かっていたと家族は証言している。
 88年度は、この学校が自主研究の発表校だったので、さらに責任が重なった。

叱咤激励するだけの校長の下で

 しかし、小規模校のせいや若い先生の多いこともあって職場での支援が少なく校長は「虎穴に入らずんば虎児をえず」などと叱咤激励するばかりだった。

壁にもたれて「ああしんど」は生命の危機

 内藤先生はカゼを引いても休むわけに行かない、胃腸がわるくても医師にかかれない。無理をして出勤しているうちに、職員室の壁にもたれて「ああしんど」というようになっていた。
 この状態は疲憊(ひはい)と呼ばれ、生命の危機・破綻(たん)のSOSと考えれれているが、学校長はその信号を正しく受けとめなかった。
 彼は教員の安全と健康保持の義務という法的・社会的・教育的責任を放棄していたと言えよう。
 去る1月28目の京都地裁判決が、「多忙な職務による疲労・ストレスが原因である」と明快に判断したのは当然である。 (以下「判決」)

京都府公務災害支払基金(支払基金)は
どこの学校と比べても変りがない、と

 誰が見ても明白なこの事実が10年もかかって裁定されて、しかもまだ京都府基金は認めようとしないのか。
 一貫して内藤先生の死を公務外とする基金側の主張の理由というものの中味は次の通りであった。

(1)とくに帰宅時間がおそいわけでもなく、睡眠時間も短くない。死亡直前にもそれほど異常な出来事はなかった。
(2)職務はどこの学校と比べても変りがなく、小さい学校では17校務はふつうである。
(3)ベテランの先生なら、このくらいのしごとはらくに行える。
(4)持ちかえりの仕事は、本人が勝手にやっていることであり、校長では何時間しているか分らない。
(5)「ああしんど」というのは、本人の口ぐせである。もし疲れていたとしても、それは父親の病気や子どもの世話であろう。
(6)本人の死は過労による心臓死ではなく、ポックリ病である。
 基金の公災認定についての姿勢は、きわめて硬直・機械的である。

働く人たちの声
健康や生活の訴えなど
事実調査・検討もしない

 彼らは職場の状況、仕事の実態、そこで働く人たちの声、健康や生活についての訴えなど、事実にあたって調査をしたり検討したりしない。
 その分野での専門家・研究者の業績にも学ぼうとしない。
 認定の仕組みの非民主的なこととあいまって、認定作業の中で労働組合・支援者・同僚・主治医の意見もまともに聞こうとしない。
 そのうえ、国際的水準はもちろん、わが国の労(公)災法や夫々の認定基準についての理解も歪曲されていることが多い。このために、被災労働者(家族)は民間に比べても著しく不当な裁定を受けてきた。

起こるはずがないと決めつける

 たとえば、保育所保母の頸肩腕障害の認定について基金は一貫してその発生を否定してきた。
 そういうものは起こるはずがないと言うのである。
 そして、政府が認めた設置基準以下でないからとか、認定基準に職種明記がされていないからとか、という理由をあげた。
 裁判でもこれらのほか、本人の出産や家庭、体質や老化、他の疾病(異常)の存在、などをあげて業務外と主張した。
 政府が保育の仕事で発症することを認め、認定基準を改正した後の裁判でも、基金はまだその崩壊した「理論」をくりかえしている。
 教師の過労死についても、基金は教師に過労死が起こるはずがない、という姿勢を取り続けた。
 これまでの多くの認定や裁判での基金側の主張はすべて

①帰る時刻が毎晩定時より3~4時間遅くなければ過重とは言えない。持ちかえり仕事や家庭訪間の時間は校長の管理下でないから、どこまで仕事なのか分からない。

②職務分掌は学校規模によって異なるが、15~20ぐらいあるのが普通である。主任の数がいくらまでが妥当かはいちがいに言えない。

③学校の先生であれば、運動会・文化祭のような行事、体育競技や合宿、遠足や修学旅行など、研究発表や未経験者にたいする指導など、楽にこなすのが普通である。

④先生である以上、教育上の責任から少々の疲労蓄積やからだの不調ぐらいで早退や欠勤をされては困る。夏休みや春休みがあるから権利として認められている諸休日も勝手に取らないでほしい。

⑤先生である以上、学校内はもちろん、学校外で問題、たとえば交通事故など起こしてこういうことによるストレスや疲労は本人の責任である。

というものであった。
 このように、教師に課せられた責任は過大であると言わざるをえない。
 最近の「授業崩壊」の原因についても、文部省の調査結果は教師の70%、家庭30%と言うものであり、育友会調査の教師10%とは大きく外れたものであった。