2011年7月7日木曜日
労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」が 教職員の健康を守る出来事が続出
山城貞治(みなさんへの通信29)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その10)
府教委は、大企業のように反応はなかったが、理解しがたい「法理」があることを知ったようで、それまでの「有無を言わせない」強制異動は、大幅に減り、健康上に課題をもつ先生への少なくない配慮がなされるようになった、と書いた。
異動に対する健康配慮がないため少なくない教職員が死亡
当時の具体的な例をあげる。
1998年3月。例年教職員にとっては卒業・入学・進級などの問題を含めて神経をすり減らす時期でもある。
さらに人事異動という問題がある、ある学校から別な学校にかわると様子が一変し、少なくない教師が戸惑いとさらなる蓄積が重なる。
府高労働安全衛生対策委員会でも現職死亡の原因等を追求する中で、異動に対する健康配慮がなかったため少なくない教職員が死亡すると言うことも解ってきた。
そんな時にTB高校全日制分会のA先生から「異動にともなういのちと健康」の問題についての投稿が寄せられた。
生死をさまよう入院中の教師
のところに来て異動させる非人間性
府高労働安全衛生対策委員会は、まずこのことに対して以下のような見解を持った。
A先生の報告によると1994年春からたびたびの留任要求(今いる学校で働くこと)しても、も管理職は「ダメ」と言うだけ。
それでは、と本人が通院可能な範囲の異動先を示したにもかかわらず、それらを無視して校長と事務部長が「異動先の書類」を入院中のA先生のところに持参するという非常識な行動が見られた。
府教委・管理職が教職員の基本的人権を無視することは際限なく、生きるか死ぬかという瀬戸際まで追いつめられた教師に一片の書類で、労働条件・労働環境が大きくかわり、さらにいのちの危機が増加される職場に転勤せよ、とするやり方は、近代民主主義国で許されてもいいのでしょうか。
明らかに、府教委や管理職はA先生の異動どころか、病人に対する人権尊重の気持が存在していなかった、としか言いようがありません。
安全配慮義務をはたしているのか
また、
学校医?(健康管理医?)がこれらの問題について労働安全衛生上のどのような指導があった
のか?
府教委や管理職は教職員への安全配慮義務をどうはたしたのか?
A先生の病状から考えて、異動先は「いのちをキッチリ守る快適職場環境」であったのか?
府教委と管理職によって、どれだけ「配慮」と「生命を守る注意」がなされたのか?
府教委は、自分たちが支配するための教職員異動だけを考えていたのではないか?
などなどさまざまな疑問が広がります。
( 労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」 投稿 )
私の健康状態と職場の実情
TB高校全日制分会 A・K
Ⅰ.最初に、私の転任直後から現在までの健康状態について略述する。
1.約15年前、SG高校での成人病検査で高脂血症と診断され、
精密検査の結果、家族性高コレステロール血症と判り、以後、現在に至るまで治療中。なお、1985年に自然気胸で入院(約1カ月)。
2.1990年、同じくSG高校での成人病検査時の精密検査で、
心筋虚血性変化と診断され、以後、上記家族性高コレステロール血症の治療と同時 に虚血性心筋症の治療を、心臓専門医のもとで受けている。
3.1994年春、体調が特に優れず、春休み期間中(3月)に心臓カテーテル検査のため入院。 このため、この年4月の人事異動では勤務校での留任を強く希望したが、受け入れられず、異動を勧告された。
最終的には、通院可能な範囲内にある北通学圏内の学校ならとの条件で異動を承諾したが、これさえも受け入れられず、入院中の病室へ学校長と事務長とが異動先の書類を持参。 それが現在の勤務校であるTB高校。全く希望の入れられなかった異動先であった。
Ⅱ.次に、このような健康状態の中での転任直後の勤務条件について述べる。
1.通勤・通院にきわめて長時間を要する(前任校の4倍)。しかも、通勤経路は国道一号線に近く、そのため大型トラックに挟まれての自家用車通勤で、ストレスはきわめて大きくならざるをえ
ない。バス通勤では、さらに長時間を要するうえ、通院を不可能にする可能性が大きい。
2.転任直後、「狭心症」との診断書を持参して現在校へ移ったが、私の職場の位置と条件は、以下のとおりである。
(1)担当の教員として私が使用する教室は、独自の教室ではなく、本来は定時制の教室であり、現在は定時制のと全日制の三者が使用している。
(2)そのうえ、この教室の位置が問題である。図を参照(略)されたいが、この教室は校舎の全日制正門からおよそバスの停留所一つぶん程離れた距離にある。
正門や職員室から第7棟までの間には、屋根はあるが壁のない渡り廊下2ヶ所をたどることになり、3階へたどりつくためには約40数段の階段を昇ることになる。
第1棟の大職員室から荷物を持ちながら行くと、約10分かかる。
登校時の毎朝の職員打ち合わせは、この大職員室で行われ、そこに私の荷物をおく場所はない。
転任直後は、心臓カテーテル検査のための鼠蹊部の内出血状態にあったため、足を引きずるようにして教室までの移動をくりかえさねばならず、内出血状態は2カ月近く続いた。
医師の診断では、この状態は上記の歩行の無理のためとのことであった。
(3)単独の「書道準備室」がないことは言うまでもない。
(4)教室横の部屋の片隅に私の席がある。ここには一年担任団の約半数の教員(4~5名)が同居。そのため教材の置き場も、教材研究のための作品を書く場所もない。
これが、1994年の転任直後の状態であった。
Ⅲ.その後、現在までの勤務のなかで感じている問題点について述べる。
1.上記(1)のとおりの教室なので、生徒たちも用具を授業の前後に用意したり、片付けたりしなければならない。
そのうえ、生徒たちは次の授業のために、この教室から校舎北部の全日制棟に移動せねばならない。このため授業前後の時間的ロスは大きい。
たとえ準備室が遅れようと、せめて授業に集中できる専用教室を全日制 棟内に設置することが早急の課題であると思う。
この点について現在まで4年間要求し続けたが、いまなお実現の見通しさえない。
2.上記(4)の室のメンバーは、1年担任団とされているため、毎年、学年を変わる度に総入れ替えとなる。私だけがこの場所から離れない。
「1年間よくマア通っていたものだ。」
「久々に来てみたら遠いですね。」
とは、担任の学年が変わって、大職員室へ行かれた同僚たちの言である。私は4年間も続けている。
年齢とともに「息切れ」もするはずである。転任直後、万歩計をつけてみると、校内だけで1日に1万歩はあった。
3.トイレが遠い。第7棟にはなんとトイレは一つもない。
またまた階段の昇り降りと渡り廊下歩きを強いられる。
若い「教育実習生」さえ「悲鳴」をあげていた。職員用トイレは第1棟1階だから、授業の合間に行けるはずがない。
最短距離のトイレ(生徒用)を使用しても、7分余りはかかる。
授業の合間は、ご存じのとおり10分。生徒たちで混んでいたらどうなる?
我慢していて膀胱炎になったこともあった。
4.焼却炉のこと。第6棟と第7棟との間に焼却炉がある。煙突の高さは、ほぼ3階と同じ。
焼却炉の使用中は、第7棟の職員室・書道教室・廊下などは窓を閉めておかないと悪臭と飛来する燃えかすで大変。冷房設備もない夏などなんと蒸し暑いことか。ちなみに、大職員室は冷房完備。
もっとも、この件は、ようやく国際的にも注意され始めたダイオキシン問題で、撤去されることに決まったようだが、私は4年間もこの「公害」にさらされてきたということになる。
ただ、喜んでばかりはいられない。書道で使った紙をどうする?生徒たちに(私も含めて)「持って帰れ」とでも言われると、これは大変である。
5.女性休養室のこと。あるにはあるが、これまた遠い。
第1棟の2階で、しかも「更衣室」というのが「正式名称」。
とうてい本来の女性休養室ではありえない。職員ロッカーに囲まれた奥に畳4枚が敷かれているだけ。
ちなみに女性教職員は、非常勤も含めて38名(1997年度現在)である。
Ⅳ.最後に現在の状況について一言。
1.こんな状況にあるため、校務分掌上で教室から最も近い担当で、担任ははずしてもらっている。
また、通院のための時間確保に少しは配慮した時間割にしてもらっている。要は、「病休」が少しは取りやすい授業時間割りになっているということ。
2.しかし、ニトロを肌身離さず持って勤務中。
家族性高コレステロール血症と狭心症との治療のために、最低、月2回、2カ所の病院に通院し治療継続中。
3.今年も人事異動期に入った。言いたいことは種々あるが、また別の機会に譲りたい。
ニュースを出す前に
A先生の要求・ねがいをすべて実現すると校長が約束
このA先生の投稿を含めた労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」の印刷中に、A先生から、校長に呼び出されて次のような話があったと電話があった。
1,異動はA先生の意向を最大限尊重する。無理な異動は絶対しない。
2,A先生の教室の場所を変更する。A先生の意見を聞かせて欲しい。必ずそれ を実現する。
3,病状を充分聞かせていただいて、通院や教科・校務分掌の配慮をする。
4,A先生の健康状況を充分理解していなかったことをおわびする。
と言うような中味だった。
労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」の投稿が広がらないうちに校長が今までの態度を全面的に変えてきたのである。
事実は事実として、労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」投稿を発行することをA先生は快諾したため印刷したものは各学校に配布した。
「教職員のいのちと健康」を分会役員よりも
早く入手する府教委・校長の不可解な動き
しかし、この前後から府教委は労働安全衛生対策委員会の動きと労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」の記事を注視するようになり、「教職員のいのちと健康、は3日以内に府教委に手に入る。」と言う府教委幹部の話が舞い込んできた。
当初は信じられなかったが、分会役員の手元に労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」が届かないうちからに、校長がそれを入手して分会役員を呼び出し、内容を確かめるを呼び出す、という不可解な事件が続いた。
労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」を発行して、8ヶ月目の出来事であった。