2011年7月13日水曜日
生徒の労災認定続出 労働基準監督官から学ぼう
山城貞治(みなさんへの通信39)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その19)
(8)公務災害を取り扱う、地方公務員災害補償基金京都府支部などの諸制度を基本的に改善させる。 と言う項目に労災補償・労災保険の事が書かれていなかった事は重大な問題であったと反省している。
公務災害と労災の範囲がおかしいと疑問を抱いて
1997年前に、労働安全衛生政策を作成したのだが、非常勤・常勤的非常勤(いろいろな名称が次から次と作られる教育現場)で、学校事務担当者や校長・事務部長などに「非常勤の教職員の労災補償はどのようになるのか。」と聞いたところ、
「すべて公務災害補償の範囲」
と答えられ、週数時間しか来ない時間講師宛の府教委のマニュアルにも、「公務災害が適用されます。」と書いてあった。
それでも、府高労働安全衛生委員は、自分の学校の管轄下にある労働基準監督署に行って
「週数時間しか来ていただいていない臨時教職員のために労災保険が適用なっているのではないですか。」
と聞いて見た。
すると
「管轄下の私学などは届けと事業場として書かれていますが、府立学校はありませんね。」
と言われたので、府立学校の臨時教職員もすべて「公務災害適用」と思い込んだ弱さがあった。
「そんなことはないでしょう」「何を言っているの」
しかし、地方公務員災害補償基金京都府支部などの適用範囲など調べるうちに週日数と一日の労働時間数によって、公務災害適用範囲にならないことが解ってきた。
府立学校の臨時教職員は、一校にで働くより数校掛け持ちで働く場合が多い。その場合、「どうなるのか」と「基金」側に詰め寄った。
しかし、彼らは「そんなことはないでしょう」と言い、「何を言っているの」「そんなことが多いから聞いているのではないか。」となってしまった。
授業で労災保険制度を教えると 続々と相談 労災認定
そんなことがあり、すでに述べてきた府高委員長と労働安全衛生委員が京都労働局に行って、調べて、府・府教委とのあいだで「予想臨時労災保険料」・「年度末報告による労災保険料の増減で決算。」と言う不合理を知った。
府高委員長と労働安全衛生委員も反省し、その改善に取り組んだが、府・府教委とのあいだで「予想臨時労災保険料」・「年度末報告による労災保険料の増減で決算。」と言うなら、労災認定請求の窓口になる労働基準監督署がそのことを知らないというのもおかしなことになる。
でも、府高としては、府高の職場には公務災害補償・労災補償の対象となる人が居る事を視野に置かなければならないということになった。
そのため府高委員長は特に退任後労災保険制度を学習し、労働安全衛生委員は生徒のバイト、パートの労災適用に取り組んだ。
ほんまや 先生の言うとうりや 労災認定された
ある高校では、授業で労災保険制度を教え、生徒に申請の仕方、認定・不認定の問題。認定後の問題を具体的に個別に取り組んだ。
するとコンビニ等で働いている生徒の十数人が労災を認定されるなどことがあった。
「先生、ほんまやな。通勤災害認められたわ。」
「交通事件保険と通勤災害補償とどちらか選べ、と言われたけど、どう違うの。」
「衛生のため手袋はめて、と言われてはめたら、手がこんなぶつぶつ変な色になった。なんでや。
これも労災になるの。」
「食材を切る機械で、腕切れたけどこれも労災?」
「バイト先のおばちゃんが、ベルトコンベアーに挟まれてレスキュー隊来て やめさせられたけど、
これ労災になるのでは。
でも、労災になったらやめさせられるの。」
「ほんまや。先生の言うとうりや。労災認定された。友達にも教えるわ。」
次から次へと相談があり、労働安全衛生委員は、その都度労災保険制度を学習したり、労働基準監督署に生徒と一緒に労災申請に行くことが増えた。
府高委員長から、公務災害ばかりだったので、労働基準監督官に来てもらい「学習会」をしようと言うことになった。
その時、京都のある労働基準官が講演してくれた。それを再録させていただく。
労働者のいのちと権利を守る最前線から労働基準監督官からみた学校現場 講演要旨
労働基準監督署は、全国に345(注:当時)ある。
京都には、上・下・南・福知山・舞鶴・丹後・園部労働基準監督署の7署がある。
世界的には「労働基準監督」とは言ないで、「労働監督」といわれている。
人として値するを生活が保障されるようにしなければ
労働基準は、憲法に基づいている。労働基準法第1条では、「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」となっている。
最低基準であるとされている。
最近の労働法制の大改悪でこのことが悪くされている。
基本的に大事なことが労働基準法第1条には書いてある。
過労死とか職業病が生まれるような労働ではなく、人として値するを生活が保障されるようにしなければならないと書かれている。
労働安全とか労働安全衛生を考える場合は、どうしても職業病の問題を考えたり労働災害の問題を考える。
しかし、その問題だけに根本的なことを目を向けているいては最低限の適用でない。
当局が認める場合は メンツがあるから
労働災害や公務災害を当局が認める場合は、労働安全衛生に問題があったというよりも、メンツがあるから認めないということが多い。
しかし、そのことに目が奪われて労働安全の問題を抜きにして、労働災害や公務災害の認定を追及していると、個人の責任やメンツの問題にすり替えられてしまう。
職業病の認定や労働災害の闘いは重要であるけれども、本来の労働安全衛生は人間らしくを働ける、そういうことだと思う。
ところが最近は人間らしく働けるということがどんどんどんどんレベル低下させられている。
なにが人間らしいか分からない、なんとか生きているをそういう状況に甘んじている傾向がある。
そういう傾向にさせられている。
その点から考えて、人間らしく生きる労働とは何かを労働安全衛生の立場から考えてみる必要があるだろうと思う。
私たち労働基準監督官は 労働警察である
私たち労働基準監督官は、司法警察の役割がある。
すなわち、労働警察である。
司法警察は、消防、営林署のある人は、司法警察の役割を持っている。
海上保安官・郵政の関係は、特殊な司法権を持っている。
それは、一般の警察では専門性がありすぎるので難しいだろうということで出来ている制度である。
特別司法警察にたいして、警察官は一般司法警察という言い方をしている。
罰則がある、というその圧力によって違反行為を防止する
通常労働基準監督官は監督という仕事をしている。行政的監督として、ILO81号条約で決められている。
ところがそれを守らなかったがどうなるんだ、ということがある。
労働基準法の中ではお互いが納得さえすればいい。
どんな悪辣な労働条件でもお互いが納得すればいい。
そのようになっている。
そんな労働条件でも履行しない使用者がいたとすると、労働基準法では、司法的な救済をするようになっている。
罰則がある、というその圧力によって違反行為を防止するして、やめさせる、それが行政的監督。
私たち労働基準監督官は、なぜこれが違反なのか、直しなさい、根本的な話を事業主に対して話をする。
事業主から「(法違反)を直さないとどうなるか」と聞かれることもある。なかなか直してもらえないこともある。
司法と行政的監督が、私たち労働基準監督官の仕事です。
ILOの監督官数配置すら 反している日本政府
ILOの各条約は、日本はほとんど批准していないが、81条約(工業及び商業における労働監督に関する条約)は、批准している。
このILO81号条約の第3条には、労働監督の制度の機能は、次のとおりとする、として、a,労働条件……b、法規を遵守する最も実効的な方法に関し……と労働監督はこういう機能をすることが労働監督である、ということを書いている。
第10条では、労働監督官の数は……と書かれている。
日本では、労働基準監督官の数が大変少ないということがありるが、ILOでは監督官の数は「任務の実効的な追考を確保するために充分なものでなければならず」と明確。 ( つづく )