2011年7月9日土曜日

手間・時間・複雑な手続きの上に まだ手続きが必要な公務災害申請 管理職も 申請方法など 具体的なことは何も知らない中で


山城貞治(みなさんへの通信32)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)

1998年12月「教職員のいのちと健康」
                                              公務災害申請顛末記(2)

『学校がよみがえる労働安全衛生』を読み直して反省

 我が職場には、府高の労働安全対策委員会の委員長が勤務しているから、聞きつけた彼が、すぐ分会役員に呼びかけ管理職に交渉したものと思う。
 学校へ帰ると、教頭が、診断の結果を聞きにきた。僕は「二日後に再診だということですが、異常は無いようです」と答え、クラスの試合がある間、そばにいて応援をしたり選手交代の指示をしていた。
 瞳孔は開いたままだから、焦点が合わず、照明灯はキラキラ光り、試合が終わるころには頭痛が激しくなった。
                                   
 府高から組合員に配られた『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)には、次のような記述がある。

「第一に、事業者は労働者が安全で健康で働くことを確保しなければなりませんから、ケガが治っていない人、病者や不健康な人を働かせてはなりません。 体調の悪い人も放置してはいけないし、母体をそこなうおそれのある人も同様です。また、ケガや病気をした人が再発しないように気をつける義務があります。
 労働者は自分の健康状態を事業者に申告し、適当な措置を行わせる権利があります。配転時や特別な責任のある仕事への配置のときの配慮は、とくに必要です。
 第二に、労働者はケガや病気の発生防止のための最低基準を事業者に守らせるだけでなく、快適な職場環境を要求する権利を有しています。」

 今になって思うと、医院に行く前にまずすべきことは、校長、または教頭に連絡し、まだ続いている危険な状態を解消するためにクラブを止めさせることと、僕が眼科医へ行くためと、その後の体制を作るために、労働安全衛生に責任を持つ管理職として対応させることであった。     

素早く動いた分会 質問状 
            府高委員長からの見舞い

 僕が怪我をした翌日(18日)は、体育祭2日目であったが、わが職場勤務の分会役員が相談のうえ、学校長に対し、分会委員会として質問状を提出した。
 本来、分会長名で出すものだが、自分のことは言いにくいだろうということで、分会委員会名とし、副分会長、書記長を中心に、役員のみんなが、学校長と話し合ってくれた。
 その質問状は以下のとおりである。
 
   茶谷茶山先生の労働災害に関する質問 
                                                  
 去る9月17日(木)、体育祭を準備していた茶谷茶山先生がボールを顔面にうけ負傷するという労働災害を受けました。そのことに関して、以下数点にわたり質問しますので、早急に文書でお答えくださるよう申し入れます。 
1 茶谷茶山先生の労働災害は、明らかに公務災害として処置されるべきものと考えますが、その点についての管理職の考えはどのようなものであるか。    
2 茶谷茶山先生の労働災害時、本人への救急措置、緊急医療のための手だておよび二次災害の予防の措置を、管理職としてどのように講じられたのか。
 また、本人が治療に専念するための校務代行などの措置を管理職としてどのように講じられたのか。   

3 今回の労働災害の原因についての認識、および今後、教職員への安全配慮についてはどのようなお考えをもっておられるのか。                                    
     
 僕としては、質問状の2の項目について、眼科医から帰ってからすすんで勤務に復帰していたのだから、傍腹痛い思いがないではなかった。
 しかし、考えてみると、薬で左目の瞳孔が開いたまま片目状態になっている者を球技をしている場で勤務させることは、引用した『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)の記述からしても、管理職の責任が問われていることになる。
 質問状の3項目を納得し、分会役員の皆さんに提出してもらうことにした。
 実は、体育祭当日もう一人怪我をした人があった。
 クラス指導をしていた担任の先生が、足の腱を痛め、通院されていた。
 その先生は、組合員ではないので、分会の質問状では触れなかったのだが、僕と同様、公務災害として処置すべきであることを口頭で伝えてもらっていた。
 当日の申し入れに加えて、分会が府高本部へ「いのちと健康緊急報告書」を事故当日に送っていたことや、質問状を提出し、学校長に素早く基本的な考えを示してきたことが、管理職の誠意ある対応を引き出していったのだと思う。
 質問状提出後に、学校長から謝罪があり、公務災害の手続きを進めるよう教頭に話していること、今後同様の事故がないようにしたいと思っていることが僕に伝えられた。
 また、「報告書」を読んだ府高委員長から見舞いの電話があった。

公務災害の申請は初めてなので、と管理職

 その後、教頭に会うと、「私も公務災害の申請は初めてなので……、今、事務で調べてもらっているので、書類はもう少し待ってほしい」という話であった。

 このことから考えても、大方の職場では、管理職に労働安全衛生の知識があって、公務災害の手続きが自動的に進めてもらえるとは、必ずしも期待できないということだろう。
 やはり、本人の意志と、職場が素早く支援体制を組むことが大切だと思う。
 結局、公務災害認定請求用紙ほか、書類の一式を受け取ったのは9月22日のことであった。
 ここで、教頭へ提出した28日までの動きを紹介しておく。
 
19日(土)
・午前中眼科医で再検査(異常なし、点眼は3日続ける)。
・ 眼科医で改めて公務災害の申請をすることを伝える。申請が認可された時点で処理をするから一応共済保険による支払いをするようにとのこと。   
・ 学校に寄り学校長に再検査の結果を伝える。
     学校長より今日の夜の勤務は振り替えるとのこと。              
20日(日) 
・ 定時制通信制総合体育大会のため仕事。
21日(月) 
・定時制通信制総合体育大会の代休
22日(火) 
・僕の話により、教頭より申請書類ほかを受け取る。この日は台風8号により臨時休校となったので、早速書類の下書きを始める。
23日(水) 祝日
24日(木)                             
25日(金) 
・ 臨時職員会議、生徒部長より「体育祭準備中の事故について」の見解表明がある。                     
26日(土) 休日                          
27日(日) 休日                          
28日(月) 
・ 公務災害認定請求書を教頭へ提出。

 以上のように、休日をはさんでいるとはいえ、提出にこぎ着けたのは事故から11日後である。
 書類を受け取った22日からの僕の行動、職場の動きを次号で紹介していきたい。

公務災害認定請求書の手続きは
  大変ややこしくて手間と時間ががかかる


 僕のように勤務時間中の公務災害の場合、申請に必要な書類は、
①「公務災害認定請求書」と添付書類として、
②「診断書」 ③「現認書又は事実証明書」 ④「現場見取り図及び被災状況図」の4つで、必要に応じて、⑤「所属長意見書」を添付するとされている。
1988年9月22日に教頭より受け取った書類は、上記の5つ全部と①~④の記載例を書いたもののコピーであった。
 「所属長意見書」や「診断書」や「現認書又は事実証明書」まで渡されたのだが、僕はいつから所属長になったのだろうかと、一瞬思った。
 それまで渡すところ、いかにも初めて対応(?)する教頭らしい。
 でも、書類の表記を読んでいないことは、間違いない。

 早速、僕は記載例のコピーを参考に書き始めたが、ここで詳しい人にアドバイスを受けておいた方がよかったと思っている。
 共済(健康保険)で支払を済ませていることなどは、教頭から伝わっていなかったことが後になってわかる。
                                   
 ともかく、僕が書くのは①「公務災害認定請求書」と②「現場見取り図及び被災状況図」の2つである。「その二」でも書いたように、書類を受け取った9月22日は台風8号により、臨時休校となった日であったので、たっぷり時間があった。
 災害発生の状況や現場見取り図や被災状況図は、まとまった時間が取れないと書けないものだ。
 僕の場合も下書きをするのに、集中して1時間は要したから、「授業の合間を積み重ねて」というようなことはとてもできない。
 被災状況図など、絵心のない僕には苦痛そのものである。自画像はどんな表情にしたらいいのかなどと考えてしまうが、考えても腕の方がついていかないので、結局針金人間で描いてしまった。
 清書して教頭に提出したのは9月28日(月)であった。
 
どうなったのだろうか
 「現認書又は事実確認書」を管理職が認めなかったら


 「『現認書又は事実確認書』は教頭先生の方でお願いします」と言ったのだが、もしこれが、管理職が認ないケースだったら、事実を証明してくれる人を自分でさがさなくてはならなかった。
 10月7日(水)の午前中(定時制では勤務時間外のことであった)に、教頭より「あと診断書をつければすべての書類がそろう」との電話があった。
 その日は、勤務するまでに予定があったので、そんな話をすると、「僕の方でもらってきましょう」と教頭が言ってくれた。
 地方公務員災害補償基金京都支部へは、その直後に認定請求書が提出されたものと思う。
 災害発生の9月17日から、ちょうど3週間後であった。
 
公務災害認定が遅い、と思うのに これは早いとは……

 12月15日(火)に「公務災害認定」の書類を教頭より受け取った。
 12月4日付けの文書で、「平成10年10月8日付けをもって認定請求のあった下記の災害については、地方公務員災害補償法の規定に基づき、審査の結果、公務上の災害と認定したので、通知します」として、氏名、発生日時、傷病名などが書かれてある。
 請求から約2か月足らずで認定された。「これは早い」との、公務災害のことをよく知っている分会の労働安全衛生担当者から聞かされたのでおどろいた。
 僕としては、忘れたころの認定で、長かったという思いがあったので、何人かに聞いたところでは、「他の事例に比べたら早い」という意見が多かった。分会・職場で原則的な対応をして、管理職も公務災害と認めて進められたからだろうか。

公務災害認定されてからの手続きも大変

 認定後にすることは、「医療補償請求書」を提出するのだが、何しろ受け取ったのが12月15日である。
 テストの採点や成績表の提出、通知表をつけて発送という学期末の仕事をどうしても優先せざるを得なかった。
 一緒にもらった地方公務員災害補償基金京都支部「公務災害 通勤災害 補償のしおり」や請求書の記載項目をゆっくり見たのは、通知表の発送をすませた21日(月)の夜であった。
 書き出すと、診断書料の請求をどこに書いたらいいのかわからない。
 教頭に聞いてもわからず事務の人に聞くことにしたが、担当は全日制の事務職員だから夜はいない。結局年休にしていた24日に学校に行くことにした。
 24日に書き上げ、眼科医院へ請求額の証明をもらいにいった。

 ここでもまた、「公務員の災害補償請求をするのは初めてなので」という答えが返ってきた。
 事故が起きて治療をしてもらった時に「公務災害認定の請求をします」と伝えたのだが、「認定が下りたら処理しますので、一応共済で支払って下さい」と言った人である。
                                                                                                                                   (  つづく  )