2011年7月10日日曜日
教職員には 教育上の事があり 公務災害申請を出しにくい制度にされている 申請をすれば膨大な数にもなるだろう
山城貞治(みなさんへの通信32)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その13)
1998年12月「教職員のいのちと健康」
公務災害申請顛末記( ひとまづ 完 )
痛いめをしただけで終わるのは癪
「公務災害補償のしおり」にある「医療機関へのお願い」のところに、「すでに共済組合員証を使用した場合」の説明もあるのでそこを示し、医院から基金支部に問い合わせてもらうことにして「補償のしおり」ごと預けて帰ってくる。
翌12月25日夕方に証明ができたという電話が医院からあった。翌日に取りに行くことにした。
「顛末記」を書き出した手前、年内に済ませておきたかった。
また、私と同じころに、すでに書いたもう一人の先生も公務災害認定がなされた。
僕が公務災害認定を申請する気になったのは、痛いめをしただけで終わるのは癪だったこともあるが、公務災害認定を申請することを通して問題を投げかけ、今後の労働安全衛生につながることがあればいいという気持ちもあった。
その点、いち早く生徒部長が職員会議で事故の経過を説明し、
「学校施設の全日制・定時制の使い回しの基本にかかわることの検討をする」
と見解を明らかにしたのは、僕としてもありがたかった。
それに続いて学校長も、事故の謝罪と、二度と同様の事故が起こらない努力をすること、定時制の教育活動に支障がないようにすることの表明があったので、まあ、一歩前進だといえる。
そのため、職員室に掲示板が新設され、全日制と定時制が連絡を取り合い、全日制の予定が書かれるようになった。
例えばこんなふうに。
「○月○日○曜日に卓球の公立高校大会が本校で実施されます。本校体育館を終日使用しますのでご了解下さい。」
同期採用の先生が 奇跡的に助かったが せつない
昨年末から今年の1999年にかけて、脳溢血で二人の教職員が倒れたと聞く。
一人は現職死亡。
もう一人は僕と同期の採用の先生だが、集中治療室からやっと一般病棟へ移れたそうである。
風呂に入っていて無意識のうちに風呂の栓を抜いていて、家族があまりにも長い風呂なので見に行くと風呂がまの中で意識を失っていた。
救急病院、集中治療、リハビリ。どうなることか心配である。
倒れたのは冬期休暇に入ってからでも、その原因は、毎日の過酷な勤務の実態を無視しては考えられない。
奇跡的に助かったと本人は言っていたが、真面目な彼が言うとよけいに切なくなる。
僕のように原因がはっきりした事故でも、組合や職場の仲間が支援をしてくれていることがわかるから、安心して認定請求ができるのである。
それでも結構面倒な事が出て来る。
まして、脳溢血のように因果関係を争わねばならないことになると、府高本部・分会の支えはもっと必要である。
府高のO先生、N先生が公務災害不認定の決定を受け、再審査の請求も却下され、裁判で闘っている事など知っていたので、これはもう、大変な事である。
痛みに対する補償もなく
6,670円の公務災害補償とは
僕は、最初、公務災害申請をする手順を書き留めておくことも意義があると思って書き出した。
ところが、今までの報告のような面倒なことをこなしてきて、僕に支払われるのは、診療費と診断書料だけ、合わせて6,670円である。
こんなに面倒なことをしてきて、痛みに対する補償は何もないのである。
それでも、思いがけない危険が明らかになり、職場で安全に気をつけようという動きが出てきたことに満足できる。
O先生やN先生が、裁判闘争にまで踏み出せたのは、自分のことに加えて、今後職場で同じような苦しみをする人が出ないようにという願いがあったからだと心の底から思う。
公務災害申請請求に詳しい人をつくることより
公務災害を出さない職場にしてこそ
結局、職場に公務災害申請請求に詳しい人をつくることが大切なのではなくて、公務災害を出さない職場にしていくことが大切であるとつくづく思った。
先般、府高から全組合員に配られた『学校がよみがえる労働安全衛生』(文理閣)には、そのような立場から基本的な考え方や問題提起がされている。
みんなが読み、できれば分会単位で学習会の工夫をしていくことが大切なのではないだろうか。
いや、すべての教職員にも読んでほしい。
残るのは 公務災害補償制度への腹立ち
公務災害認定の申請をし、認められて残るのは喜びではなく、むしろ公務災害補償制度の不十分さから来る腹立ちが残る。
面倒な手続きは、認定請求を抑えるためのものだと思えてくる。
公務災害が認定されたときに手わたされた「公務災害 通勤災害 補償のしおり」には、「治ゆの報告」などの項目に
「認定された傷病が『治ゆ報告』を所属長の認定を得て速やかに提出してください。(この報告には、診断書を添付する必要はありません。)傷病が治ゆした場合には、基金の療養補償は終了」
などと書かれている。
公務災害を受けるときは、手間な手続きをしなければならないのに、
本人が補償を受けないという状況になった場合は、本人の報告書一枚ですむ。
ところが、基金の思いとは別に本人が治療を引き続き受ける場合は、さらに多くの証明が必要になり、
本人が引き続き治療をすすめようとしても認められないこともあることが書かれている。
ようするに、公務災害を「認めてやっている」と言わんばかりの公務災害制度になっているように思えてならない。
公務災害認定に詳しくなった知識は二度と使わずにすむことを願っている。
私の立て替えた、これだけでいいのだろうかと、つくづく思う、6,670円は(1999年1月20日段階で)、まだ僕の手元には帰ってきていない。
「治ゆ」とは、どんなことを言うのか疑問
公務災害申請顛末記には、「軽傷だとされる労働災害」でも、これだけの問題がある。
彼が、「治ゆ」したとは、書かれた段階では解らない。また補償の金額を見て、これだけ努力して申請したのに「補償はたったこれだけ。」と驚く同僚も多かった。
労働安全衛生対策について
(8)公務災害を取り扱う、地方公務員災害補償基金京都府支部などの諸制度を基本的に改善させる。
には、手続きの簡略化と被災者や遺族の負担をなくし、事業者責任ですべきと言う意味もあった。
手続きの簡略化と被災者や遺族の負担をなくせ
渡された書類を見て、すらすら書ける教職員はいないだろう。
非常に複雑で、何を、ドノヨウに書いたらいいのかも解りづらい。
事務部長も「こんな大変な手続きを学校でするようにすることに矛盾を感じる。」と言うほどだった。
その事務部長も書類作成・公務員災害補償基金のやりとりで休日返上、残業をしていた。
公務員災害補償基金は、災害補償請求をしにくくしているのである。
公務災害申請をすると
保護者・生徒・教職員の対立が増大するシステム
さらに今回のような場合は、第三者被害と言って加害者が特定できる場合は、加害者に公務員災害補償基金が災害補償金額を請求することになっている。
加害者。
それは生徒である。そうなると、生徒と保護者と被災者の間でしばしば対立と争いが起きる。
金額が多ければ多いほど、そのもめ事は増大し、生徒と教師、教師間の対立へと広がる。
だから教職員が公務災害申請をあきらめることが非常に多すぎるのである。
今回の場合は、「第三者被害請求をするな」と公務員災害補償基金に申し入れをした。
このことがあるから、生徒や保護者からの暴力や被害を受けた教職員が公務災害申請をしない場合が非常に多い。もし申請していたら数千件どころではないほどである。
教育という状況は、公務災害補償には加味されていない。
さらに、労災保険と基本的に異なった不公正さが、公務災害補償にはある。