2011年7月15日金曜日

働いていることで健康害するような学校では、いい教育もできないし、いい生徒も育たないだろう


山城貞治(みなさんへの通信41)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その21)
労働者のいのちと権利を守る最前線から労働基準監督官からみた学校現場 講演要旨


悪影響を及ぼすウソの報告の放置

 労働基準監督署にウソの報告をしてくる人もいる。
 そうなると逆に問題を重くみることになる。
 例えば、36協定がない、休憩がないと正直に書いてくれば「ああこれくらいの事業所ならばそうなるかもしれないと」考えることもある。
 ところが、それもないのにあります、しています、と書いてくると司法事件、送検を考える。
 そういうことを放っておくと他に悪い影響を及ぼす。
 労働災害かくしをしたり、死病報告をしてこなかったことが、なにかのことで発覚すると検察庁に書類送検したくなる。
 ウソの報告があることに対して労働組合として問題にすることは当然として、京都府人事委員会がどういうつもりなのか、ということが問題になるだろう。

校長は事業者ではない
 校長が事業者とするのは校長がかわいそう

 超過勤務の問題、有給休暇の取得の問題がある。
 サービス残業という実態はあるが、臨時・緊急にやむを得ないということが基本である。
 教職員調整手当てという実際に7時間、6時間分で超過勤務がごまかされている問題がある。
 そういうことをどう考えるかということが、京都府人事委員会の立ち入り調査結果に表れているのではないだろうか。
 衛生管理者や健康診断結果報告が出されていない、安全衛生委員会がつくられていないなどの問題がある。
 府立学校の労働安全衛生体制について話が進められているらしいが、校長があまりにも「立派すぎる」ということがあるのではないだろうか。
 校長が事業者とされているらしいが、校長は事業者ではない。
 例えば学校法人で、理事長が校長でその学校法人がそこしかない場合は、校長は事業者かな、となるかもしれない。 

私立以外の公立学校の労働安全衛生法の事業者は
           知事や市町村長

一般的に公共団体の責任者である知事や市長村長である。
 府立学校の場合は、校長が事業者としても校長がかわいそう。
 自ら何もできない人を、事業者にすることは、どこかが切れているような逃げのことがあるように思える。
 府立学校では、給食事業場は製造業であり衛生委員会ではなく安全衛生委員会を設置する必要がある。
 安全管理者なども必要になる。
 健康管理医も労働安全衛生上の産業医であるならば、単なる医者で済ますことはできない。
 産業になる場合は、認定産業医になるための講習などがある。産業になるためにはいろんな研修などがあるが、単なる医者では産業医にはなれない。
 府立学校労働安全衛生体制について教職員3+αという話しが出ているらしいが、善意でいえば労働者代表ということになるが、少なくとも労働組合の推薦を受けた人でないとダメだ。
 労働組合の推薦を受けた人とのそれぞれ半数で安全衛生委員会がつくられなければならない。

労働安全衛生法以前の
   医者なし健康診断 事後処理ナシ

 さらに、医者による健康診断が行われていない、事後処理が行われていない、ということがあるらしい。
  しかし、医師による健康診断が行われていないということは労働安全衛生以前の問題だ。
 医療行為をしてはいけない人がしていることになるから。
 労働安全衛生法などでは、事後措置は事業者がしなさいということになっている。
 事業者が行った時の措置に対して、産業医の意見を聞きなさいということになっている。
 事業者と労働者の関係は、使っているものと使われている側という関係になる。
 だから、産業医は労働者を使っているわけではない。
 だから、産業医が事後措置のアドバイスに留まるというのは当たり前のことになる。

何も考えていないととしか考えようがない
                 死傷病報告がなされていないこと

 京都府人事委員会に死傷病報告がされていない。

 京建労では「私傷病報告をしないことは労災隠しである」という訴えの運動をしたことがある。
 しかし、報告をしないということは、それ以前の問題がある。
 死傷病者が出た場合報告しなければいけない、ということすら知らないのではないか。
 こけた、切った、骨が折れたなどのことは、頸肩腕障害などと違って公務災害で争いになるようなことではない。
 だから、それを報告しないというのはそんなことを知らないか、何も考えていないととしか考えようがない。

人事委員会を監督する監察官制度があるのか?

 次に、京都府人事委員会はネズミゴキブリの指摘をしている。
 労働基準監督官をしていて、20年間ネズミゴキブリの問題で違反の指摘をしたことはない。
 これらは、発疹チフス、コレラなど大変な病気をまん延させることから労働安全衛生法や労働安全衛生規則で決められてきた。
 今日ではそんなことをあまり問題にしない。
 京都府人事委員会は、労働基準監督をするだけではなく他の仕事をしているので人数わからなくて大変だなあと思うぐらいである。

 府立学校を京都府人事委員会が監督している監察官制度があるのだろうか?
 労働省には、監察官制度というのがある。京都労働基準局には監察官が3人いる。
 郵政には郵政監察いうのがある。郵政監察で告訴した、ということを聞いたりしたのでは。
 司法警察権、監察権というのが郵政にある。
 労働省の中には、それと同じ監察官制度というのがある。
 それが人事委員会にあるのだろうか?

労働基準監督官と人事委員会が
   共同する協定が守られていないのでは

 京都労働基準局と京都府人事委員会は、労働基準監督権をめぐって過去何度か協定を結んでいる。
 その協定書の中に、場合によっては労働基準監督署の指導と援助を受けるたり調査を依頼することが書かれている。
 人事委員会としては、専門的なことは労働基準局に「どうしたらいいのか」「これを調査してほしい」などのことをお願いする協定になっている。
 でもそのことが実際に行われているかどうかあまり記憶がない。

 かなり昔に、ボイラーなど特定機械の検査で労働基準監督官が行っていたことがあるかもしれない。そういう検査は、人事委員会ができないので共同で労働基準監督官がいくなどのことがあったようである。

是正勧告書・使用停止等命令書が出ると
  企業は何とか是正しようと悩むが
 人事委員会は指摘だけで改善されるシステムがない

 このように考えてくると京都府人事委員会が実施している労働基準法、労働安全衛生法、船員法などの法違反指摘は、指摘だけで改善されないシステムになっているのか、と思ってしまう。
 法違反は何度も指摘されているのに改善されていない。
 指摘されている側(府立学校)が、学校独自でできるのか、それとも上のレベル(府教委)でないと改善できないのかともかく改善されるシステムがないように思われる。
 労働基準監督署が、是正勧告書・使用停止等命令書を出すと企業の場合は自分のところで何とか是正しようと悩む。

生徒数が減ると先生を
解雇するという就業規則を作る動きが私学で

 最近私学の学校に監督に行くことは少ないが、昔私学の学校に監督に行くと休憩がない、休日がない、宿直があると。
 その理由は生徒指導がある、と言うのが実状だった。
 最近、私学の現状はもっとひどい状況になっている。
 生徒数の減少ということで、当局は危機意識を持っている。そのため就業規則を変えようとする。
 生徒数が減少した場合は、先生を解雇しますという就業規則を作ろうとする動きがあると聞いている。
 生徒数が減ると解雇になる、講師が増えて2,3年の有期雇用がすすめられる、そういうことが先取りされてやられている。
 そのため私学では、労働時間問題よりも身分の確保の問題が大きい。

労働組合の組織の存亡の危機と労働法制の改悪

 大企業は、労働法制の改悪をはじめ21世紀を考えるグローバルな方向を考えそのための準備を着々としている。
 ところが日本の労働組合は、イタリアやドイツやフランスの労働組合は…というが、反対方向に行っている気がしてならない。
 例えば労働法制の改悪の問題でも、労働者の根幹にかかわることなのに何か無関心である。
 もっと大変だ、と思う人がもっともっと出てきてもよかったと思うが。
 労働組合にはいろいろの立場があるが労働法制の改悪の問題が、なぜ共通問題にならないのか。
 そういう点から考えてみても大企業がいうグローバルの方向と闘おうとしても太刀打ちできないことがあるのではないか。
 大企業は本気であるし、本気でやっている。
 今は民間の労働組合は、自分のところの最低労働条件を守るので精いっぱい。労働時間、賃金、解雇に追われていて労働組合の様子が見えてこない、そのため労働組合の組織の存亡の問題が生まれている。
 労働組合が、自分のところをどうするかというぎりぎりのところに追い込まれている様子がある。
 労働組合が自分たちの力で問題を解決するということが、非常に弱まってきている気がする。

いのちと健康に関わる安全対策部門が
   ドンドンとリストラされている

 労働安全衛生は、高度成長期に非常に注目された。
 災害もあった、公害もあった、企業はどうなっているのかというを批判があった。そのため企業は、労働安全衛生のために金をつぎ込んでいた面もあった。
 ところが高度成長期に対策が打たれた労働安全衛生は、今日のような状況の場合はまず第一にリストラの対象になる。
 リストラといえば首切りが注目されるが、まず企業で安全屋さんと呼ばれる人がいないようにされた。
 それまではの企業の労働安全衛生担当者(安全屋さん)が絶えず労働基準監督署にやってきて情報を得ていた。、そういう仕事をしていた人がまずリストラの対象になっていなくなった。
 安全衛生課という部署が、どんどん小さくなって何千人の会社でも1人いるか2人いるかという状況になっている。ヒトの面だけではなく、経費の面でも安全衛生が削られている。
 建設業では、経費は安くするために安全衛生の面が削られる。
 足場を作らない、安全対策をしない、などまず1番先に安全衛生の面が削られている。
 安全衛生は命・健康に直接つながって行く。
 それを放置していると最低労働条件や労働組合の組織の存亡に連なって行く。
 そのことを踏まえて、自分とみんなの命と健康を守る労働安全衛生を考えていかなければ、ケガをして仕事ができないばかりか働く場がなくなってしまうという結果になる。

80年前に決めたILO第1号条約すら批准しない日本

 日本の国や大企業は、国際労働基準すら守られない。
 80年前に出されたILOの労働時間すら批准できないでいる。
 日本の政府は、ILO第1号条約すら批准しないで、第1号条約を引用し変形労働時間を根拠にしている。
 しかし、ILO第1号条約の2(b)には「但し、本号に規定する如何なる場合においても1日8時間の制限を超ゆることを1時間より多きことを得ず。」と書かれ9時間しかだめですよとしている。さらに災害や機械などに緊急の処置を行う場合に労働時間の制限を超えても……と限定されている。
 ところが日本の変形労働時間制は、9時間と言っているが実際は10時間を超える労働させられている。
 80年前にILOが決めた労働時間どころではないのが日本の現状である。日本はILO、国際労働基準を最初から守らない、守れないようになっている。

最低限すら放置していれば もっと悪い状況に

 工場などの現場で働いている人は安全衛生ということがよくわかる。
 しかし事務職などの仕事に就いている人は安全衛生、どういうことがピンとこない。
 工場では、爆発するかもしれない、機械に巻き込まれるかもしれない、ということがあるが事務職などの仕事の場合はそういうことがすぐに起こらない。
 労働安全衛生が分からない、知らない、という間に労働条件とともにどんどんレベルが低下させられていっている状況がある。
 だから、教職員の場合は京都府人事委員会が指摘している法違反をどうするのか、だれが直すのか、と言っているだけではなく、現実に直していかなければならない。
 最低限と言っているのだから。その最低限すら放置していれば、もっとどんどん悪い方向に行く。
 労働安全衛生の悪いところは、だれが見てもを直していかなければならない、と思うはず。そこから取り組んでいく。
 普段働いているとなかなか労働安全衛生のことをじっくり考えにくい。

先生を見て育った生徒たち
   社会人になったとき先生を
   労働者のあるべき姿として見るだろうか

 教職員は、本当に長時間過密労働している。
 休憩も削って生徒と話をする、でも生徒たちはしばらくすると社会人になる。
 先生を見て育った生徒たちが、社会人になったとき先生を労働者のあるべき姿として見るだろうか。
 生徒がなりたい労働者の姿として先生を見ているかどうか。
 先生は一生懸命やっているのがわかるが……。やはり不安がある。
 生徒たちは、先生が一生懸命やってくれるのはいいが自分はそこまでやりたくはない、と思っているかもしれない。
 「先生休憩やし、その話はあとで」という方が普通の感覚かもしれない。

使命ばかりが先行している教職員の姿は

 教職員の状況は、私たち労働基準監督官と同じように使命ばかりが先行しているように思える。
 使命感ばかりが先行しやすい職種ではないかと思う。
 ものを作るといっても結果はよくわからない。
 どこかの大学に入ればその結果はわかるかもしれないが…も教育の結果は見えない。
 製造現場では、ひとつのものを作れば見える。ものの結果が見えない中で、使命感ばかり…そんな状況の中で働いている先生を見た生徒たちは将来どんな労働者になるのだろうか、と不安になる。
 
自分たちが働けないような、働いていることで健康害するような学校では、いい教育もできないし、いい生徒も育たないだろう。

  私たちも同じような状況の中で、労働行政に携わっているので話した。
                                                                              ( 完 )