2011年7月11日月曜日
誰が 教師の過労死をなくすることができようか
山城貞治(みなさんへの通信37)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その14)
怒りを理性的に処理できないでいる
公務災害の問題と教職員の問題は、2000年7月北海道の伊藤誠一弁護士が、労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」に掲載を快諾された。同じ事件、公務災害の同じ矛盾があるので、再録させていただく。
「高橋靖之教諭は1996年1月14日、旭川北高 校クロスカントリースキー部の顧問として、練習指導中に倒れ、午前11時23分に市立旭 川病院に搬入され、大動脈解離と診断されました。
そのあと自宅療養及び通院加療を続けていましたが、10月6日に病状芳しくなく再入院し、10月27日午前10時50分に死亡されました。
高橋靖之教諭は、教科の理科担当のほか、一学年の副担任、進路指導部の業務など多忙な教育活動により、基礎疾病の高血圧症を悪化させていました。
この年12月26日からはじまった生徒の冬季休業・教員の研修期間も連日スキー部の指導をせざるを得ず、これらの教育活動が過重な負担となって大動脈解離を発症させたものです。
1996年12月10日に公務災害認定請求を行なった夫人の高橋ヤスさんをはじめ、認定を求めるとりくみをすすめてきた道高教組を中心とする運動は、1998年3月6日、地方公務員災害補償基金北海道支部(堀達也支部長)による高橋靖之教諭の死亡(1996年10月27日、当時52歳)を公務上の災害と認定する画期的 な決定を勝ち取りました。」
高橋雅之先生の過労死を公務災害認定させたことの意義
伊藤誠一 ( 弁護士 )
1998年3月15日、札幌市内で北海道高教組主催・高橋靖之先生の公務災害認定報告集会が行なわれた。
私は発言の機会を与えられ、認定の意義にふれつつ、「正直いって怒りを理性的に処理できないでいる」、人生80年、90年の時代に52歳の職務による不本意な死は残酷にすぎる、人間らしく豊かに生きる権利の根底に捉えられるはずの「子どもの権利」を充足させるために日夜分かたぬ教育活動に取り組んだ結果、教師が疲労を蓄積させ、心身を切り刻むに等しい負荷を受けて倒れたのであるとすれば、教師の過労死が公務災害であるとして救済されない事態は背理という他ない。
教職員組合が過労死を根絶することなくして
誰が教師の過労死をなくすることができようか
「実践家があまりにも過労で倒れすぎてはいないだろうか。教職員組合が根絶することなくして誰が教師の過労死をなくすることができようか。高教組はもっとしっかり闘ってほしい」
という趣旨のことであった。
いま三沢紀之事案(夕張南・心筋梗塞、45歳、1988年12月8日地方公務員災害補償基金北海道支部審査会で逆転裁決、公務上)。
木嶋光好事案(滝川北・脳出血、44歳、1993年12月27日基金審査会で再審査請求棄却、公務外)。
西岡正義事案(北教組・1996年8月8日基金北海道支部審査会で逆転裁決、公務上(帯広市立第五中の西岡正義教諭(当時48歳)が陸上競技の部活動指導中、急性呼吸不全で死亡・基金北海道支部は公務外としたが、支部審査会が死亡から凡そ7年の後に逆転裁決、「公務上」と認定された。)。
そして高橋靖之事案(旭川北・大動脈解離等、52歳、1998年3月6日基金北海道支部で公務上)とそれぞれの取り組みについて改めて振り返ると、その思いは増幅するばかりである。
以下では高橋事案の公務上認定の意義について私の意見を述べつつ、やはりこの点について言及したい。
最後に、高橋先生にかかわる周辺の事情についての感想を述べることにする。
(1)高橋靖之事案公務上認定の意義について
1,地方公務員災害補償基金北海道支部の段階で過労死を公務上として認定させた意義は大きい。
いまどき過労死根絶のための取り組みを過労死「認定」の問題に置き換える者はいないと思うが、不合理な認定基準と民主的とはいえない認定手続きの下にあって、職務で死亡したのだから公務上認定は当たり前、という道理や正義が必ずしも貫かれていない実際に鑑みると、早い時期に公務上の認定をさせ、遺された者の被害を回復することは肝要なことであるからである。
少ない 教師の過労死が公務上認定された例
教師の過労死が公務上認定された例は決して多くなく、まして基金支部段階(民間でいう労基署長のレヴェル)で認定されるものは極めて少ないことを思うと被災後2年間で認定させたこの成果は大いに強調されてよい。
(「最近の裁判例・行政認定例等にみる教職員の過労死認定事例」「北海道の教員の過労死認定をめぐる状況について」参照)
例えば、三沢事案の場合認定されたのは死亡後4年を経てからであり、北教組・西岡事案でも約7年後であった。
多くの人の献身的な作業によってもたらされた
2,次に、この認定が妻のヤスさんはじめ同僚など高橋先生を知る多くの人の献身的な職務「再現」作業によってもたらされたことの意味をかみしめたい。
認定の取り組みに参加された皆さんは、遺族に対する個人的想いをふまえつつ、「共済」や「同情」とは異なる観点、教育活動によって不本意な死に遭遇せざるを得ない不合理な事態を職場からなくする、という強い意思をもって臨んだはずである。
少なくとも旭川北高校の職場にあっては、この取り組みを通じてそのことの重要性を確信されたものと思う。
公務上災害として認定させた部活動指導中
3,部活動指導中の被災について、現代の高等学校教育における部活動の教育学的ないし教育法的意義を明らかにしながら公務上災害として認定させたことにより、教師の部活動への関わりについて規範的に一つまり、その必要性を認めつつ複数の完全担当制の導入など、教師の健康を保持する権利を貫く視点に立った法律関係として一アプローチする確かな手がかりを得たと考える。
支部-本部の上下関係と通達による
行政統制による公務災害認定
4,地方公務員災害補償法にもとづく教職員の権利救済機関としての基金支部に過労死認定で実績を一つ加えさせたことの意義は大きい。
周知のとおり、教師の過労死については支部-本部の上下関係と通達による行政統制によって、基金支部にあっては過労死が公務上であるか否かの判断を主体的に行うことを止め、事実上全案件について本部の稟議に付している。
北海道における教師の過労による不本意な死の公務上認定をみると、過労死(三沢・西岡両事案)にしろ、いわゆる過労自殺(旭川東高事案、平成3,8,21、基金北海道支部審査会裁決にもとづき公務上認定)にしろ、支部段階では基準を硬直的に診てはめた結果「公務外」とされたものが「支部審査会」(学識経験者等三者構成)でいわゆる逆転裁決されたものばかりである。
その意味で(私は高橋事案や西岡事案は申請されたら時を待たず直ちに認められて当然の事案だと考えているが)、過労死事案で基金北海道支部を「支部として」機能させたことの意義は強調されてよい。
過労死をなくす取り組みの
今日的到達点をはっきりさせる
5,さて、これらの意義を深める過程で浮かび上がった課題がある。
それを整理して、過労死をなくす取り組みの今日的到達点をはっきりさせる必要があるであろう。
例えば、任命権者道教委はこの10年、教職員のいのちと健康にどう向き合ってきたか(労働組合の側からいえば向きあわせ得たか)、ということについてであり、高橋事案に関っては、部活動の指導における教師の危険はどう改善されたか、ということについてである。
そして、地方公務員災害補償基金制度を真に教職員の権利を担保するものにするための実践的改革課題もある。
関連して高教組が先駆的に取り組んで制度化した学校衛生委員会の活性化、健康診断の改善について検討しなければならないと思われる。