2011年7月9日土曜日

公立学校の教職員の労働災害は 公務災害認定  だけでなく 労災認定 の二つであることが忘れられている


山城貞治(みなさんへの通信31)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
 政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その12)

労働安全衛生対策について
(8)公務災害を取り扱う、地方公務員災害補償基金京都府支部などの諸制度を基本的に改善させる。また地方公務員災害補償基金京都府支部(審査会を含む)には、公正な判断をさせるために教育委員会関係者を加えないなどをはじめ、不当な制度を改めさせる。
(9)公務災害は、本人申請を妨害することなく、管理職が責任と役割を持って公正に対処させる。また公務災害の手続きを簡素化し、認定時期をいたずらにのばすことなく早急に手だてを打つこと、実態に応じて現行法制度にない災害でも救済措置をとることを要求する。民間の労働災害がすでに適用されているケースは、無条件で公務災害を適用すること。
 また公務災害適用後も本人救済、健康管理、リハビリなどの援助措置を行い、府教委としての責任を果たさせる。


について、当時、京都府高は養護学校の教諭のけいわん・腰痛公務災害認定をめぐって、裁判を行っていた。
 前者は、1999年7月9日京都地裁で全面勝利、後者は1999年12月8日京都地裁で全面勝利を勝ち取ることになるが、京都府高としても大変な取り組みをしたが多くの問題も残す結果になった。

公務災害認定の勝利の喜びよりも
           その教訓が生かされる喜びに

 当時の府高委員長は、

「裁判までに至る経過、裁判闘争、公務災害認定を勝ち取る一心での取り組み、。裁判勝利。その喜び。
 で終わっていたが、問題はその後だった。
 公務災害認定を裁判で勝利しても府教委は何の関心も示さない。
 裁判に負けた事すら知らないで、そのことを言うと、負けたのは公務災害支払基金であって府教委は関係ない、という。
 これでは裁判の勝利の意味が生きて来ない。
 公務災害認定を勝ち取るための膨大な時間と苦労と汗と涙とその費用。
 それらを度外視しても、裁判の結果を教職員のいのちと健康に生かし続けないと公務災害を防ぐことが出来ない。」

と決意を新たにして公務災害制度の問題点とその改善方法のみならず、臨時教職員の労働災害を労働安全衛生委員と共に調べに回る。

府教委は労災保険料をごまかして
支払っているのではないか 労働局は甘すぎる

 そこで、定数内や常勤の教職員以外の臨時教職員は、京都府教委があらかじめ予測した京都府下の義務教育学校と府立学校の臨時教職員の労災保険料を京都労働局(かっては労働基準局という名称であった。)に支払っていることが判明した。

 そのため、京都労働局の幹部に会って、府教委が4月当初、労災保険料を何人分払っているかと質問した。
 すると労働局は「ほぼ毎年500人ぐらいですね。」という答えだったので、府高委員長は、
「京教組調べでも京都府下で労災保険の対象になる教職員は、6000人を超えている。労働局は労災保険の未納を問題にしているときに府教委への対応は甘いのではないか。」
と言うと労働局の担当者は黙るだけだった。

 帰路。府高委員長は、教職員の職場は「公務災害だけを問題にしてはいけない。公務災害・労災の二つだ。」と言い続けた。
 その時から上記の労働安全衛生政策の具体化が一層加速するが、その前後、例え軽傷であっても公務災害認定には多くの問題があると府高の茶谷茶山さんから投稿依頼があった。
 そのため労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」に掲載したが、長文になるので分割して掲載する。

公務災害申請顛末記の投稿で
  さらに明らかになった公務災害の問題

1998年12月「教職員のいのちと健康」 公務災害申請顛末記

 9月28日、「公務災害認定請求書」を教頭へ提出した。
 まさか自分が公務災害を受けるとは思ってもいなかった。だから、被災直後からの僕の行動を振り返ってみると、「まずい対応をしていたな」と思うところがある。
 それは、労働安全衛生にかかわる基礎知識に照らしてということであるのだが、知識のあるなしではなく、むしろセンスとでも言っていいような、事態に直面して、とっさのときにとっている行動に現れてくることについての思いなのである。
 今、振り返り、これまでに公務災害の認定請求をした人も、おそらく僕のような少々まずい対応も含みながら、周りの人達の協力も得て、請求を行ってきたのではないだろうか……とも思った。

突然に自分がそんな事態に立っと

 今後、公務災害の認定請求をすることになる人だって、知識も心の準備も整えて、などということはないだろう。
 たいがい、突然に自分がそんな事態に立っているのである。
 こう考えると、僕のまずい対応も含めて、報告をしておくことは意味のあることだと思えてきた。
 僕は今、職場の皆さんに推されて分会長をしている。職場要求のための校長交渉に備えて少しは勉強もしてきたつもりだが、いざ自分のことになると、周りの人の助けも助言も必要であったのである。
 そのへんのところも恥を隠さず綴ってみたいと思っている。
 
生徒が蹴ったボールが眼球に直撃

 9月17日は、定時制の体育祭であった。
 この日は、グランドでラケットベースボールをすることになっており、4時から教職員で4面のコートを描くための作業に入った。
 このような行事のときは、全日制・定時制の生徒部が自主的に連絡を取り合い、関係のクラブの練習はグランドから切り上げることになっていた。
 ところがこの日は、全日制のあるクラブから試合が近いため、練習の延長要請があり、定時制生徒部は、支障のない場所での延長練習を認める回答をしていた。
 しかし、全教職員にその連絡が十分ではなかったため、僕は「あえて止めさせんと」と思いながら描けたダイヤモンドにトンボをかけていた。
 その時のことだった。生徒が蹴ったボールが直撃した。
 眼鏡がふっ飛んでボールが左目に当たったのであるが、不思議なことに眼鏡は無傷であった。
 僕は頭がボーッとした状態のまましばらく立っていた。
 気がつくと、誰かが「大丈夫ですか」と声をかけて眼鏡を渡してくれたのであるが、それが誰だったのかは覚えていない。
 保健室に行くよう促してくれた人があって歩き出したのであるが、それも誰だったか思い出せない。
 ともかく自分でその場を離れ、水道で目を洗ってから保健室へ行った。
 
公務災害の申請をした方がいい、と言われて
                                   
 保健室には、養護の先生と保健部長さんがいた。
 養護の先生は、すぐに目の洗浄をし眼球に傷がないかを見てくれた。
 傷は無いように思うが眼科医に診てもらった方がいいということで、保健部長さんが車を出してくれて、養護の先生がつき添ってくれた。
 出発前、僕は、車を出すのを待ってもらって、同じ学年の先生と生徒部の先生に、当日の体育祭の自分のクラスの準備と段取りを依頼している。怪我で職場を離れるとき、第一にしておかねばならないと思ったのはこのことだったのである。

 眼科医の診断の結果は、充血は眼球の圧迫によるもので傷は無いだろうとのこと。
 僕のように強度の近視は網膜剥離を起こしやすいからその検査もしておくとのことで、薬で瞳孔を目一杯広げ、中を診てもらった。「網膜も異常ない」ということで一応安心はしたが、二日後に再診をするということだった。
ある先生から「仕事中のことだから公務災害の申請をした方がいい」と言われていたので、医院にはその旨を告げて帰った。
                                                                           ( つづく )