2011年7月13日水曜日
誤解を恐れずに率直に申し上げますが、これほど過労で倒れる現場を抱えている労働組合の取り組みとして、現在の活動が十分であるのか問われている
山城貞治(みなさんへの通信38)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その18)
元京都府高委員長が忘れられない
「先生たちが見殺しにしている」と伊藤誠一弁護士の提起
元京都府高委員長は、労働安全衛生対策委員会ニュース「教職員のいのちと健康」2000年6月に掲載された「教育現場から過労死をなくすために」というテーマで伊藤誠一弁護士が北海道の高教組に宛てて書いた文章を読んだとき 「先生たちが見殺しにしている」という提起を受た時と同じような思いが去来し、組合の忙しい時間と共に基本的で、重大な問題を忘れるところだった。
ハットさせられるより、「忘れかけている自分たちの教職員組合の取り組み」の重大な誤りを11年経った今も忘れないでいる。
しかし、伊藤誠一弁護士が書かれたのは、もう20年にもなるのか。
忘れかけていたですまない 忘れてならないこと
今、当時のことを忘れないで過労死問題でこのような取り組みをしているという手紙と文章が山城貞治のところに送られてきた。
もういちど、高校の教職員組合に伊藤誠二弁護士が掲載していただいたことを再録して欲しい、との連絡があった。
そこで、伊藤誠一弁護士には、申し訳ないが、教職員のいのちと健康」2000年6月に掲載された「教育現場から過労死をなくすために」を再録させていただく。(紙面の関係で、割愛させていただくことをお許しねがいたい。)
率直に感じていることを高教組へ
三沢先生(夕張南)、木嶋先生(滝川北)両事案に関与させていただいて考えること 1991年10月 弁護士 伊藤誠一
両事案の公務災害認定のためのたたかいに参加させていただいたことを光栄に思います。
小職自身過労死についてその本質を深める機会が与えられ、また今日の教育活動の実情を学びとることができました。まず、そのことに感謝申し上げます。
ここでは両事案を担当させていただいて率直に感じていることを、高教組との関わりでまとめてみましたので、何らかの機会にご検討いただければと存じます。( 以下略 )
1,高等学校現場における
過労ないし 過労死の実態把握は進んでいますでしょうか。
先日、網走南ヶ丘高・板緑先生の「過労死」のケースについてレクチュアを受ける機会がありました。
地公災基金道支部で公務外でされたとのことです。
また去る9月旭川のH高等学校のW先生の自殺が公務上と認定されたケースがありましたがこれは高教組が取り扱ったケースではありませんでした。
日高教が1990年12月全国的にかなり大がかりに行った在職死亡調査の北海道段階における分析は未だ発表されておりませんが、平成元年4月から同2年3月までの在職死亡による退職者21名のうち(とりあえず高等学校分)、少なくとも高教組所属4名は(肝不全、心不全2名、脳出血)、死亡診断名から所謂過労死ではないかとの疑いの目でみる必要がありそうです。
組合に入っていない先生の健康実態は
高教組に所属していない現場の先生はどのような実態なのでしょうか。
今こそ北海道内の高校現場における在職死亡について(高教組組合員であるか否かに拘泥することなく)高教組の総力あげて調査し分析する必要があると考えますが、いかがでしょうか。
2,三沢先生、木嶋先生そして板緑先生の過労死は、
教育労働条件の改善に生かされていますでしょうか、
或いは生かされるよう
その死は位置づけられているでしょうか。
改めて申し上げるまでもなく、これらの過労死のケース、そして種々の事情で組織的にはとりあえず俎上にのせられていない多くの過労死のケースは、教育政策の貧困さの一つの結果であり、さまざまな困難・条件の下で求められている教育活動と現に行いうる教育活動との間の矛盾を集約的に示しています。
所謂教育困難の中で教育活動に従事しなければならないこと、現代の子どもと教育をめぐる状況にふさわしい定員が配置されていないこと、健康管理体制の不備等過労死を招いている要因を指摘するについては枚挙にいとまがありません。
教育労働環境を改善し原因を取り除かない限り
過労死は くり返される
こうした中で生み出される過労死は、したがって、その教育労働環境を改善し原因を取り除かない限り、くり返される性質のものであると考えなければなりません。
この先生たちの死が、しかも小職の乏しい経験によっても、いずれも優れた実践者であったと申し上げることのできる諸先生の死の意義が、高教組のそうした悲劇をなくしていく取り組みの中に正当に位置づけられているでしょうか。
過労死がまさに労働によってもたらさせた死でありながら、救済されずに、時の経過とともに放置されている労働現場が多い中にあって、高教組が遺された遺族の救済のため全力をあげていることを高く評価するものですが、しかし、そこにとどまっている不十分さはないでしょうか。
北海道ないし任命権者である道教委
と健康保持をめぐる権利の問題
この点で大事ではないかと考えるのは、過労死は公務災害の認定問題(それが困難な現状にあってはとりわけ)であると同時に、むしろその前提問題としては、使用者たる北海道ないし任命権者である道教委との間の教育労働条件改善ないし健康保持をめぐる権利の問題であるということです。
その予防のために、北海道ないし道教委に対策をたてさせることが必要です。
そうした手だてがとられない限り、高等学校現場で過労死は多発し続けることが予測されるのです。
公務上認定にとどまらず損害賠償請求を求める姿勢を
また不幸にして倒れたときは、地公災基金制度の制度的枠組の制約の中で公務災害認定斗争を進めざるを得ませんがなお、「使用者としての責任」を明確にさせていく観点が必要ではないでしょうか。
例えば、北海道や道教委に対し、地公災基金支部に「認定」するよう意見を出させること、或いは、あまりひどい状態であるときは、公務上認定にとどまらず損害賠償請求を求める姿勢を示すことなどとしてそれは具体化されましょう。
「あれは仕事で死んだのだから公務災害はまちがいない」
と言っても
3,地公災基金支部に対する働きかけや地公災基金支部審査会の運営の改善のたたかいも必要になっています。
前者についてみますと、まず、過労死の認定基準の不合理さがあります。
わたしたちが問題にする過労死は、現場での誰もが、
「あれは仕事で死んだのだから公務災害はまちがいない」
と考えている教育労働がもたらす「過労」による「死」ですが、そのように認定されない、認定基準についてどのようにすべきなのでしょうか。
その具体的な運用についても・地公災基金支部に対し
「このケースは公務災害と判断されるのでそのように認定すべきだ」
と高教組が申し入れ、交渉するなどの取り組みが必要なのではないでしょうか。
基金支部審査会の民主的手続になじまない運用の改善を
また後者についてみると・不服申立を求める側の権利性が十分認められない運用実態にあります。
基金支部審査会の組織は、使用者たる北海道の職制の中で他と独立して定められている(たてまえ)にも拘らず、
実態は人事課の片隅で、
外部からみて他の部局の職務と明確に識別されているのか否かわからない状態で事務が行われていること、
申立人の代理人にならなければ審理に参加できず、
したがって例えば新聞記者が傍聴できないなど「公開」が不十分であること、
裁決は予め日時も知らせずに、一方的に突如として送付されてくることなど、
審査会の人的物的体制の確立によって実現すべきものもありますが、そもそも民主的手続になじまない運用も数多くあるように思われます。その改善に取り組むこと事が重要なテーマになっています。
過労死問題にとり組む体制になっているかは 疑問
4,三沢事案・木嶋事案の教訓、斗いの成果は
例えば担当部に実務的に
しっかり引き継がれているでしょうか。
小職の記憶に残る限り、担当者であった、また現に担当されている、前田先生、木村先生、卜部先生いずれも全力でこの問題に取り組んで来られました。
しかし、三沢事案で認定をかちとり、木嶋事案はじめ多くの過労死事案を抱えている労働組合にふさわしく過労死問題にとり組む体制になっているかについては率直にいって疑問です。
その不十分さは、以上に述べた必要な取り組みが必ずしも十分なされていない、という事実と重なるのですが、「学校現場での過労死の問題」を過労死認定のレヴェルでみているのではないかという疑問を生じさせたりするのです。
現に高教組が進めている過労死認定の斗いの意義について、いくら強調してもしすぎることはないと考えるのですが、それが、過労死をなくす取り組みの中でことがらの本質にふさわしく位置づけられ、また、過労死をめぐる問題の諸状況が組合員に広くそのこととして伝わっているであろうか、という疑問にそれは置き換えることができるかも知れません。
労働組合の取り組みの活動が十分であるのか
誤解を恐れずに率直に申し上げますが、
これほど過労で倒れる現場を抱えている労働組合の取り組みとして、現在の活動が十分であるのか問われている、
ということなのです。
公務災害の認定一くり返し申し上げますようにそれ自身極めて重要で、今日的に意義ある斗いではありますが、
その斗いに留まっていはしないか、
それも十分になされていますでしょうか、
という提起なのです。
小職の以上の主張はおそらく「木をみて森をみない」論であろうかと思います。
しかし、
この「木」にこそ
学校現場で働く教職員の教育と労働、
そして教育行政をめぐる今日的な大きな矛盾の一つが集中的に現われているのではないか、
そう確信するが故に、また高教組が労働者の労災・職業病をなくす斗いの先頭にたたれること期待するが故に強えて申し上げているものであることをご理解いただければ幸いです。